プロローグ:三日目
少女は、一本の柱に括り付けられていた。
その足元には山のように積まれた薪。たっぷりと油が染み込ませてある。
「殺せ!!」
「魔女を殺せーー!」
少女を取り囲んだ民衆が、次々と石を投げる。
縛られ、避けることもできない。少年の投げた石が額に当たり、血が流れ出した。
「やったー、当たった! 死ねっ、父さんの仇だ!」
そう叫ぶ少年の顔は笑っていた。少女は痛みに顔を歪め、笑う少年の顔を見据えた。
少女――アメージアの耳は、異様なほど長かった。横へ長く伸びた耳は華奢な肩先にまで達し、そこには美しく光る、赤や緑の宝石のイヤリングがいくつも並んでいる。
どの人種にも属さない。
誰も見たことのない耳。聞いたことのない言葉。そして、魔法としか思えない技術。
不気味な存在だった。
人々は思う。
近頃、この国では白頭巾を被った怪しげな連中が、似たようなことをしているらしい。だが、あれは肌の色が違うだけの人間だ。コイツらは違う。
ここ、マンハッタンがこいつらに占拠されている――。
そんな信じがたい情報が無線を飛び交っていて、みんな耳を疑っている。
彼女たちの使う『魔法』によって、都市そのものが陥落しているという。そんな話を信じるくらいなら、まだ共産主義者が攻めてきたと言われたほうが現実味があった。
混乱の中、軍人崩れの一団が、部隊から離れ数人で行動していた彼女たちを襲った。
たった数人。簡単に拘束できる。
――そう思っていた。
だが、多くの犠牲を出した。この生身の異邦人たちを殺すために、重機関銃の弾を十五分も浴びせる必要があったと、彼女を捕まえた大尉が先ほど説明していた。
――それでも、彼らは死んだ。
彼らが守ろうとしていた、この少女一人を除いて。
そして今、彼女も火刑に処される。
――だというのに。
少女は自分を罵る群衆にも、足元の薪にも興味を示さなかった。ただ一人、遥か遠くを見つめていた。
アメージアを捕縛した軍人崩れの愚連隊。その大尉、正確には『元アメリカ合衆国陸軍大尉』であるルクシャースは彼女の無反応さをつまらなく思っていた。
「最期に言い残すことはあるか?」
彼女の隣に立つルクシャースは問う。
その瞬間に彼は、少女がほんの少し微笑んだように見えた。
だが、次の瞬間には彼女は悲痛な表情に変わる。
そして……。
一筋の雫が、ひとつ、また一つと頬を伝い、足元の薪に染み込んでいく。
群衆がドッと笑う。「魔女が泣いた!」とひしめき合う。セントラルパークが沸いた。ルクシャースもやっと笑えた。
彼らの『主』がこの現場を見たら、「これから殺される者が泣くのを見て何が嬉しいのだろう」と問うだろう。普段、教会で教わる倫理観は、得体の知れない異教徒には適用されなかった。
やがて、「声」がはじまった。
「どうか、皆さん。どうか、目を醒ましてください」
少女は懇願するような瞳で、にやけた群衆を見回し、話し始めた。マイクロフォンもないのに、その声は公園の喧騒を越え、人々に届いた。
「わたくしの横に立っている、ルクシャース大尉は……」
ルクシャースは、何故この女が自分の名前を知っているのか疑問に思った。だが、尋問の最中、部下が話したのだろうと考える。
それよりも、この得体の知れない女が、命乞いにどんな与太話をするのかに興味が湧いた。
「昨晩、わたくしの部屋で言いました。ひざまずき、その身体で誠意を見せよ、と。さもなくば、お前は明日、魔女として燃やされる、と」
少女はルクシャースに振り向くと、キッと睨みつけた。
だが彼は笑うだけで何も答えない。彼は何を言い出すのかと笑いが堪えきれなかった。あまりの言い分に彼の部下も吹き出す。
「わたくしは、そのようなことはしない! そう断りました」
少女の瞳は屈しなかった。その色は気高さを保って人々の正義に訴えかける。
「それでこのように縛られているのです。貴方達はこのような下種に誘導され、わたくしに石を投げ、焼くというのですか!?」
少女の言葉に少しのざわめきが起こる。
――しかし。
「大尉がそんなことするわけないだろ、魔女め」
「早く燃やせ!」
そんなヤジが人々の動揺を覆い隠す。群衆は信じようとしない。その時。
「……忘れたのですか?」
少女の声が、あまりにも気高く、あまりにも美しく響いた。そして、その瞳もまた、聖なる力を帯びるように人々を引き付けていた。
「……ヨハン。わたくしに石を投げましたね。お母様の具合はどうかしら? 先月、治療に赴いた時、あなたは将来わたくしに必ず恩を返すと、そう仰ってくださいましたね。それがこの『石』でしょうか?」
ヨハンと呼ばれた少年が震える。先ほど自分が投げた石が、彼女の額から血を流させ続けていた。自分の右手が何をしたのか。その記憶が蘇り、少年の顔から血の気が引く。
「あ、あれ……なんで? なんで石なんか。ごめんなさい。ごめんなさい、聖女様!」
ヨハンは力なく膝をつき、涙ながらに謝罪を始めた。人々がざわめき始める。
「聖女様って?」
「人を殺す魔女なんじゃないのか?」
「おい、騙されるな」
少女は悲痛な表情のまま、群衆を見回す。そして、ゆっくりと口を開いた。
「わたくしは、あなたたちと共に戦い、そして共に敵を退けた。なのにどうして、どうしてこのようなことをするのですか?」
群衆の罵声が、戸惑いのざわめきに変わる。続けて、火刑台を囲むように立つ、ルクシャースの部下に声が届いた。
「トール。先週、貴方は軍人でもないわたくしを『戦友』と呼んでくれましたね? あの男に貰ったのは金ですか? これが貴方の戦友の扱い方なのですか」
不意に自分の名を呼ばれた男。火刑台の下でM1903スプリングフィールドを握るトールの肩が、びくりと震える。彼は自分の掌と彼女の顔を交互に見つめ、呼吸を乱していく。
「俺は……何を? なぜ彼女が縛られているんだ? 先週、俺たちは確かに救われたはずだろ」
彼の顔は自らの愚行に青く染まる。頭を押さえながら、さっきまで自分が何をしていたのかを必死に思い出そうとしている。
「貴方たちもそうです。ずっと、わたくしと共に暮らし、助け合って来た。あれだけ聖女様と呼んだわたくしを、火にくべようとしているのですよ!」
「おい、何やってる! 聖女様を下ろせ!」
「お、俺たちはいったい何をしていたんだ!」
群衆が火刑台によじ登ろうと、わらわらと動き出した。
「お、お前ら何やってんだ! 早く群衆を止めろ!」
ルクシャース大尉が大声で叫ぶ。
――カチャリ。
その額にトールがライフルの銃口を押し付ける。
「お前がやったのか……」
「トール……。お、おい、落ち着け」
氷のように冷たい言葉を吐くトールの目には、深い憎しみの色が宿っていた。周りの元部下も全員がルクシャースに銃口を向けていた。
あと少し。ほんの少し遅くなっただけで、自分たちは聖女様を自らの手で殺していたのだ。こんなことが許されていいはずがない。
「怪しげな魔法で俺たちを操った、この悪魔を燃やせ!!」
「お、おい。目を醒ませ。やめろ――!」
解放された少女アメージアは、手首に残る縄の跡をさすりながら俯く。額から血の滴る彼女の顔を見た群衆は、思い知る。
自分たちの愚かさ。
そして、罪深さを。
アメージアは火刑台の前方に静かに立っていた。
拷問で潰された彼女の足指を見て人間たちは息を呑む。
彼女は凛とした空気を纏い、群衆を見下ろした。惑わされ、自らを焼こうとした人間たちを。
人々は自然と片膝をついた。贖罪。
それが彼らを動かす。 ベセスダ噴水の上では、翼を広げた天使の像が彼らを心配そうに見下ろしていた。
誰かが顔を上げる。
オレンジに瞬く光輪に包まれ、優しく微笑む少女がいた。
揺らめく赤と橙の光が少女の輪郭を包み、まるで天使の光が彼女に降り注いでいるかのようだった。
人びとは、その天使の光が自らの罪と穢れを浄化するのを、確かに見た。
もっとも、その光を放っていたのは――。
炎に包まれ、絶叫するルクシャースだった。
人間たちは涙を流し、歓喜した。
聖女だ、と。
やがて、人間たちは集い、その群衆が群衆を呼んだ。
それは、彼女たちエルフがエンパイアステートビルの最上階に降り立ってから、わずか三日目の出来事であった。
◇
ふた月後、アメージアは火刑台よりもずっと高い、連邦議会議事堂の東正面に立ち、宣誓することになる――。
『この世界の偉大な指導者、エイブラハム・リンカーンは、かつてこう言いました。
「わたくしたちは敵ではありません。友なのです。敵であってはならないのです」
そう、わたくしたちは手を取り合い、一つとなるのです』
AD1931.7.4
RN0001.1.1
プルメリア国初代大統領
アメージア・Y・バイツリン
そして――99年後。
物語が、始まる。




