第57話:高額機動車椅子 THE GIRL IN THE SHELL
ガシャーン!
「くぅっ!──はあはあ──どうしても、うまくいきませんね……」
その日の夜、広い倉庫に衝撃音と施恩の苦痛の声が響いた。
「施恩様!」
「大丈夫ですか、施恩!?」
施恩専属の運転手である渋井と、父親の誠一郎が駆け寄ろうとする。施恩──魔法少女モビルテイミングシオンは上半身をよじり、背中を床に着けながら答えた。
「酷いクラッシュでしたが、変身は解けていませんから、ケガはありません。立ちますから離れてください」
そして左右の太腿の横から突き出したスティックを操作すると、彼女の「脚」が機械音をたてながら動き、仰向けで膝を立てた姿勢になった。そして、彼女が腹筋を使って体を丸めると同時に脚の先端に取り付けられた車輪が唸りを上げて体を引き起こし、しゃがんだ姿勢で安定する。
「無理をしてはいけませんよ、施恩」
誠一郎が近付き心配そうに声をかけると、施恩はスティックを操作して直立姿勢になりながら言った。
「大丈夫です。またケガをしても、千道さんが治してくれます」
「なんてことを言うのですか!」
誠一郎が大きな声を出したので施恩は動きを止めて父を見た。誠一郎は続けた。
「治すことができるからケガをしても良いだなんて、あなたは自分の体を何だと思っているのですか!そのようなことを考えていたら、人間ではなくなってしまいますよ!」
「でも!一刻も早くこのモタルドスティードを使えるようにならないと、紅明さんと戦っても勝ち目がありません!」
「落ち着きなさい。それは未完成品なのです。おとなしくブルーアローの再生を待ったらどうですか」
「ブルーアローは既に紅明さんに敗れました」
「それは早計ですよ。あなたも分かっているでしょう、あの敗因は彼女に各個撃破を許したことが大きかったはずです」
「それはそうですが……」
施恩は下を向いて黙った。
◇
倒立振子というものがある。
棒を指先に立てて、倒れないように支える。これは制御工学でよく取り扱われる題材で、たとえばロケットが思い通りの方向に飛ぶのは「倒れないように」制御されているからだ。
これと同じ制御で、左右に2つの車輪を持つ乗り物に人が立って乗り、前後にバランスを取りながら走行することができる。
さらに、この車輪を2系統用意し、一方の系統でバランスを取りながらもう一方を適当な方法で別の位置に着地させるような運動をすれば「歩行」が可能だ。階段の昇降もできる。
モタルドスティードはこのようにして、2輪×2系統の制御系で段差を乗り越えたり、背伸びをしたりできる高機動車椅子だ。そして魔法少女への変身にあたっては、車椅子は脚型に変形して施恩の両下肢を覆う形に変形合体する。両足に1系統ずつの車輪を魔導機関で駆動することで、高速と高機動が実現される……はずだった。
しかしこの方式は、前後には安定していても横方向への安定性に欠ける。足首で車軸の向きを変えられるようにすることである程度の安定性は確保できたが、脚を左右に開いたり傾けたりしないと戦いには耐えられそうにない。そして、自動的な脚の傾斜や開閉のシステムは未完成だった。
ブルーアローを失い、未完成のモタルドスティードを手にした施恩は自分のゲーマーとしての腕に賭けた。
ロボットの3次元的機動を操作するのに理想的なガッチャスティック。これを使い、自分で脚の運動を指示する──いわば自分自身を制御装置の一部として使おうというわけだ。
彼女は今、その練習に明け暮れていた。
倉庫内には階段や狭い通路、瓦礫を模した障害物などが配置され、彼女はその中を所狭しと駆け回り──そして激しく転倒した。
訓練は彼女が力尽き変身が解けるか、モタルドスティードが故障するまで連夜続けられている。
「お父様、連携の強化は、今日、舞ちゃんと千道さんとで訓練していい感触が得られていますし、友梨佳さんが復帰すれば舞ちゃんとの連携はある程度できています。でもブルーアローのスピードでは他の方との連携には限界があるので……モタルドスティードの高機動性は、私にとって必要なのです」
「それはそうかもしれませんが、今の施恩はどう見ても頑張りすぎです」
そう言う誠一郎の顔つきは傍から見ればまるで施恩に因縁をつけているように凶悪だったが、彼女はそれが父の困った時の顔だと知っていた。彼女はフッと表情を緩めた。
「分かりました、お父様。平日の訓練は1日2時間で止める。これでどうですか?」
「……」
誠一郎は腕を組んで難しい顔をする。施恩は続けた。
「この訓練、必要だからしているというだけではないのです。まるで自分の脚で走っているようで、楽しくて嬉しいのですよ。ねえ、お父様、練習してもいいでしょう?」
「……ズルいですよ。そのように言われてしまってはダメとは言えないではありませんか。いいでしょう施恩さん、決して無理をしないこと。約束ですよ」
「はい。それから、明日からモタルドスティードは学校でも使って構いませんか?今日はもう訓練は終わりにしますし、先ほどの転倒でも特にダメージはなかったようです」
「好きにしなさい。ただし、変身する時のドッキングは当面は控えてください。渋井さん、積載方法はブルーアローと同じですから、車に積んで帰ってください。お願いしますね」
誠一郎の傍らにいた渋井は苦笑しながら答えた。
「かしこまりました、旦那様。それにしても、相変わらず施恩様には甘いことでございますな」
「仕方ありません。世界一可愛い娘なのですから。施恩さん、照明を落として戸締りしておきますから、先に帰ってください」
施恩は顔をパッと赤らめた。
「ズルいのはどっちですか……」
施恩は変身を解き、車椅子形態に変形したモタルドスティードに乗って渋井とともに倉庫を出た。
◇
「自分の脚で走っているよう、ですか」
誠一郎はボディガード兼運転手の田岑が戸締りを申し出たので、それを車で待ちながら殊更に上機嫌だった。その浮かべる笑みはあまりにも見た目が邪悪で──
「しゃしゃち、うお!」
「な、何ですか!?」
車に戻った田岑は、誠一郎の凶相には慣れているはずなのに吃音と悲鳴が混じったおかしな声を上げ、誠一郎もまたそれに腰を抜かすというちょっとした事故が起きた。
【タイトルのネタ元】
サイエンスSARU制作のアニメ「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」(2026年)
なお、モタルドスティードの綴りはmottled steed、斑の駿馬です。モビルテイミングシオンは両脚の先端がセグウェイになっているようなものとイメージしてもらえればと思います。また、2系統の倒立振子で制御された車椅子iBOTはセグウェイと同じディーン・ケーメン氏によりセグウェイに先だって開発されていました。




