84. 告発
レース会場は黒光りするアスファルト敷きだった。ところどころに引かれた白線も眩いようだ。雨は未だに降り続いているが、小雨に変わっていた。屋根のないところに出れば、雨が霧のように周囲の視界を白く染め上げて、革のジャケットの表面を撫でるように濡らしていく。
並び方は特に指定されていないようだ。レーサーたちはバディ同士でそれぞれまばらに集まっていた。中央に、普段なら表彰式に使われる台がそのまま引っ張り出されて、その一番高いところに運営の人間とみられる長身の男性が立っていた。あの会長ではないらしい。わざわざあんな人間が来るわけもないか。そう思い直した。
ざっと周りを見渡す。最も遠くにリエラの姿が見えた。すぐに視線を外して、別のバディを見る。ああ、あそこにはアンナとスミスがいる。すぐに別のバディに目を移した。軽く指を折りながら数えていく。一組、二組、三組、と数えたところで随分数が減っていることに気付く。私たちを含めて、ここにいるのは六組しかいない。それに、先ほどいたはずの、ノアを運転していた兄弟のレーサーの姿がない。彼らは棄権しているのだからいなくても当然なのだが、さきほど会場の建物内にいたことがどうにも引っかかった。
長身の男が声を張り上げる。
「グランプリ出場レーサー諸君!運営からの通達である!」
なんだかいたずらでそこに登った子供のように見えて、妙に滑稽だった。両隣に誰もいない、表彰される場でもないのに、ただ大声を出している。それだけで、なんだか妙に笑いがこみあげてしまって口元を抑える。
「何してんの?」
目聡くそれを見ていた隣のリュカに小声で問われる。ひらひらと手を振って何でもないことを示す。片眉をあげて、彼女の視線はあの男性に戻った。
「第一回戦から準決勝までの成績を考慮して、決勝戦では一列縦隊から発進することが決定した。各順位については個々に連絡する。それまでの機体の試走は可能だ。ただし、いずれのレース会場も閉場しているため、各々で場所は探すように。また、通達を装った悪質なデマが話題になっているが、公的な通達は以上である。それでは解散するように。」
周囲がざわめく。男が口を開く。
「それと、カイン1200の運転手と副運転手は事務室に来るように。別個に通達が出ている。」
周囲の音も、雨が徐々に頬を伝っていく感覚も、香りも、寒さも、何もかもが遮断されたようだった。
他のレーサーたちが足早に建物に入って行くのを見ながら、リュカと向き合う。彼女の額にも、雨が伝っていた。
「何だと思う?」
「知るわけないじゃん、それこそデマ云々の関係じゃないの?」
本当にそれだけだろうか。彼女には言っていないが、私にはリエラの件がある。どうか、個別の通達がそれだけであることを祈った。
「だといいけど…」
それだけ返して、踵を返す。彼女の方を振り返って、建物に入ることを促す。カツ、と足音を立てて彼女はこちらに歩み寄って来た。
一旦控え室に戻って、濡れてしまったジャケットを拭くことにした。このままでは身体が冷えて風邪をひいてしまう。そうやって提案したのは私だった。ドアノブを捻り、リュカを先に室内に入れる。控え室の中は先ほどよりも暖かいようだった。扉を開けただけで、湿っぽい温風が這い出てきたのを感じ取る。しかし、彼女の足は、止まったままだった。怪訝に思って後ろから声を掛ける。
「リュカ?」
彼女は黙ったままだ。足も動かない。肩から中の様子を覗き込むと、中央の椅子の上に土足で立つあの兄弟の姿が見えた。周りを他のレーサーたちが囲んでいる。男たちの片割れが、私たちに向かって指を突きつけていた。
「取り敢えず入らない?寒い」
「…ごめん」
そう言って大きく一歩を踏み出した彼女に続いて、私も中に入る。人が多いのも相まって暖かかったのだ。後ろで重たい鉄の扉が仰々しい音を立てて閉まったのが聞こえた。
完全に控え室が密室になるのを待っていたのか、椅子の上に立つ男が声を張り上げる。先ほどの風景を彷彿とさせる絵面だった。もっとも、今の男の方が随分演説が下手だった。がなっているだけで無駄に部屋に音が反響して聞き取りにくい。運営の男は朗々と言葉を連ねていたのに、この男はどうだ。あまりにも酷い。
「待っていたぞ、リュカ!そしてセイカ!お前たちは、俺たちにレーサーとしてあり得ない行為をした!今日はその告発に来た!」
顔を顰める。心当たりがない。どれのことだ。
「しらとぼけても無駄だ!俺たちには物証がある!第一に破損したノア!お前たちが仕掛けた妨害によってあの機体は潰された!」
周りから失笑が漏れる。妨害くらいなんだ。他のバディのした妨害による落石で一組亡くなっているのに、機体が壊れた程度で何が告発だ。
「第二に!兄貴は暴行をされた!リュカに夜道で襲われた!これが証拠だ!これで全治一週間だ!」
そう言って喋っていない方の男が袖をまくる。腕には等間隔に開いた穴の跡が見られた。思わずリュカを見る。彼女の視線が合わない。その間にも男は言葉を続ける。
「第三に俺だ!セイカに!夜に襲われた!ガレージでスパナで殴られかけた!危ういところだった!」
他のレーサーの視線が一斉にこちらに集まる。心当たりはある。あの夜のことだ。でも未遂だ。リュカとは違う。
「これは悪魔の所業だ!現に一昨日、俺はセイカに一服盛られたリエラを介抱した!それなのに、この女と来たら!」
そういってリエラと私を交互に指さす。男の口の端から泡が飛んでいるのが見えた。不快だ。
「リエラを放って、機体を優先した!こんなやつは人間ではない!レーサーの風上にも置けん!」
反論しかけたところで、男の口の端が嫌な形に歪んだのが見えた。
あと瞬きするだけの時間だけでも早く、私が、口を挟めたならば。
私が、その言葉の先を、どうにかして止めることができたならば。
気分が悪くなる声で男は告げた。
「セイカは、あの、伝説のトカラの娘、ヤクモだ!そんなやつが、トカラの娘だとは信じられん!お前は失格になるべきだ!」
「リュカは、イズモの娘だ!こいつらは、レーサーとしての資格なんてない!そうだろう!身分も偽って、レーサーとしてあり得ない不正行為をした人間が、ドルーズドでレーサーとして、グランプリに出場する資格はない!」
リュカの顔面が蒼白になっていた。
ずっと、隠してきたことだったのに。
ずっと、この血筋は、私たちだけの秘密だったのに。
男たちの顔に厭らしい笑みが浮かぶ。
「そう、運営に通達してきてやった。喜べ。出来損ないどもが。」
そうやって男が口を閉じるや否や、右側に居たはずのリュカが地面を蹴って男に殴りかかりに行った。反射でその腕を掴もうとして、右手に痛みが走って一瞬動きが鈍る。その間にリュカが握りしめた右手が、先ほどまでがなり散らしていた男の顎に決まった。そのまま男は意識を失って椅子の上から倒れかかり、他のレーサーがそれを受け止めに集まる。私はもう一人の男にも殴りかかろうとするリュカを羽交い締めにして止めた。
「何すんの!!!!!離して!!!!!」
「頭冷やせリュカ!!!!まじで失格になりてえのか!!!!」
昏倒した男の周りに集まるレーサーたちと、怒鳴り合う私たちで、控え室はほぼパニック状態だった。
なんとかして部屋からリュカを引き摺り出そうとする間に、室内の様子の全体を見回す。妙に、アンナとスミスのバディだけが距離を置いて冷ややかな視線を送っているのが視界に入ったが、それを気に留めている余裕はなかった。




