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Drused Race  作者: 鈴生
グランプリファイナル
95/100

95. 役割

 ()()()と全く同じ格好をして、私は家を出た。荷物は最小限にした。鞄も持っていない。すべてコートやスラックスのポケットにしまってあった。貴重品は身につけていた方が賢明だ。

 リエラとはレース場のガレージで落ち合うことになっていた。ガレージから移動させるときに乗せてもらうことになったのだ。あれは試走にはカウントされないだろう。仮に何か運営に言われたとしても結果で叩き潰せばいいだけの話だ。

 もう、誰に負けるつもりもなかった。


 会場に着いてから、コートを脱ぎながら真っ直ぐにガレージに向かう。奥から二番目の建物の中に、カインは収まっていた。すぐそばにはリエラと、そして、イズモとスサミの姿があった。

 歓談を楽しむ彼らに聞かれないように足音を立てないようにして近づく。イズモの視線が一瞬だけこちらを向いて、すぐに逸らされた。流石に真正面に位置する彼の目からは逃れられないか。リエラの真後ろまで近づいて、肩を叩く。甲高い悲鳴が上がって、振り向かれる。スサミも心なしかぎょっとした表情をしていた。

「おはよ。カインありがと」

「い、いえ…おはようございます、セイカさま…」

 リエラの隣に立つ。コートを右腕に掛けて、軽く首を傾げる。

()()()()()、お早いのですね。」

 スサミが何か口を開こうとする前に、イズモがそれを遮った。

「何か不都合か?()()()。」

 その発言を聞いて、異形の者でも見る様な目付きでスサミが真横を向く。それを気にする素振りの欠片も見せることなく、イズモの問いかけは続く。

「リュカはどうした。」

 挑発されている。声の調子は平坦で冷たいものだったが、その裏で画策されている何かを感じ取れないほど、私も愚鈍ではない。私は、それには乗らない。目を細めて、口元にうっそりとした笑みを浮かべる。すべて演技だ、こんなもの。

「さあ。」

 スサミの喉が動いたのが見えた。それに反応を示してはならない。今見つめるべきはイズモだけだ。ここで目を逸らしたら、きっと私はまた呑まれてしまう。

「うちの整備士(メカニック)は、優秀でしょう?」

 左隣に立つリエラの腰に手を回しながら、視線をカインに向けて、またイズモに戻す。瞬きを一つした彼が片眉を吊り上げた。

「そのようだな。」

 なんてことないような顔をして会話の面をした挑発をし続けるイズモの横で、スサミが悄然としているのが見えた。何がそんなに彼を追い詰めているのだろう。思考を巡らせても答えには到達できなかった。イズモの答えに満足して、会話を切り上げる。

「お話し中失礼致しました。どうか、互いにご武運の在らんことを。」

 まだレース場にカインを動かすには早すぎる。リエラを連れて、一度控え室(ロッカールーム)に戻るつもりだった。立ち去ろうとして彼女の腕を引く。右足を踏み出す時に、イズモの方を振り返ると、射殺さんばかりの視線がこちらに向けられていた。見せつけるように、口の端だけ不自然に吊り上げてそれに応える。

 絶対にイズモを、王者の座から、引きずり下ろす。


 控え室に向かいながら、何を話していたのかそれとなく聞き出す。結果は芳しくなかった。それでも、先ほどの対峙で薄っすら分かったことがある。

 スサミが、イズモを恐れている。私の出現で、それが確定した。スサミだけは、まだ壊れ切れていない。辛うじて残ってしまった理性と倫理と人間性が、すべての底に落ちることを拒んでいるのだろう。なんとなく、それを可哀想だと思った。


 控え室のドアノブを捻ると、中にはどういうわけかリュカがいた。それを見て取ったリエラが、私に囁く。

「わたくしは、お邪魔ですわね…」

 それだけ言うと、彼女はどこかへ立ち去って行った。その様子を凝視していたリュカに、軽く挨拶をする。社交辞令だ。

「おはよ。朝早くからいんの珍しいね。あれっきりじゃん」

 彼女からの返答はなかった。内心首を傾げる。何か対応を間違えただろうか。

 膝の上で、端末を握りしめる彼女の両手が小さく震えるのが見えた。

「…………組めばいいじゃん……」

 小刻みに震える声が掠れて聞こえた。聞き取れなかったので聞き返しながら隣に座ろうとすると、即座に立ち上がって距離を置かれる。

「…アンタは、リエラと、組めばいいじゃん…!」

 彼女の手から端末が落ちて、嫌な音を立てた。両手は身体の横で握られていた。彼女の発言の意味するところが汲み取れず、眉間に皺を寄せる。

「あいつは整備士だろ。主運転手(メイナー)じゃねえよ。」

「あんだけ身体も何もかも許しといてそんな言い訳聞きたくない!!」

 劈くような声だった。決して広くはない控え室にそれが反響する。これに答える義理が、どこにあるのだろう。彼女には説明しても分かりっこない。情報共有は必要だが、私の選択を共有する理由はない。

「…昨日のあれ、リュカだろ。何しに来た?」

 冷淡な返答に、目尻にきらりと光るものを湛えた彼女の両目が見開かれた。口元から息が吐き出されるのを、私は黙って見ていた。

「…先にそっちが答えてよ。アンタ陥落したんでしょ?だから信用してんでしょ?あの女のこと。」

 想定していたよりも、彼女の精神は強靭なようだった。いいじゃないか。対等に言葉が交わせるのは、単純に支配と被支配の関係で喋るよりも楽しい。口元が吊り上がるのがわかった。

「身体まで許すとでも思ったかよ?そこまで落ちぶれてねえよ。ただちょっと、ね…」

 そこで言葉を切って後を濁す。あとは好きに想像してくれればいい。彼女の反応を見るよりも先に、言い添えるのを忘れていた。

「ああでも、昨日のあれはリエラへの報酬だから。」


「……うわ………最低……心配して行ったウチ、馬鹿じゃん………」

 しばらく間が開いたと思ったら、それしか言われなかった。心外だ。これ以上なく。()()()はこれでも利害関係が一致しているから()()()()()にまで及んでいるのに。

「まじで、そんな奴だと思ってなかった、アンタ…()()()のこと。」

 その名前を聞いた瞬間に弾かれるように立ち上がって、リュカの胸倉を掴んで持ち上げる。彼女の踵が床から浮いた。苦しそうに表情が歪む。

「…二度とその名前で呼ぶんじゃねえ。」

 噛み締めた歯の隙間から言葉が零れる。もう、私の輪郭を、誰にも揺らがせない。ぱっと手を離すと、床にしゃがみこんで、咳き込みながら涙目になったリュカに見覚えのある目付きで睨みつけられる。

 ああ、スサミと同じ目だ。理解できないものを見る目だ。

 へたり込んだ彼女に手を伸ばす。私だって鬼じゃない。

「立てよ、リュカ。お前、私の主運転手だろ。」

 伸ばした右手を強かに叩き落とされて、彼女は自力で立ち上がった。

「アンタとは、もう、二度と、組まない。」

 その決断を、私は笑わなかった。

「そう。」

 じんじんと痛む右手を、もう一度差し出す。彼女の視線は、私と同じ高さにあった。

「よろしくね。もう今日限りってわけで。」

 奪うようにして、右手を掴まれる。まだ治り切っていない手の傷が痛んだ。

「ヘマしないでよ、副運転手(ツイン)。」

 彼女と視線は合わなかった。


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