black side 4
朝十時。
俺たちにとっては、夕食に相当する時間だ。
九十九階のチェックポイントを登録してから、九十階へ戻るまでに五日を要した。
帰路だからといって、楽だったわけではない。
休める時には休んだが、せっかくなので、牙狼たちと戦い方を試しながら戻った。
九十階に到着した頃には、全員が疲れ果てていた。
そこから下りエレベーターで地上へ戻り、昨日は店で九十九階突破と澪の復帰を祝った。
最後は最悪だったが。
そして今。
関内の二十四時間営業の定食屋で、牙狼が三人前の食事を並べていた。
摩耶と澪は、昨日の祝いのあと、そのまま帰した。
今日は俺と牙狼と柴田だけだ。
全員で集まるのは、百階へ行く日が決まってからでいい。
「お前、それを全部食べるのか?」
「五日間、まともなものを食べていないんだぞ」
「昨日、店で食べていただろ」
「あれは祝いだ。食事ではない」
「何が違うんだよ」
知らない。
牙狼に初めて会った頃は、シュっとして、いかにも餓えた狼のようで格好良かったんだよな。言わないけど。今のコイツは……。
向かいでは、柴田が食事にも手をつけず、テーブルいっぱいに資料を広げている。
百階。
次に俺たちが向かう場所だ。
白い紙には、細かな文字がびっしりと並んでいた。
見ても分からない。
そもそも、文字など習ったことがない。
子どもの頃に学校へ通ったこともなければ、誰かに教わったこともない。
だから俺が見るのは、写真と絵だ。
紙を一枚引き寄せる。
中央に、途方もなく大きな岩の塊が写っていた。
「これか?」
「はい。百階の階層支配者です」
柴田がすぐに答える。
「ゴーレム?」
「分類上はそうなっています。ただし、通常のゴーレムと同じものだと考えない方がよいでしょう」
写真を指でなぞる。
大きい。
横に探索者らしき人間が写っているが、豆粒にしか見えない。
「どれくらい大きいんだ」
「正確な全高は分かっていません」
「なぜ?」
「身体の大きさが一定ではないからです」
「は?」
柴田が別の紙をこちらへ向ける。
また文字だらけだ。
「読めないって」
「あ、失礼しました」
こいつは、時々それを忘れる。
柴田は紙を自分の方へ戻し、今度は写真を一枚抜き出した。
先ほどのゴーレムとは形が違う。
こちらは腕が異様に太い。
「同じ奴か?」
「同一個体とされています」
「形が違うじゃないか」
「床と壁です」
「何が?」
「床と壁も、こいつの身体になるんです」
牙狼が飯を口いっぱいに詰めたまま顔を上げた。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味です」
柴田は眼鏡を押し上げた。
「破壊された部分を、周囲の床や壁を取り込んで補充する。少なくとも、過去の映像ではそのように見えます」
「じゃあ、壁を全部壊せばいいじゃん」
牙狼が言う。
俺と柴田が同時にそいつを見る。
「何だよ」
「頭が悪いな、お前」
「文字も読めねぇ奴に言われたくねえ!」
失礼な奴だ。
柴田が咳払いする。
「ちなみに、それを試したチームもいます」
「いるのかよ」
「失敗しています」
「ほらな」
「何が『ほらな』だ!」
牙狼がうるさい。
俺は次の写真を見る。
床が大きく抉れている。
その奥に、虹色の亀裂が走っていた。
「これは何だ」
柴田の表情が変わった。
「『狭間』です」
「狭間?」
「はい」
「落ちたら?」
「どこへ飛ばされるか分かりません。ランドマークタワーの別フロアです。ただし、壁の中や溶岩の中に転送されたという記録もあります」
「それ、死ぬじゃん」
牙狼の箸が止まった。
「ですから危険なんです」
柴田の声が少し上がった。
こうなると長い。
「組合が配布している百階の基本資料には、階層支配者の能力について大まかな説明しかありません。ただ、過去の攻略映像と撤退者の証言を照合すると、戦闘が長引くほど床そのものの損傷が広がっています」
「うん」
「そして、狭間の発生数も――」
「柴田〜」
「はい」
牙狼が口を挟む。
「長い」
「まだ三分の一です」
「……もっと短く」
柴田が露骨に嫌そうな顔をする。
「……戦闘が長引けば、床に狭間が増えて、逃げ場が減ります」
「最初からそう言え」
「だから、その理由を説明しているんです!」
本当に面倒な奴らだ。
でも。
助かっている。
紙に書かれていることだけではない。
柴田は、その先まで自分で調べる。
昔の映像。
生きて帰った探索者の証言。
失敗した連中の記録。
組合が資料に載せていないことまで拾い上げて、俺たちに教える。
俺は文字が読めない。
牙狼は読めても、多分読まない。
だから、柴田がいなければ分からないことは多い。
「じゃあ結局、どうすればいい」
聞くと、柴田は待っていたとばかりに眼鏡を上げた。
「まだ結論は出していません」
「出ていないのかよ」
「出ていないから調べているんでしょう!」
牙狼が笑う。
「黒、怒られてんじゃん」
「うるせえ」
◇
「聞いた? 百階ですって」
隣の席から声がした。
女の声だ。
俺は写真から顔を上げた。
一つ向こうのテーブルに、三人が座っている。
金髪の女。
優しそうな顔をした男。
それと、やたら日に焼けた老人。
家族か?
金髪の女は、やたら耳が長い。
……エルフだ。
この辺りでは珍しくないが、妙に目立つ三人だった。
「お義母様のお墓参りも終わりましたし、このあとどうします?」
金髪の女が言った。
「どうするも何も、もう飯を食っているだろう」
老人が刺身定食を食べながら答える。
「そういう意味ではありません」
優しそうな男が笑う。
重い雰囲気ではない。
墓参りというより、三人で出かけた帰りに飯を食っているだけに見える。
テーブルの上に広げた写真でも見えたのか、金髪の女がこちらを見た。
「白も百階を目指しているのよね?」
手が止まった。
白。
またその名前だ。
「そうだったか?」
老人が刺身を口に入れながら答える。
「お父さん、白の話をちゃんと聞いています?」
「聞いとる。百階だろ?」
優しそうな男が苦笑する。
「それだけではないじゃないですか」
「百階まで行けば十分だろ」
「そういう話ではなくて」
三人とも、タワーのことをよく分かっていないらしい。俺たちが九十九階まで行って、そこから九十階へ戻るだけでも五日かかったと言っても、多分ぴんと来ないタイプだ。
金髪の女が、少し声を落とした。
「……でも、隣の人たちも百階を目指しているのでしょう?」
丸聞こえだ。
「白のお友達だったりして」
俺は思わず横を見る。
金髪の女と目が合った。
すぐに微笑まれた。
何だ、こいつ。
知らない奴と目が合っただけで笑う意味が分からない。
俺は前を向いた。
「黒?」
柴田が言う。
「何でもねえ」
隣では、まだ話が続いている。
「白の友達なら、一度くらい家に連れてきてもいいのにな」
老人が言った。
「白にもいろいろありますから」
「何だよ、陽介。友達くらい連れてくればいいだろ」
「そろそろ女の子でも連れてきそうな年頃ではありますね」
「何を言ってる、白にはあの娘がおるじゃろ」
陽介。
優しそうな男は、そういう名前らしい。老人の言葉に苦笑している。
「アロージアはどう思う?」
「私もお友達にガールフレンドにも会ってみたいわ」
金髪の女はアロージアか。
妙な名前だ。
エルフだからか。
「でも、白のお友達にしては……」
アロージアがちらっとこちらを見る。
目が合う。
また笑った。
微笑んだ、と言うのかもしれない。
「……ちょっと、怖そうね」
聞こえているぞ。
牙狼が口いっぱいに飯を入れたまま言った。
「黒のことじゃね?」
「お前だろ」
「何でだよ!」
アロージアたちの席から、小さな笑い声が聞こえる。
でも。
嫌な感じはしなかった。
何なんだ、あの三人。
◇
「写真だけ見れば、普通の岩ですからね」
柴田が話を戻す。
「ただし、問題はここです」
また写真を差し出す。
俺は受け取った。
「ここ?」
「はい」
「分からん」
「この部分です」
指で示される。
ゴーレムの胸。
黒い穴のようなものがある。
「弱点?」
「分かりません」
「じゃあ、何で見せた」
「分からないものを、分からないままにしておく方が危険だからです」
なるほど。
面倒くさいけど、正しい。
「別の映像では、この穴がない個体も確認されています。身体を作り替える際に、位置が変わる可能性もあります」
「なら、弱点じゃねえじゃん」
牙狼が言う。
「だから調べているんです!」
また怒られている。
俺は写真を重ねた。
「とりあえず、次は百階だ」
「はい」
「急ぐ必要はねえ」
牙狼が俺を見る。
「お前が言う?」
「何だよ」
「九十九階まで一気に来た奴が」
「百階は別だろ」
階層支配者。
ここまでの敵とは違う。
「万全の状態で行く」
それだけ言った。
柴田が小さく頷く。
牙狼は何も言わず、残っていた飯を口へ運んだ。
◇
隣の三人が立ち上がった。
先に老人がレジへ向かう。
その後ろを陽介とアロージアが歩く。
アロージアが俺たちのテーブルの横を通り過ぎる時、またこちらを見た。
今度は目が合っても笑わなかった。
代わりに、写真の山を見る。
「百階、頑張ってくださいね」
いきなり言われた。
「……は?」
「白も目指しているので……」
「アロージア、行くよ!」
「ごめんなさいね。ごきげんよう」
それだけ言って、陽介の後を追っていく。
何だったんだ、あいつら。
陽介が振り返り、軽く頭を下げて出ていった。
「……」
牙狼が箸を止める。
「変な奴らだったな」
俺は返事をせず、残っていた写真を重ねた。
柴田が眼鏡を押し上げる。
「あれは……」
「何だ」
「もしかして、あの白くんの身内なのでは?」
「そうなのか?」
俺はさっきのエルフの顔を思い出す。
牙狼は興味無さそうにメニューを読みはじめた。
「確かではありませんが、会話内容からすると……。それに白くんはハーフエルフという話ですからね」
「あー、ガキ頃ハイネが言ってた気がするな」
「ネットニュースにもでてます。写真もありますよ、見ますか?」
「いいよ別に」
俺は知る必要は無いと思った。
俺もそうだが、報道されてるんだ。調べたら情報が転がっているだろう。だけど、どうにも調べる気がしない。ま、俺は読めないしな。
なのに。
金髪。
長い耳。
妙に人の良さそうな男。
朝から刺身を食べていた、うるさい老人。
三人の顔が、頭に残った。
白はああいう顔してるのかな?
◇
店を出る頃には、昼が近づいていた。
眩しい。
俺には夜の方がいい。
牙狼が大きく伸びをする。
「帰って寝るわ」
「おう」
「百階、いつ行く?」
「決まったら呼ぶ」
「了解」
牙狼が駅の方へ歩いていく。
柴田はその場に残っていた。
「柴田は?」
「図書館も開いていますし、このまま調べに行きます」
「まだ調べるのか?」
「当然です」
「もういいだろ」
「良くありません」
即答。
「百階ですよ」
「知ってる」
「黒さんは写真を見れば済みますが、僕は全部読まなければならないんです」
「好きでやってんだろ」
「まあ、そうですが」
認めるのかよ。
柴田が鞄を持ち直す。
「それと」
「何だ」
「さっきの三人」
「あ?」
柴田が僅かに笑った。
「向こうも、僕たちを変な人たちだと思っていそうだな、と」
「どうでもいいって」
俺は歩き出した。
数歩進んでから。
店を振り返る。
もう三人の姿はない。
白。
また、あの名前だった。
どこにでも出てきやがる。
「黒さん?」
「何でもねえ」
俺は眩しい昼前の光に背を向けた。
これから少し寝よう。
白が今どこを登っているのかなんて。
俺には、関係なかった。




