85. 資格
何とかリュカの右腕を引っ掴んで、事務室に連れて行く。その間も口論は止まらない。
「なんで止めんの!!!??アンタ腹立たないわけ!!??」
「なわけねえだろ!!!」
乱暴に腕を振り払われて、彼女の足が止まる。
「もういい!!!」
視線を合わせることなく、彼女は先に進んで行った。一方で自分はその一歩後ろをついて行く。少し遅れて動く私を睨みつけながらも、彼女は事務室の前に立ち、ノックをしてから重々しい扉を開けた。軽く押さえられて私も入るように促される。軽く首だけで会釈を返して、私も後に続く。中にはあの会長と、骨と皮ばかりに瘦せ細った初老の女性が待っていた。
曇天になった外からの暗い光に呼応するように、事務室の蛍光灯は青白く薄暗かった。手前の接待用のソファに腰かける会長と、一般的な事務机の向こうに座る女性は、最初から私たちに高圧的な態度を示してきた。
「遅かったじゃないか。速さを誇るのはレースの中だけか?」
「予定よりも8分の遅刻です。直接向かってきていればこんなに時間はかからないはずです。まさか建物内で迷ったのですか?」
眉間に皺が寄ってしまう。なんて物言いなのだろう。斜め前に立つリュカの様子を伺えば、彼女も苛立っているようだった。先ほどの怒りも消化できていないのに、それに上乗せするようにまた別の不快感が圧し掛かる。気分は最悪だった。
私たちの不機嫌さを見て取った会長が、心底楽し気に口を開く。
「なるほど、スズメバチなだけあって短気だな。人ならざるものを自称するだけあるじゃないか。」
右足を一歩踏み出す。リュカが軽く右手で私の動きを牽制する。先ほどとは対照的に、今はリュカの方がずっと冷静なようだった。オフィシャルではこういった権威の下で大人しくするように育ったのかもしれない。
図らずとも隣に並んだ私たちを見て、どことなく満足げに鼻を鳴らして会長は告げた。
「主運転手リュカ、ならびに副運転手セイカへの通達だ。あとは頼む。」
そう言って奥の事務机に座る女性に視線を投げる。女性は手元の妙に白い書類を見ながら淡々と通達を読み上げた。
「一点目、他レーサーへの悪質な妨害行為および暴行により、試走を禁ずる。また、整備に関しても直接関与することの一切を禁ずる。加えて、制限として、決勝戦は最後尾として発進すること。」
血の気が引く音が聞こえたようだった。抗議をする前に、女性は言葉を続けた。
「二点目、身分詐称について。特に副運転手のヤクモについては、セイカという偽名を使って身分詐称をしていたという点が非常に悪辣である。他にも、彼女はトカラ選手の娘であるという事実も伏せていた。これは弾劾するに値する。また、主運転手のリュカについても自身の血統を公にしてこなかった点で、身分詐称に該当すると考えられる。以上により、この二名のグランプリ出場権を剥奪する。」
言葉が出てこなかった。周囲の全ての情報が何も感じ取れなくなる。音が遠ざかって、焦点が一瞬だけぶれる。息が止まりかけて、意識をして吸い込んで吐き出す。
信じられなかった。
「さてさて、我々としてはここで終わりたいところだがねぇ、悪質なレーサーをグランプリという輝かしい場所に出すわけにはいかんからな。ドルーズドの権威に関わる問題だからなぁ。」
なめくじのような声でにたにたと笑いながら会長が言葉を発する。意味も分かりたくなかった。音としては聞き取れるのに、不愉快な気分しか残らない言葉たちだった。
「朗報だ、スズメバチさんよ。」
至極残念そうな声で会長は、最悪の事実を告げた。
「グランプリ王者のイズモさんとスサミさんが、この決定に反対なさったのだ。彼らの温情により、貴君らの決勝戦出場は可能となった。しかし、我々として見過ごせぬ行為をした代償として、決勝戦でのイヤホンによる意志疎通は禁じる。」
「感謝したまえ。特に、リュカ。尊き父君の決定により、貴君の資格は保たれた。」
両手を身体の横で握りしめる。右手の痛みなんて感じられなかった。奥歯を食いしばる。私たちは、彼らの掌の上で弄ばれている。私たちは、何も反論することすら叶わない。彼らの言うとおりに動くしかないというのか。
「…お待ちください、会長」
リュカの凛とした声が響く。思わずその顔を見上げた。ヒールで数センチ上にある彼女の横顔は、冷ややかな怒りを湛えていた。
「私たちにも、反論があります。」
それを見て、会長はせせら笑った。
「だからどうしたというのかね。決定は覆らない。貴君らは身分を詐称し、他レーサーに暴行をした、本来ならばレーサーとしての資格すら失うべき人間だ。」
奥に座る女性がはっきりとこちらに向かって指示をした。
「通達は以上です。退室願います。」
一言でも何か言ってやろうとした私の方を見て、リュカが口を開いた。
「行くよ」
「でも、」
また機械的なまでの指示が聞こえた。
「早く退室願えますか。こちらとしても予定がありますので。」
内心で舌打ちをして、リュカに続いて部屋を出ようとした、その時だった。
「あの敬愛すべきトカラ様の娘がこのザマか。なあ、ヤクモ。」
首だけ振り返って、視線を投げると、先ほどのように嫌な笑みを満面に浮かべている会長の顔が目に入った。見なければよかった。そう思って後ろ手で乱暴に扉を閉めた。
事務室の前で、リュカに問い詰められる。
「名前のことはもういい、そんなことより聞きたいことあるの。アンタ、リエラと接触したの?薬盛ったってほんと?」
一番深掘りされたくない部分に、彼女は容赦なく踏み込んできた。
「盛ってないし、したくて接触したわけじゃない。おびき寄せられただけ。さっきの男絡みで電話かかって来たの。」
「電話?誰から?」
しまった。余計なことを言ったかもしれない。
「…リエラから。なんか様子おかしかったからガレージ行ったの。それだけ。」
彼女を視線を合わせたくはなかった。鎖骨のあたりを見ながら答える。
「へえ。」
妙に冷淡な声が聞こえた。
「リエラから、連絡来たけどね。ウチに。もうあなたのものではありませんから、って。ウチ、言ったよね。吞まれないようにって。」
「ちがっ、」
否定の言葉が出て、慌てて言い直そうとしたが手遅れだった。
リュカの瞳から感情が消えた。
「最ッ低」
縋る余地なんてない冷たい言葉を短く吐き捨てられる。
「見損なったよ、ヤクモ。」
そう言って彼女はヒールを鳴らして去って行った。




