第19話:選択肢が増えるってわかってて 変身しないなんてつまんないよ
突然現れたアンチ・メントルは、つい先ほどまで愛彩の家にいた中年男だった。だが、彼女は人の名前を覚えるのが苦手だった。
「ええと、ヨーゼフだっけ?」
「なんでそんなムダに惜しい間違え方を?……わたくし、ジョセフ・マッカーシーですよお。まあ、そんなことはいいですから、さっさとそのフラコンは砕いてしまいましょう?」
「マッカーシー……アメリカで赤狩りと称して大勢の人に難癖をつけ、不幸に陥れた愚か者よ。そんなクソ野郎のことなんて放っておけばいいわ」
ローザことロザリンド・フランクリンはジョセフ・マッカーシーがアメリカで大規模に行った共産主義者排斥のための「難癖」――マッカーシズムの時代にイギリスで過ごした研究者だ。研究一筋で世情に疎かった彼女すら、彼の悪名は知っていた。
「クソ野郎ですか……そのような汚い言葉を、あなたのような美しい女性が口にするのは感心しませんぞ?わたくしはダニ以下のアカどもから偉大な母国アメリカを守るために戦ったに過ぎないというのに……メントルは偉大な科学者だとはいいますが、どうやらバカと天才は紙一重とは本当らしい」
「とりあえずおじさん、わたし、ローザと大事な話をするところだったんだけど。その話、関係なさそうだから、ちょっと後にして」
愛彩は面倒くさそうに言ったが、ジョセフはしつこかった。
「いやいや、お嬢さん、魔法少女なんてね、まともな女の子のすることじゃあありませんよ?あたしは、あなたのような良い子を助けようとして、ここに来たんです」
「ふうん。じゃあ、まともな女の子なら、こんなときどうするのがいいの?」
「それは……お母さんを応援しなさい」
ジョセフは一瞬言葉に詰まり、少し苦しい返答をした。それをローザが切って捨てる。
「言っていることがムチャクチャ……耳を傾ける価値は皆無ね。それで、愛彩、どうして魔法少女は続けないくせに、フラコンを砕きもしないの?私を生殺しにする気?」
「薄汚いメントルは喋る口も臭いですなあ……あなたもアカなんじゃあないですかぁ?」
「鏡を見てから言いなさいよ、小汚いのはあなたでしょう!」
「二人ともうるさい」
愛彩の静かな言葉に、メントルもアンチ・メントルも黙った。
「わたしは、お母さんが『全部外国人が悪い』とか、『外国人が国を支配しようとしている』とか、『ワクチンはみんなをバカにするための薬』とか言うのはおかしいって分かってた。でも、それを言ったら、お母さんの敵になってしまうと思って黙ってた。でも……そうしたら、お母さんはデショーンになっちゃった」
「ええ、そうですとも。娘さんが理解してくれない悲しみを抱えていたお母上……わたしはね、その気持ちを解放して差し上げたので」
口を挟んだジョセフを、愛彩は遮った。
「お母さんの偏見に付け込んだだけのくせに、適当なことを言わない方がいいよ。わたしがお母さんから逃げたせいでお母さんが傷ついたのはほんとかも知れないけど、それをおじさんに言われるのは気持ち悪い。すごくムカつく」
「き、気持ち悪いですと!?」
終始ニヤニヤしていたジョセフの顔が険しくなった。
「とりあえず、わたしが逃げたせいでお母さんがおかしくなったのなら、次から逃げるのをやめればいい。戦うなんてばかみたいだと思っていたけど、逃げるのがダメな選択肢なら、違うことをするしかない。まずはその手始めに、おまえのことはムカつくから殴る」
愛彩がジョセフに向かって振るった拳は割と良いフォームだったが……ジョセフは一度フッと姿を消してそれを躱した。
「躾のなっていないメスガキめ。女の子らしくお淑やかにしないと、嫁の貰い手がなくなるぞ!」
「やっぱりムカつく。ローザ、これ、使ってもいい?」
愛彩はポケットからフラコンを掴み出した。
「え、ええ。でも、どうして?」
「これは、わたしの選択肢を増やす」
「……動機が不純だわ」
「不純でもいいでしょ?マジックジーン・シーケンス・イニシャライズ」
「ふふ、心が穢れたメントルと、動機不純のプロトジェ……私たち、お似合いなのかもしれないわね」
フラコンが真っ赤な輝きを放ち、愛彩はそれを空中へと手放す。そして、ローザが瓶に吸収されるように吸い込まれた。
《変身シーケンスレディ、イニシャライズ》
フラコンの表面にPhoto 51の像が浮かび、1滴、血のように赤い雫が愛彩へと垂らされる。
「ごめんね、ローザ。共感できなくて。でも、わたし、あなたに消えてほしいとも思わない。そんな判断ができるほど、あなたのことを知らないから」
愛彩を包む真紅の光とチューベローズの香りは1度目の変身の時よりも強かった。
《共感……そんなもの、初めから求めていなかったわ。私の恨みは私のもの、あなたの迷いはあなたのもの、それでいいじゃない》
フラコンは愛彩の右手に移動すると、大鎌ではなく巨大な注射器にその姿を変える。
そして光が収まると、そこには血のような赤いナース服に包まれた愛彩がいた。
《シーケンスコンプリート。ジェネティックメアVer.1.1、スタンディングバイ》
「チクっと注射、サクッと治療!人呼んで美少女ナース、ジェネティックメア ばーじょんいってんいち……ってちょっと言いにくい」
愛彩は格好良くポーズを決めながら名乗りを上げようとしたが、失敗した。
「な、何を?……よく分からんがその衣装、どうやらただのメスガキどころか、本物のアカだったらしいな!」
「うるさい。ジェノム・エディター、インヴィジブル・カメレオン」
愛彩の姿がその場から掻き消える。
「どこへ行ったアカめ!必ず見つけ出して追放してやる……ギャあ!」
愛彩が再び姿を現すと、注射針がジョセフの臀部に深々と突き立っていた。
「これ、お母さんを煽った分と、わたしをムカつかせた分ね。ワクチン・インジェクション!お大事に」
シリンジが押され、赤い液体が注入される。ワクチンと言っているが、残念ながらアンチ・メントルへの薬効はなく、この場では心理的なダメージを与える以上の効果はない。
「ワ、ワク、ワクチン!! 毒だ、毒を入れられたぁああ!! 母国よ、アメリカよ、助けてくれぇえ!!」
ジョセフは飛び上がり、どこかへと飛び去った。
「ああ、くだらなかった。次はお母さんの番」
《ちょっとスッとしたわ》
そう言い合うと、デショーンの咆哮がする方への駆け出していく。
◇
側溝に頭を突っ込んだままの舞のことは、すっかり頭から抜けていた。




