black side 7
午前三時すぎ。
店の二階で、俺はソファに座っていた。
百階の準備は、ほとんど終わっている。
柴田が調べたことも聞いた。
牙狼たちとも話した。
あとは装備を揃えて、全員の都合を合わせればいい。
スマートフォンが震えた。
ソファに倒れ込みながら画面を見る。
ハイネのアイコンが出ている。うぉ! ハイネだ! メッセージだった。
俺はイヤホンをつけて、テキスト読み上げ機能を使う。
少し間があって、読み上げ音声が流れる。
『黒。今、伊勢佐木の店いるかな?』
ハイネに似せた声が聞こえてくる。
自分で設定した。いや、正確には、柴田にこっそり手伝わせた。
声の高さ、速さ、抑揚、語尾。
柴田に頼んだら、AIだのなんだの使って、かなり細かいところまで調整してくれた。
もちろんハイネ本人には言っていない。
絶対に言わない。柴田も墓まで持っていくと言ってくれてる。
『黒。今、伊勢佐木の店いるかな?』
もう一度流す。……似ている。かなり。悪くない。
柴田や牙狼のテキストまで全部ハイネの声になるのだけが不便だ。
俺は音声入力を開いた。
「まだいるぜ」
送る。
すぐに返事が来た。
『今から行くね!』
「来んな」
送信。数秒。既読。
返事はない。
「……」
え、来ないのか?
いや。嘘だろ。
嘘だ、来いよって、もう送らないと!
俺は焦ってスマホをわちゃわちゃ触るが、よく分からなくなる。俺はこのスマホってやつが苦手なんだ。
返事は何も来ない。
柴田も摩耶も今はいない。
「……くそ、どうしたら」
立ち上がった。テーブルを見る。汚い。昨日の飲み散らかしたグラスやらが残っている。ソファを見る。クッションが曲がっていた。
「おい、てめーら来い!」
俺は二階のフロアから下の階へ向かって叫んだ。
急いで店のスタッフが二人走ってくる。
「客。大事な客が来るからよ、速攻でこの辺片づけてくれ」
「「はい」」
俺はイヤホンをつけ直して廊下へ向かう。
もうハイネに電話しよう。
そうだ。その方が早い。
窓ガラスに映った自分を見る。服を直す。髪が少し跳ねている。手で直す。黒いシャツ。別におかしくない。
「何やってんだ俺。はぁ、さっきはごめんねって言えば……」
階段下から声がした。
「いいよ、許すよ!」
「うわっ!」
振り返る。
白い耳。
ハイネが立っていた。
「びっくりした?」
「何でいるんだよ!!」
「来たから」
「だよなぁ……」
俺は力が抜ける。
「うん」
「なんか飲むか?」
「美味しいやつ!」
「おい、美味しいやつくれ!」
片づけてくれたスタッフにそのまま言うと、ドレッドヘアのそのスタッフは親指を上げて、にやっとしてから降りていった。
「まあ、なんだ。座れよ」
「来ちゃダメだったかな?」
違う。むしろ毎日来い。
何で変なこと言っちゃうんだろ、俺。
「……勝手にしろ」
「じゃあいるね」
ハイネが笑って、いつもの場所に座った。
よかった。
……。
俺も座る。
「で、何しに来たんだ? 何かあったか?」
「黒に会いに来た、じゃダメかな?」
心臓が一回、変な動きをした。
良いに決まってんだろ。
「……暇なのか」
「まあまあ」
「じゃあ帰れ」
いや、帰るな。
本当に何でこうなる。
ハイネは気にした様子もなく、スマートフォンを取り出した。
「ねね。これ見て」
画面をこっちへ向ける。
筆で大きく何か「文字」が書いてある。
「読めないの、知ってるよな……?」
「知ってるよ」
「おい。じゃあ説明しろ」
「『復活』だよ」
「何が?」
「白から来たの」
――ああ。
白ね。はいはい。
九十六階で死にかけたらしい。
探索者をやめるかもしれないと言っていた奴。
SNSでぼろ糞に言われてるって、摩耶が言ってたな。高校生のくせに無茶したとか。エルフの血があるから特別扱いされたんじゃないか、とか。
くだらねえ。
「そいつは元気になったのか」
「多分」
「多分?」
「これしか送ってこなかった」
「意味分かんねえな」
「白っぽいよね」
いや、知らん。ハイネが嬉しそうなので、まあ、よかったんだろうな。
「白、また登るのかな」
「知らねえよ」
「どう思う?」
「知らねえって」
「でも黒、この前ちょっと気にしてたじゃん」
「いやしてねーし、本人に聞けよ」
「あ、そだね」
ハイネがうんうんと頷いている。
それで終わると思った。……だが、ハイネは少し考えて、何かが閃いた顔をしたあと、向き直って首を傾げる。
「……なんて?」
「は?」
「何て聞けばいいかな?」
「俺に聞くなよ」
「だって分かんない。黒なら、何て聞く?」
何だそれ。
「普通に聞けばいいだろ」
「普通って?」
面倒くさいな……。
ハイネは妙に楽しそうだ。
何か企んでる顔なのか、この顔は?
「むむ」
俺は、ハイネの顔をまじまじと覗き込む。
ハイネはニコっとしてから、細長い人差し指を自分の頬に当てた。
――くそっ、可愛すぎて何も分からねぇ。
「はやくぅ」
「ま……また登ることにしたのかよ、とかよ」
「ふむふむ、なるほど」
ハイネがスマートフォンを触る。
嫌な予感がした。
「おい」
「ねね、他には?」
「ねーよ」
「それなら……私が落ち込んでて『復活』って送ったら、何て返信くれるの?」
いや。
それは、ずるいだろ。
「……」
「そんな時、黒は何も言ってくれないの?」
ハイネは両手で目をこするジェスチャーをしながら、「えーん」と泣きまねをしている。
……何なんだよ、こいつ。
「その、よかったな。待ってたぜ、とかよ……」
言わせんな、そんなこと。
言ってから、自分の顔が熱くなるのを感じた。
「ありがとね。黒」
「お、おう」
ハイネはポチポチとスマホを操作する。
「待ってたぜ、と」
「おい、今送ったのか?」
「うん」
「誰に」
「白」
「何て」
「『黒』が、『また登ることにしたのかよ?』って」
「何で俺の名前出した!?」
ハイネが笑った。
「だって黒が言ったもん」
「お前が聞けって意味だろ!」
「ちゃんと聞いたよ?」
「俺の名前いらねえだろ!」
「黒曰く、『待ってたぜ!』」
そう言い放つと、白い耳を振り回しながら、ハイネはソファの上で笑い転げた。
こいつ、狙ってやがった。
「……お前なぁ」
「何?」
楽しそうに笑っているハイネを眺める。
まったくよ。
ハイネはいつも俺を困らせる。
◇
翌日の夜。
赤レンガ倉庫。
観光客向けの店が並ぶ一角とは別に、探索者向けの専門店が何軒も入っている。
武器、防具、魔道具、保存食、回復用品、訳の分からないもの。
高いものから怪しいものまで、何でもある。どれも高価で観光客がお土産で買うような店ではなかった。
「黒、これ見ろ!」
牙狼が叫んだ。
嫌な予感がして振り返る。
頭に変な帽子を被っていた。
耳のところから、長い角みたいなものが二本伸びている。
「何それ」
「魔物避け」
「絶対嘘だろ」
「本当だって」
澪が説明札を見る。
「特定種の魔物が嫌う臭いを出す帽子らしいよ」
「ほら!」
「文字読めねえ俺でも分かる。ダサい」
「性能の話しろよ!」
「黒も被ってみろって」
「くせーから近づくんじゃねー!」
牙狼が笑う。
その横で澪は、真面目に商品を選んでいた。
腰につける小型ポーチ、傷薬、耐熱シート、魔力灯。さすがに堅実だ。
だがポーチには熊のマークがついている。
「澪、それ何」
「滑り止めにゃ」
靴底へ貼る薄いシートを見せる。
「百階、床が壊れるかもしれないんでしょ?」
「ああ」
「足場が悪くなるなら、あった方がいいと思う」
「買っとけ」
「うん」
牙狼が別の商品を持ってきた。
「じゃあこれは?」
小さな箱。
蓋を開ける。
中に丸い玉が入っている。
「何」
「投げると五秒間、ものすごく臭くなる」
「いらねえ。どんだけ臭いアイテムが好きなんだよ」
「敵に投げれば使えるだろ」
「俺らも臭えだろ」
「鼻塞げばいい」
「お前だけ使え」
「じゃあ買う」
買うのかよ。
俺は棚を見て歩く。
探索者向けの道具は面白い。馬鹿みたいなものも多い。虫除け、簡易シャワー。
「……これは便利だな」
澪が笑う。
「黒、そういうところ普通に便利さを選ぶよね」
「便利なものは便利だろ。澪も好きなものカゴに入れろ」
俺は買い物カゴへ入れる。澪も目当てのコーナーへ向かう。
次の棚。
小さな黒い箱が置いてある。
ボタンを押すと天井に光が広がった。
星だ!
夜が広がったように見えた。
「……」
夜空みたいな光が、店の天井に映る。
「それ何?」
澪が戻ってきた。俺は箱を手に取るが説明は読めない。
「何これ」
澪が札を見る。
「携帯用星空投影機。長期探索時の精神安定、睡眠補助用……だって」
「へえ」
「欲しいの?」
「いや、別に……」
澪がカゴへ入れる。
俺はそれを見て頷いた。
牙狼が見ていた。
「欲しいんじゃん」
「うるせえ」
「黒、星好きなの?」
「かっこいいなと思っただけだ」
星のことなんて知らない。
でも。
少しだけ。
あの人の顔が浮かんだ。
――俺は、『闇』じゃなくて『宇宙』なんだって。
あの人は、そう言った。
意味はまだ、分からないままだけど。
◇
店の奥は、装備品だ。ここからは遊びじゃない。耐魔力素材、予備武器、魔力回復薬。
「綺麗だね」
澪が目を輝かせる。
彼女の大きな瞳には、赤や青の透明なクリスタルがショーケースの中で輝いているのが映る。
治癒魔法が封じられたクリスタルには、中級と上級治癒魔法が誰にでも使える状態で入っている。
上級のヒーラーが作るものらしい。
凄いものだが、当然値段もヤバく、厳重なケースに入れられていた。
「買ってくぞ」
俺は店員を呼び出し、中級を一人五個ずつ、上級をチームで三個買った。
これだけで、新車が三台買えそうな値段だった。
◇
俺たちは会計を済ませ、店を出る。
また、潮風が鼻を突いた。
「ちょっ」
「えええ」
俺の掌にあるレシートの額を見て、澪と牙狼が大げさに叫ぶ。
「百階だからな……必要経費だ」
俺はそう言ってレシートをグシャリと握りつぶす。
「ああーー! レシート捨てちゃダメだって」
「黒、また柴田に怒られるぞ?」
「お、おう……」
そういえば、経費がどうの税金がなんのって、よく分からねえことを言われたな。
俺はくしゃくしゃになったレシートを伸ばしながら歩いた。
牙狼は買ったばかりの手甲をつけている。
澪も装備をならすため、なんだかの皮でできた軽鎧を着用していた。
前を歩くふたりの装備と二本のしっぽが揺れている。
九十八階で澪が倒れた時、嫌というほど分かった。
一人でも欠けるのは、嫌だ。
◇
近くのレストランで食事をした後、海沿いを歩く。
赤レンガ倉庫の夜景が海に反射していた。
牙狼は両手に袋を持っている。こいつのは半分くらい、いらないものだと思う。
澪が俺の横を歩く。
「黒」
「何」
「明日も準備する?」
「ああ」
「百階、近いね」
「そうだな」
少し前までは、行ける階があるなら、すぐ行けばいいと思っていた。
今は、柴田が調べて、澪が道具を選んで、牙狼が変なものを買って、摩耶が何か企んでいる。全員の準備が終わるまで待っている。
悪くない。
スマートフォンが震えた。
画面には、ハイネのアイコン。
ハイネのメッセージだ!
急いでイヤホンをつけて読み上げを押す。
牙狼と澪が俺を見て笑いあっている。どうだっていい。
ハイネの声が聞こえた。
『黒。白から返事きたよ』
また、白か。
パッと花が咲いたような俺の心は少し萎れた。
だから、しいたけのキャラクターが力なく萎れているスタンプを送った。
牙狼がにやにやと言った。
「どうしたー、ハイネちゃんか?」
「違う」
「それ無理だよ黒」
澪が笑う。
「違う。ち、が、うー」
澪が耳を動かす。
「あー、白くんの話されたんだ」
「なるほどー」
くそ、なんで分かるんだコイツら……。
「帰るぞ」
「へーい」
俺は気になってイヤホンの音量を下げた。
二人が笑っている。
最悪だ。
読み上げが続く。
『また登るって』
へー、アイツ。
結局、また登るのか。
「黒?」
澪が見る。
「何でもねえ」
スマートフォンをポケットへ入れる。
牙狼が袋を揺らした。
「早く帰ろうぜ。腹減った」
「お前、今レストランの帰り道だって分かってんのか?」
「家まで運動してるじゃん」
意味が分からない。
俺たちは夜の赤レンガ倉庫を歩いた。
百階は近い。
……白もまた登る、か。
正直、それはどうでも良い。
俺たちが先だ。




