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魔法のプロトジェ バーニングマイ  作者: 衛府 恵
File 4: テロリストデショーン事件(その1)
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第12話:アリだよアリ!ありをりはべりいまそかりじゃないよ

※このお話は「魔法少女バーニングマイ」第12話で間違いありません。

戦前の、開発中の住宅地域に漂う甘いバクラヴァの香り……


時は昭和初期。国交樹立からまだ間もないイランから、日本にイランの菓子を紹介しようと渡ってきた一族、ラハバリ氏がいた。


当時、ロシア革命から逃れてきた主にトルコ系のイスラム教徒などが日本でコミュニティを形成し、モスク建設の機運が高まるなどしていた。しかし同じイスラム教徒でも宗派が異なる彼らは独自の信仰を守ろうとした結果、その周囲には特別高等警察の影がちらつくようになってしまう。


それを脅威に感じた一族は人目を避け、当時工業化が始まりよそ者が比較的目立ちにくい新興の住宅地であった、蘇家町に菓子店を開いた。そして、店の2階を秘密のモスクとし、日々祈りを捧げていたのである。その地下モスクのリーダーは蘇家町の地名からイマーム・エ・ソカイーと呼ばれた。


見慣れないイラン人をはじめは警戒していた地域の日本人だったが、そこは新興の住宅地。次第に彼らの菓子は評判となりしっかり地域に根付いたと思われたが……やがて戦争が激しくなると材料の入手に事欠くようになって困窮。菓子店は地下モスクもろとも空襲により焼失し、一族の中で生き延びたのは菓子店の店主兼イマームであった男とその息子のみ。戦後、蘇家町の名も市町村合併で失われた……



そして時は流れて令和。みずほ国際学園ふたば中学校1年生、アリ・ラハバリはそんな一族の末裔の、バクラヴァで有名な菓子店の息子だった。


「ねえ、翔星君、僕は秘密の名前があるんだけど、知りたい?」


「アリー、中二病なの?それともラ〇ュタごっこ?」


「そんなんじゃなくて本当なんだよ。僕の秘密のフルネームはね、アリ・エ・ラハバリ・イマーム・エ・ソカイー」


アリは秘密の名前を小声で、しかも早口言葉のように言ったので、翔星はうまく聞き取れなかった。


「ありをりはべりいまそかり?」


「ちがう」


中学1年生の翔星が、どういうわけかラ行変格活用の暗記フレーズを知っていたがゆえの事故である。



その日、調理室では料理同好会の副部長、来栖先輩が蒸した鶏胸肉をミキサーにかけていた。その傍らには調理室には似つかわしくないダンベル。


デショーン化した人間にその間の記憶は残らないとされているが、「筋繊維の地平」に至ったことは彼女の魂に刻まれていたのかもしれない。彼女はすっかり筋肉の虜となっていた。


「ねえ、ラハバリ君、バクラヴァに枝豆を使うなんて、変わってるわね」


「うちではこうなんだよ。ローストした枝豆なんだ」


彼は料理同好会の部員ではない。なぜその彼が調理室を使っているかというと、翔星にバクラヴァの作り方を教えているのだ。


「ローズウォーターの香りもちょっと変わってる。何だか普通のローズウォーターより爽やかな感じ」


筋肉に取り憑かれてしまった彼女だが、お菓子作りで身につけた知識と感覚は健在だった。


「そうなの?うちから持ってきたやつだけど」


首を傾げるアリ。


「本場の味ってやつなんじゃない?」


翔星が予想を口にするが、真実はその真逆だ。


戦前に日本に渡航したアリの高祖父は、当初は輸入品のピスタチオとローズウォーターを使い、高級菓子としてバクラヴァを作っていた。しかし、やがてピスタチオの代わりに乾燥枝豆を使うことを思いつき、さらに、ダマスクローズを自家栽培して自分で蒸留するようになったのだ。ローズウォーターの香りが爽やかなのは、栽培量が足りないためにハマナスをブレンドしたせいである。


アリの家では、その味を今でも守っているのだ。


それはさておき、1時間後、無事にバクラヴァは完成した。


「はい、大奈さんどうぞ」


シフォンケーキに挑戦し、見事にぺしゃんこに焼き上げていた舞に、翔星がバクラヴァを差し出す。自分が食べる分よりも、舞の分のほうが多い。


「いいの、翔ちゃん?ありがとう」


「おお、これは素晴らしい。糖質、脂質、タンパク質がたっぷりで、舞君の栄養源として理想的だ」


少し戸惑い気味にバクラヴァを受け取る舞の隣でワーヌが感心する。


「大奈さんがまた倒れないようにと思って」


「えへへ、心配かけてごめんね」


そこへやってきたのが愛彩だ。どういうわけか息が上がっている。


「はあはあ……バクラヴァだ。すごい手間がかかるやつ」


「えっ、そうなの?翔ちゃん、そんなのもらったらなんだか申し訳ないよ」


「いいんだよ。僕には甘すぎるし。アリ、片付けしようぜ」


「イヒヒ、しょーせーい」


そそくさと背を向けてしまう翔星。アリは奇怪な笑い方をしながら翔星と肩を組み片付けに戻っていった。


「……変な翔ちゃんとアリ君……愛彩ちゃんも食べる?」


「私はいい。それに、今日それを食べなくてもきっと渋谷君は何度もそれを作るから、そのうち貰う」


「なんでそんなこと分かるの?」


「舞ちゃんは時々すごく鈍い」


「えー」


そんなやりとりをしていると、調理室に聞き慣れない声が響いた。


「見つけたわ、私のプロトジェ。もう逃さないわよ」


調理室の入り口に浮いていたのは舞が初めて見るメントルだった。シンプルなワンピースの上に白衣を纏った女性である。


「ローザ、君のプロトジェというのは愛彩君のことかね?」


「愛彩……そう、その子は愛彩というのね。さあ、愛彩、これを受け取りなさい」


ローザ――ワーヌがそう呼んだメントルが両手を差し出すと、そこに真紅のフラコンが現れた。


「えっ、愛彩ちゃんも魔法少女に?」


舞は愛彩にそう話しかけようとしたが、気付けば彼女は調理室のもう1つの出入り口から駆け出していくところだった。


「そいつ、しつこい」


そう言い残して。

本エピソードではイランの文化や歴史に触れていますが、現実の国際情勢に対して特定の政治的メッセージを発信する意図は一切ありません。

原稿を書き上げた時期は現在のように中東情勢が緊迫する以前であり、内容を変更すべきなのではないかと迷いながら現在まで推敲を重ねてきました。そして、物語の構造上、イランの文化的背景を切り離すことが難しいと判断し、当初の設定のまま掲載することにいたしました。


ひとつだけ付け加えるならば、イランをはじめとする地域の人々が、一日も早く平和と安定を取り戻すことを心より願っています。

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