第60話:火の玉豪速球
「間違いないわ。それは恋よ!」
放課後、オカマバー夜光蝶を訪れた愛彩に、マスターのかおるが断言した。
愛彩と母親との関係は以前より改善しているが、彼女は週に2回、開店時刻までの夜光蝶通いを続けている。これは彼女の希望によるところが大きかったが、かおるもまたそれを好ましく思ったからでもあった。
今はこの交流は「学習塾」という体裁になっていて、低額ながら月謝も納められている。博識なかおるは実際に勉強を教えているのだが、理解の早い愛彩は教える相手として実に手応えがなく──世間話や相談ごと、時に哲学紛いの談議などが滞在時間の多くを占めていた。
冒頭の発言は、愛彩が花園君に対して抱く「心のざわつき」を相談したところ発せられたものだ。
「恋って、なんかもっと、キラキラしたものだと思ってた。こんな、不安定な変な気持ちだったのか」
「恋は一言でどんなもの、と言えるほど単純なものではないわ。でもね、その人のことがいつも心から離れないって、相手を恨んでいるようなことでもない限り、大抵は恋なのよ」
「花園先輩を恨んでは……変な噂が流れたり嫉妬した子から嫌がらせされたりするのは迷惑だけど」
「その嫌がらせは普通にいじめだから先生に相談するといいわ。言えないなら塾講師が生徒から相談されたって体で私が学校に連絡しても良いわよ」
「ちゃんと自分で言う」
「ならいいわ。はあ〜、その花園君も自分の恋に無自覚なんでしょ?無自覚同士の初々しい恋……ときめくわぁ」
カラン カラン
そんな時、不意に店の扉が開けられた。
「マスター、今日は臨時休業?」
入って来たのは常連の赤井だった。
「あらやだ、開店時間、過ぎてるじゃない!愛彩ちゃん、話はまた来週ね」
「あ、愛彩ちゃん!?」
驚いた赤井が素っ頓狂な声を上げる。声が裏返り、赤井は唇を噛んで頬を真っ赤に染めた。
「あっ、赤井さんこんばんは。ケガとか無かった?日曜日は巻き込んでごめんね」
愛彩は神妙に謝った。
「べ、別に、大丈夫だったよ。こっちこそ、頼りになりゃ、ならなくてごめん」
赤井の返答はまるで息も絶え絶えだ。ザイニンデショーン事件のとき、変身した愛彩に「女性」を意識させられた彼は酷く動揺していた。
愛彩は荷物をまとめて席を立つと、赤井に近付いて少し腰を落とし、間近から赤井の顔を覗き込んだ。
「本当に大丈夫?」
赤井は顔を青くしたり赤くしたりしながら後ずさり、カウンターの椅子にぶつかった。椅子が1脚倒れて大きな音を立てた。
「はあぁ、愛彩ちゃんには少し教育が必要ね。まったく無自覚というのは……ピュアだけど危ういわ。でも今日は時間切れ。早く帰りなさい」
「はあい。お休みなさい、かおるさん、赤井さん」
見かねたかおるが声をかけると、愛彩は素直に帰宅した。
カラン カラン
彼女が閉めた扉が小気味良いドアベルの音を鳴らすと、かおるは怖気を感じさせる笑顔で言った。
「相手はまだ13歳よ。分かっていると思うけど、妙な気を起こすなら…………覚悟せえよ?」
赤井は目を逸らしながら答えた。
「分かってるよ……畜生、あのガキ発育が良すぎなんだ」
「身長も負けてるものねえ……」
「うるせえ!ハイボールくれ!」
「はいはい。今日は楽しい夜になりそうね」
「ケッ」
大発展通りの片隅で、酔いつぶれた赤井が路地裏のゴミ箱と一体化するのはその6時間ほど後のことである。
◆
翌週。
「おはよう」
「あっ、愛彩ちゃんおはよう!」
愛彩が挨拶しながら教室に入ると、舞の声がやけに大きく響いた。他に誰も挨拶しなかったからだ。
愛彩はぐるりと教室を見渡した。事態をよく飲み込めていない舞の、困惑した表情が見える。愛彩は静まり返った教室によく聞こえる声で宣言した。
「わたしと花園先輩の関係性に嫉妬した人がいるから、わたしをみんなで無視したり嫌がらせをしようとしたりしている。何度も言っているけれども、わたしと花園先輩の間には今は何もない」
愛彩は一度口を閉じてもう一度教室を見回した。舞が両手を口に当てて驚いている様子が見えた。
「どうもわたしは花園先輩に恋をしたらしい。このままでは嫉妬した人に都合の悪いことになるかもしれないし、嫌がらせが続くならいじめられたって先生に言う。どうする?」
教室の静まり様は、凍てつくほどだ。やがて、その一角からすすり泣きが始まった。
「……なんで。私の方が、前から花園先生のことが好きだったのに……」
愛彩は困った表情を見せたが、落ち着いた声で言った。
「分からない。わたしはこの気持ちが恋かどうかもまだ確信できない。好きだって思うなら、すぐ行動したほうがいい」
女子生徒は声にならない悲鳴を上げて愛彩につかみかかる。だが、長身で体幹も強い彼女はびくともしなかった。それで、半狂乱で叫んだ。
「やってやるわよ!吠え面かくなよ!」
そして教室から駆け出して行く。
「残酷ね。色恋なんて下らないことに、全くよくやるわ」
ローザの声が呆然とした空気が支配する教室に落ちた。愛彩はつかまれて乱れた制服を整える。
「事実を言っただけ。言わないほうが酷い」
教室を飛び出した女生徒は見事に玉砕してその日は教室に戻らなかった。
(愛彩ちゃん、何だか分からないけど凄い)
舞の感想には、多くのクラスメートが同意したことだろう。愛彩への嫌がらせはこの件を境にピタリと止んだ。
代わりに彼女は陰で「豪速球」というあだ名で呼ばれることになる。
玉砕した彼女は紅明が探していたデショーン素体の筆頭候補だったのだが、デショーン化させられる前にポッキリとその恋心を手折られてしまった。
【タイトルのネタ元】
阪神タイガース監督(2025年〜)、藤川球児氏の現役時代の投球を評した言葉「火の玉ストレート」




