第41話:少し……頭冷やしたほうがよいのではありませんか?
クレアー・ヨ・ヴァーサナー、そう名乗った紅明はゆっくりと首を回して建設現場を見渡した。そして、自分からは一番遠い位置にいた愛彩に目を止めた。
『ユビキタス・マリス』
そう告げると、紅明の姿がブロックノイズにかき消される。そして、愛彩のすぐ目の前の空間が揺らいだかと思うと、初めからそこにいたかのように紅明が現れた。彼女は愛彩の顎に巨大なスプーンの先を宛がった。
『私、あなたみたいな子、大嫌いなの。天然の振りして、どうせ、自分は他とは違うって周りのことを見下してるんでしょう?』
紅明がスプーンをジリ、と突き立てると愛彩は後ろに飛び退いた。愛彩はゴクリと喉を鳴らすとようやく口を開いた。
「先輩、どうなっちゃったの?」
『見ての通り、魔法少女を辞めたのよ。あなたも罪人の私を、陰で軽蔑していたに決まっているわ。でもね、私はもう、叩かれる側に立つのはゴメンなの。だからね……あなたを叩くわ!』
そう言い放った紅明は、素早く踏み込むとスプーンを薙ぎ払った。
「ああっ!」
愛彩は横殴りに張り飛ばされて吹き飛んだ。彼女は担いでいたジェンメイをとっさにかばいながら地面に落ち、砂煙を上げながら滑った先で力尽きた。変身が解除され、気を失ったままのジェンメイと折り重なるようにダウンする。
『ふん、他愛もないわね』
そして、着いてきていた赤井を流し目で見た。
『あなたも罪人ね。感覚で分かるわ』
赤井は黙って下を向いていた。紅明が放った『あなたも罪人の私を、陰で軽蔑していたに決まっているわ』という言葉は、赤井の心の一番深くで抱いていた恐れを暴き出していたのだ。
『ウジウジして気持ち悪い男ね。自分を悪と認めて、悪意に染まれば楽になれるわよ』
そう言い残すと、今度は驚いてこちらを振り返っている施恩の方を向いた。
『ユビキタス・マリス』
◇
ふわり
今度は空中に浮かぶ施恩の「目の前」に紅明が現れ、重力を無視するかのように宙にとどまった。
目をみはり、言葉もない施恩。紅明は空中で姿勢を変え、何もないところに腰を下ろすと脚を組んでみせた。
『ユビキタス・マリス……今の私はネットのどこにでもある悪意そのものなの。どこにでもあって、どこにいるか分からない。ここにいて、ここにはいないの。賢い賢い「施恩ちゃん」には、ちゃんと分かるんじゃないかしらぁ?』
施恩の表情から驚きの色が消え、その目が剣呑な光を帯びる。左右に控えるエテクーン、バードの2体のスレイブも臨戦態勢だ。
「施恩ちゃん、ですか。そのようになってしまったあなたから、そう呼ばれるのは不愉快ですね。紅明さん、あなた、少し頭を冷やしたほうがよいのではありませんか」
施恩のバイザー内で複雑なパターンに光が明滅する。
「プログラム完了!行きなさい!エテクーン、バード!」
子ザルのようなエテクーンが素早く紅明に突っ込むと、紅明は空中をクルリと回って回避した。エテクーンは空中を蹴って反転し、再び飛び掛かるが、またも回避されてしまう。そんなことが何度か続いた。
『むだよぉ。私、その子の動きが見えちゃってるんだもの』
施恩の口角が片方、持ち上がる。
「そうかしら?」
その時、紅明の死角からコッソリと忍び寄っていたバードが飛び出した。
バードはレトロゲーム「脱出 ― Prisoners of the Warship」のキャラクターだ。そのゲームの特徴は、敵の武器を奪って使用できることである。
『あら、盗られちゃった』
バードはあっさりと巨大スプーンを奪い取る。そして、エテクーンのアシストで高く飛びあがると、スプーンを振り上げて紅明を打ち据えようとした。
だが、紅明は突然重力に引かれて落下し、結果としてそれは空振りになる。
タンッ!
1メートルほど落下して着地した紅明は、深く折った膝をゆっくりと伸ばして立ち上がる。施恩は紅明に合わせるように地面スレスレまで降下した。スレイブ2体は施恩の両脇で待機状態だ。
「武器は奪いました。どうやら、空中浮遊も、空間転移も、スプーンなしにはできないようですね」
『そうね』
紅明はどうでも良さそうに答えた。
「余裕そうですね。ですが、こうしたらどうですか?……バード!」
施恩の指示で、バードがスプーンを空中高くに投擲する。その先には、フラコンを通して作戦を共有していた友梨佳が待っていた。
「よし、キャッチしたぜ!このまま持っておくから、そのバカの目を覚ましてやれ!」
スプーンをつかんだ友梨佳は空中でホバリングして待機する。施恩のバイザーが再び複雑に明滅し、2体のスレイブに再びプログラムが書き込まれた。
「エテクーン!バード!プログラム実行!」
エテクーンが紅明の周囲を飛び回りながらキックを浴びせ、その間を縫うようにバードが拳を突き込む。紅明は腕をクロスさせて攻撃に耐えている。
「空間転移できない以上、こうすれば防戦一方ですね。このまま削り切りましょうか」
施恩がそう言うと、紅明の口元が弧を描いた。
『いいえ、もう大体分かったわ』
そう告げると攻撃を掻い潜って施恩に向けて踏み込む。
「しまっ、パターンを……!?」
複雑にプログラムされた攻撃パターンを読まれたことに驚愕する施恩。紅明は大きく拳を振り上げた。
『はあああぁっ!食らえぇっ!』
ガキン、カラカラ……プシュー
「ああっ!ブルーアローが!」
紅明の拳が突き刺さり、施恩を支える金属のドレス、ブルーアローのパーツが飛ぶ。パーツが欠けた部分からは何か煙のようなものが噴き出した。
施恩はグラリと姿勢を崩し……しかし、機能が保たれたノズルから一際明るく光の粒子が放たれる。
『残念。割としぶとくできているのね?でも、私のパワーで壊せると分かったわ。いつまで保つかしら?』
(愛彩さんはダウン、舞ちゃんはショックですぐには動けなさそうですね……友梨佳さんと共闘しなければ勝てないかもしれませんが……あのスプーンを紅明さんに近づけるのは危険な気がしてなりません……)
挑発的に笑いながら拳を構える紅明を前に、施恩はギリ、と奥歯を噛み締めた。
【タイトルのネタ元】
セブン・アークス制作のアニメ「魔法少女リリカルなのはStrikerS」(2007)第8話での高町なのはの有名なセリフ「少し……頭冷やそうか?」
ユビキタス・マリス:Ubiquitous malis は偏在する悪意とでもいった意味合いですね




