第30話:あらざらむ この世の外の カロリック 今ひとたびの あることもがな
新たに登場したアンチ・メントルのことを話題に上げたメントルたちは、後部座席の少女たちはぐっすりと眠っていると思っていた。だが……
(何の話だろう?)
車に揺られる舞の意識が曖昧に浮上した。アルは、それには全く気付かず話を続ける。
「リューディンが確立したのは民族衛生という概念だね。障害者や異民族を排除すれば『優れた』自分の民族の役に立つという考え方だよ。その結果、大勢の障害者や異民族が殺されてしまった。僕も異民族の1人だったから、身の危険を感じてアメリカに逃げ込んだんだ」
深刻な話に、ワーヌもエディもしばらく言葉が出ないようだ。
「……なるほど、彼が障害者を排除することが合理だと言い切ったことには、そのような背景があったわけだ。本人は医師だと言っていたが、生命を観察し救うべき職業の者が特定の個体を不要と断ずるのは、科学的理性が欠如していると言わざるを得ない」
「医師というからには上流階級に属する紳士なのでございましょう?そのような方が、守るべき弱き人々を切り捨てるなど……エレガンスの欠片もない醜悪な振る舞いですわ」
「はは、彼の考え方は君たち古い時代の人間から見ても不合理かもしれないね。ただ、僕自身には、考え方自体は科学と倫理が発展する過程でのつまづきの一つに過ぎないという感覚もあるんだ。むしろ許せないのは自分でちゃんと物を考えられず人殺しを許容した当時の社会だよ。あのデショーンの手足を形作っていた紙束は、障害者に社会が支払うコストを問題視するプロパガンダのポスターだったんだ。当時の社会はそういったものを、簡単に信じてしまったのさ」
「ポスターの内容も、アンチ・メントルの言動も、意味は分かれど背景がよく分からなかったが……生産性がない障害者にコストを支払うのを止めて殺してしまえと言っていたわけだ。その論法だとご老人や不治の病に侵された者も殺すことになる。合理に見えて、憎悪を背景にした言説なのは明らかだ」
「社会の憎悪に殺されたあなたが仰ると、重みが違いますわね」
確かに、かつてワーヌを断頭台に上げたのは、貴族階級に対して社会が抱いていた怒りだった。
(ああ、紅明ちゃんが怒ったのって、そのせいだったのか……)
ぼんやりとした舞の意識に、メントルたちの会話が沁み込み……そしてまた彼女は眠りへと沈んでいった。夢うつつに聞いたそれは彼女の記憶には完全に残りはしなかったが、偏見や差別に立ち向かう意志は確実に強くなったのだった。
◇
「施恩様のお手伝いをさせていただいております私としては、少し聞き続けるのが辛い話題ですので……できれば別の話をしていただけますと」
ハンドルを握る渋井が遠慮しながらも口を開いたので、エディは扇子で口元を押さえた。
「あら嫌ですわ。私としたことがデリカシーに欠けておりましたわね。渋井、申し訳ありませんでしたわ」
「いえ、私にとっても障害者差別は許せないことではあるのです。ただ、センシティブな話題が続くことには色々と支障もございますので」
(……少し、騒がしいですね)
渋井の少々メタな発言に、今度は施恩がぼんやりと目を覚ましかけた。
「それなら、あの禁忌魔法、カロリックの仕組みの話はどうかな。あれは実に興味深い現象だったよ」
(禁忌魔法!)
施恩はパチリと目を開け、隣で寝息を立てる舞に気付き、口を開くことを何とか堪えた。
(試合の前にデショーン騒ぎがあったとは聞きましたが……禁忌魔法が使われただなんて!)
「カロリックは私が考え出した『熱』の元素だが、今となってはその考えが誤っていたことは認めるしかない。この首を落とされることさえなければ追加実験でその誤りに気付くことができたと思うのだが……とにもかくにも、魔法としてのカロリックの本質は、その実在しない元素を作り出すというただ1点に尽きる」
「そう謙遜するものじゃないよ、ワーヌ。確かに熱は元素ではないが、カロリックは熱流束の考え方の先駆けだったのだもの。で、そのカロリック元素をデショーンに投げつけたら、一瞬で凍ったと」
「熱を担うものが衝突して凍るとは、直感に反しますわね」
「その通りだね、エディ。そもそも、熱そのものであるはずのカロリックが集まって、液体でいられること自体がおかしいと思うのだけれど」
「すぐさまその違和感に言及するとは、さすがはアルだ。その通り、カロリック元素は集まれば温度が上がり、沸騰して気体になるはずだ。しかし、現実には物を加熱したからといって何でもすぐに沸騰するわけではないから、カロリック元素は集中しても気体になるわけではなさそうでもある。固体が加熱されて液体になるというのは、液体のカロリックがその中に溶けているということになるだろうね」
「なるほど、純粋なカロリック元素は液体でも固体でもあり得る、と。そうなると、その表面は温度の断層ということになりそうだね」
「どういうことですの?」
(どういうことでしょうね?)
エディと施恩は同時に疑問を抱いた。
「矛盾を解消するにはそのようであると考えるくらいしかなさそうなのだ。純粋なカロリックに温度は定義できない。これがアルがいう『温度の断層』だ」
「そうそう。でも、その断層から『少しだけこちら側』はどうなるだろう?無限に高温になるか、絶対零度になるかのどちらかではないかな?無限に高温だとするとすぐに周囲に熱が伝わる、つまりカロリック元素が外へと発散することになるから絶対零度の方だろうね。そればかりか、熱は温度が高い方から低い方へ流れるから、カロリック元素は周囲から無限に熱を奪い続ける。これは熱力学の第2法則の死だよ。放っておけば宇宙全体の熱を奪って宇宙を熱的な意味で死に導いてしまう」
「なるほど、それは確かに終焉型禁忌魔法ですわね。施恩のそれと同じですわ」
「カロリック元素の密度にもよるだろうけれども、周囲からカロリック元素を集めることで急速に体積を増して、あのような瞬時の凍結現象になったわけだ。単に凍り付いたばかりではなく、カロリック元素に押しのけられて機械的に内部から破壊されている可能性もあるね」
「うーむ、我ながら恐ろしい物質を想像してしまったものだ。ああ、もっと死ぬ前に実験して、熱の秘密も解き明かしたかったものだよ!」
(色々驚きですね。特に、私にも禁忌魔法があっただなんて……それも、宇宙を終わらせかねない危険なものが)
「カロリック元素が顕現していられる時間には制限を加えているから宇宙が終焉するようなことにはならないが、純粋な破壊力が普通ではない。軽々に使うべきではない魔法であることは明らかだ」
「だからこそ禁忌に指定されているのですわ」
施恩は静かに目を閉じた。
(私にも、そのような危険な力を振るう時が来るのでしょうか……でも……今はそれを考えるには、疲れ過ぎていますね……)
【タイトルのネタ元】
和泉式部「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」(平安中期)




