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Drused Race  作者: 鈴生
彼女
93/100

93. 再編

 夕食を共にして、特に警戒もせずに同じベッドに潜り込んだが、気付いたら朝になっていた。狭くて碌に寝返りも打てやしないほどだったのに、それだけ疲労が溜まっていたのかもしれない。時計の短針と長針は、いつもの朝のように真下と真上を向いていた。

 隣で寝息を立てるリエラを起こさぬようにしてベッドから降りようとすると、パーカーの裾を掴まれる感覚があった。

「起きてたの」

 仕方なくベッドに腰かけたまま、首だけ振り向くと、寝ぼけ眼の彼女と目が合った。何か言い募ろうとしているのはわかるのだが、不明瞭で聞き取れない。裾を掴む手を解いて、ようやく自由になる。

「また戻ってくるから寝てな」

 クローゼットから着替えを取り出す。今日は出かけなければならない。


 洗面所に向かってから、昨日放り出したままにしていたレザージャケットが、畳まれて洗濯機の前に置いてあるのに気が付いた。手を伸ばしてから、少し考え直す。一度キッチンに戻って大きめのビニール袋を持ってきて、それにジャケットをしまう。持ち上げてみると明らかに普段よりも重たく、昨日寒気をそのまま保持しているかのように冷たかった。もうこのままクリーニングに持っていってしまおう。革製品の扱いは分からない。

 顔を洗って、口を濯ぐ。どこから出てきたのか分からないヘアブラシがあったので拝借する。恐らく自分のものだとは思うのだが、普段は滅多に使わないので存在を忘れていた。

 思っていたほど、目は腫れぼったくはなかった。このまま一日水分を意識的に摂取すればマシになるだろう。その程度で済んで良かったと思った。

 ざっと眉毛を描き、リップを塗る。外に出るなら最低限の化粧はしなければならないと思った。


 キッチンでお湯を沸かす。頭はずいぶん冴えていた。ティーポットに緑茶の茶葉を目分量で入れて、湯が沸くのを待つ。その間に着替えることにした。

 寝室では未だにリエラが眠っていた。その左手は、私の寝ていた右側に伸ばされたままだ。声を掛けることもなく、タートルネックの白いニットを着て、襟を折る。下は冬場に愛用している黒のスキニージーンズでいいだろう。ベルトを締めて、厚手の紺色の靴下を持ってベッドに腰かける。身体を屈めて靴下に足を通していると、また背中のニットを掴まれる感覚があった。

「戻って来たから。起きな。朝食作ってあげるから。」

「…………はやい、ですわ………」

 リエラの寝ぼけた声を聞くことになるとは思っていなかった。それにしても、この時間から活動を始めるのはレーサーの中でも早い方なのだろうか。昔からの習慣が抜けなくて困っているくらいなのに。

 立ち上がって今日着ていくステンカラーコートを手に取る。こんな朝早くから支度をしても仕方が無いのだが、いつも世間が起き出してくるまでダイニングで時間を潰しているのだ。普段通りにしか、動けなかった。

「置いてくよ。」

 コートを肩に掛けて、キッチンに向かうとお湯は沸いていたようだった。ソファの背もたれにコートを投げかけて、緑茶を淹れる。紅茶もいいが、たまには緑茶もいい。


 朝食は片手でも何とかできそうな料理にしよう。卵かけご飯とインスタントの味噌汁と、確か冷凍のほうれん草があったはずだ。それでほうれん草のお浸しにすれば充分じゃないか。

 パックご飯を二つレンジに放り込んで規定時間加熱する。その間にほうれん草を器に出してラップを掛ける。お椀を二つ出して、小分けされた袋から味噌を絞り出す。短くレンジに呼ばれた音がしたので、パックを重ねて引っ張った袖に包まれた指先で庫内から取り出す。次はほうれん草だ。これも規定時間通り加熱する間に、冷蔵庫から卵と醤油、その横の食糧庫から鰹節を取り出す。

 お椀にお湯を注いで、箸を取り出す頃になって、リエラが現れた。瞬きが多い。眠いのだろう。かといって家主とは異なる生活を送ってもらうつもりはないが。


「リエラ、これローテーブル持ってって」

 そう言ってパックご飯と箸置き二つと箸二膳とお湯が注がれたお椀二つを指さす。緩慢な動きでこちらにやってきたリエラを避けるようにして、レンジからほうれん草を取り出す。均一に温まっているのか不安だったので少しかき混ぜてから一口だけ手に取って食べる。少し熱いくらいかもしれないが、まあ問題ない範囲だろう。醤油と鰹節を目分量で入れて、ざっくり和える。小皿を二つ取り出してそこにほうれん草を取り分ける。

 ああ、白胡麻を振ってもいいかもしれない。食糧庫からがさごそと探し出して一つまみ程振りかける。ずいぶん見た目が良くなった。卵は大きめの器に入れて持っていくことにした。

 リエラが出来上がったものを着々と運んでいくので作業場が広い。普段ならもっと皿に圧迫されている。湯呑みに規定時間も何もかも無視した緑茶を注ぐ。恐らく相当渋いだろうが、そのおかげで目も覚めることだろう。


 着々と食べ進めていく私とは反対に、リエラの動きはずっと鈍かった。いつものあの様子からは到底考えられない。先に食べ終わって緑茶を一気に呷る。美味しい。香りも何もわかったもんではないかもしれないが、口に残る渋さが好きでいつもこんな雑な飲み方をしていた。

 リエラに断り、先に席を立つ。食器をまとめて左手に持ち、シンクに置く。先に昨日の洗濯物を回してしまおう。洗い物はその後だ。そして、リエラの目が覚めたら、カインの整備(メンテ)について話し合おう。


 しばらくして戻ってくると、完食された食器がまとめられた状態で、リエラは寝落ちていた。肩を揺さぶって起こす。何かもごもごと寝言を言っているのが聞こえたので、起こすのは諦めることにした。時間の無駄だ。このまま数時間寝かせておけば勝手に起きるだろう。

 食器も洗い終えたあと、リエラにブランケットを掛けてやる。隣に座って積読にしていた雑誌を手に取る。最近のレースに関する情報は全く追えていなかった。


 リエラが起きるまでの時間、一度もリュカに連絡を試みようとは思わなかった。

 思いつきもしなかった。


「ん、んん……」

 隣のリエラが身じろぎしたのを見て、雑誌を閉じる。つい最近になって新しい機体(マシン)のシリーズが出たことを、今やっと知った。ほとんど賭けに興じていない弊害かもしれない。

「今度こそ起きた?」

「……セイカ、さま…?」

 溜息をついてソファから立ち上がる。軽く伸びをして、湯呑みに二番煎じの緑茶を淹れてこようと思った。


 緑茶を手渡すと、いの一番に彼女がとった行動はお茶を啜ることだった。喉が渇いていたのかもしれない。

「…ご馳走様でした、朝ごはん…とっても、美味しかったですわ…」

 湯呑みに息を吹きかけながら、視線を斜め上に向ける。半分以上既製品みたいなもんだ。それでも、褒められて悪い気はしなかった。

「…ありがと、それで、目が覚めたなら相談したいことあるんだけど…」

 彼女の半分ほど閉じられていた目が、私の言葉を聞いてぎらりと光った。

 ああ、これが、私の、整備士(メカニック)の、目付きだ。

「カインのこと、ですわよね…?」

 あくどい笑みが自分の口元に広がったのが分かった。

「全部、任せる。前に言った通りね。でも、一個だけ条件追加。」

 リエラの目が眇められる。

「イズモとスサミに勝てるくらいのエンジン、積んで。金はいくらでも出す。」

 彼女に身体を寄せる。下から見上げるようにして、彼女の目をのぞき込む。

「それ以外の改造もしていい。」

 顔を寄せる。吐息がかかる距離だ。

「私の好みも癖も、何もかも、わかってるでしょう?」

 彼女の唇が、何か言いたげに動くのが分かった。ここで反論されては敵わない。即座に右手を耳の裏に差し込んで、こちらを向かせて唇を奪う。

「異論は認めない。」

 揺らぐ両目に向かって語りかける。


 主導権は、私のものだ。

 私は、私だけのものだ。

 もう誰も、私のことは侵せない。


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