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Drused Race  作者: 鈴生
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81. 後手

 なんとか起き上がって、端末をベッドサイドテーブルで充電する。これでは当分使えない。手探りでテーブルの上にあるはずのリモコンを操作して照明を点ける。身支度をして着替えてシャワーを浴びなければ。何か食べた方がいいかもしれない。そう思えるくらいには、回復したようだった。

 毛布を剥ぎ取って適当に折り畳むことにした。立ち上がると頭がガンガンした。本格的に脱水症状だ。毛布が綺麗に畳めないがそれはもう仕方がない。諦めることにした。

 口を濯ぎたかった。もういっそ歯を磨こうか。そこここにある電気のスイッチを押しながら、足を引き摺るようにして洗面所に向かう。軽く口を濯いで、マウスウォッシュを使うことにした。顔も水で洗ってタオルで拭けば、酷い顔の自分の顔が鏡の中に見えた。どのくらい眠ったかは知らないが、ほぼ病人と同じ顔だ。顔色が妙に土気色だ。頭を振ろうとして、頭痛が激しくなったので止めた。

 できるだけ足早にキッチンへ向かう。手早くポットで少量の湯を沸かす。その間にずっとダイニングに置きっぱなしだったティーサーバーとマグカップを持ってくる。ざっと水で洗い流して、ティーサーバーに六割程の水を汲む。そうこうしている間にポットから音が鳴って、湯が沸いたようだった。サーバーに注いで、指先を入れて温度を確かめる。このくらいならいけるだろう。マグカップに注いで、一気に飲み干す。一杯目を飲み干すと、急に喉の渇きを感じた。そのまま二杯目も飲み干す。このままでは足りないだろう。ポットに多めに湯を沸かすことにした。


 その間にシャワーを浴びようと思った。着替えるならば一度髪も身体も洗ってしまいたい。ポットは湯が沸けば勝手に止まる。端末の充電にはもう少し時間がかかる。寝室に着替えを取りに行こう。

 端末の充電具合を確認するために一度電源をつける。起動には時間がかかる。何事も急いでほしい時に限ってゆっくりなものだ。焦ってもどうしようもない。パンツからベルトを抜いてクローゼットのフックに掛ける。中から下着と部屋着を一式取り出す。右腕に服を全て抱えて、テーブルに目をやれば、やっと画面が点灯しているのが見えた。日付と時間を確認して愕然とする。


 準決勝(セミファイナル)が終わってから、丸二日が経っていた。


 時刻は三日目に突入する直前だ。一体リュカはいつから電話を掛け続けていたのだろう。充電は二桁を下回ったままだった。服やら何やらを抱え直して、洗面所へ向かう。シャワーは手早く済ませたかった。この時期の風呂場は寒くて敵わない。

 髪を濡らしてシャンプーで泡立てる。それを洗い流して軽くクリップで結わえる。トリートメントは無しだ。あとでヘアクリームでも塗ってやればいいだろう。ボディタオルを濡らして、石鹸を泡立てる。身体を余すところなく擦って、シャワーで泡を流す。ついでに顔も濡らして、手の平に洗顔石鹼を出して軽く手に馴染ませてから顔で泡立てる。特にスキンケアには興味がない。洗えていればそれでいいのだ。満遍なく洗って、シャワーで流す。最後にクリップを外して髪ごと頭から熱めの湯を浴びて、身体に残ってしまった泡を落とす。軽く髪を絞って、クリップで止め直す。水が滴り続ける腕で、風呂場のドアを開けて、すぐ近くに置いてあったバスタオルを引っ掴んでまた風呂場に引っ込む。流石に寒かった。

 身体をざっくり拭いてから、髪をタオルドライで乾かすことにした。あとはドライヤーにさせればいいのだが、ドライヤーを使う時間もしんどかったので出来るだけ時間が短く済むようにしたかった。最後に身体全体の水分をもう一度拭い直して、下着や肌着を身につける。室温は快適なはずなのに、風呂場から出てくると寒く感じた。とっとと部屋着を身につけて、脱ぎ捨てた服と使ったタオルをまとめて洗濯機に放り込む。足元にまとめられた洗剤を規定量ずつ入れて、水栓を回してスイッチを押す。洗濯もこれで完了だ。洗面所にドライヤーのコンセントを指しながら、へアクリームを戸棚から取り出す。いつぶりに使うだろうかこんなもの。昔何かの試供品で貰ったものだが、こんなところで役に立つとは思っていなかった。

 ドライヤーの風は温かかった。前かがみになって、後ろの髪の生え際と後頭部を中心に根元から乾かしていく。耳の横も忘れない。案外湿ってしまうのだ。私の髪はそんなに長くないのであまりドライヤーに時間は取られない。後ろが終わったら前だ。前髪の生え際と頭のてっぺんあたりの根元をよく乾かす。八割方乾いたところでヘアクリームを取り出す。本来はもっと前の段階で付けるものなのかもしれなかったが、あまり気にしていなかった。左手の手の平に取り出して、なんとか手の全体に広げる。片手だけで髪全体に塗り広げるのはなかなか大変な作業だ。毛先を重点的につけておけばいいだろう。そうしてまたドライヤーを再開する。あとは仕上げに冷風で髪をまとめるだけだ。手櫛で整えながらある程度まとめて、ドライヤーを切る。コンセントを抜いて、定位置に戻す。

 ヘアクリップでどことなく湿っているような髪をそのまま括って束ねる。動き易ければ何でもよかった。キッチンに向かい、白湯を注ぎ直す。冷水と熱湯が六対四なのが一番適温になるのだ。マグカップに注いで飲み干した。まだ足りないだろうが、一気飲みをしてもあまり効率的な水分補給にはならない。少しずつ飲もう。そろそろ充電もできただろうか。

 マグカップとティーサーバーを持って寝室に向かう。ベッドサイドテーブルに置く。端末は半分以上充電ができていたようだった。

 ベッドに腰掛け、リュカに通話を試みる。数コールで彼女は出た。

「ねえ何のつもり!!???」

「ごめん、充電切れてた、今なら平気。遅くなって悪い」

「…ならいいん、だけどさあ…アンタ、まじで何にも知らないわけ!??確認したの!??」

「見てない、公式の通達ね?メッセージ見るよちょっと待ってて」

 そう言って端末を操作する。今だけは利き手が使えないことが憎らしかった。準決勝の次の日、つまり昨日のメッセージだ。


『公式出場レーサーに通達。以下の日時に決勝のレース会場に集合すること。欠席した場合は失格とみなす。そこで具体的な通達内容を連絡する。』


 簡易的すぎるほどのメッセージだ。確かに、これはおかしい。

「見た、何あれ、」

「だから電話してんの!!!」

 リュカの激昂する声が聞こえた。深夜なのに近所迷惑にならないのだろうか。

「指定日時、明後日だから連絡してたのに!」

「ほんとにごめん…」

 幾分か声はマシになっていた。最初よりも聞き取りやすいことになっているだろう。一口だけマグカップの白湯を口に含む。部屋が乾燥しているようだった。喉がいがいがする感覚があった。唇を湿らせてから問いかける。

「内容、なんか推測とかできない?」

「出来てたら困ってないんだけど!ウチだって」

 彼女の言うとおりだ。完全にこれは不測の事態だ。まずは行ってみないことには何もできない。

「服装どうする?正装?開会式みたいな」

「なんでアンタそんな冷静になれんの…?もっと聞くべきことあるでしょ…」

 呆然としたような声が聞こえてくるが、私の考えは覆らない。

「公的な通達、実際に行かないと分かんないんでしょ。何言われるのかも分かんないのに騒ぎ立てても、不安になるだけだからもっと現実的なところ詰めようと思って」

 少しだけ間が開いて、彼女が妙に落ち着いた声を発するのが聞こえた。

「…アンタ、そういうところ、ほんとに振り切れてるよね…」

 そうだろうか。心当たりがないものに疑ってかかってもどうにもならないことはある。ただし、火のない所に煙は立たぬという言葉だけは忘れてはならないが。


 なにせ、()()()の件がある。


 私には、それについてだろうという確信めいたものがあったが、リュカには知らせなかった。事態がややこしいうえ、私は彼女の忠告を聞くことができなかった。あの忠告を無視したことが、最大の背信行為であるような気がして、私は彼女にリエラとの夜については言わないつもりだった。これは、墓場まで持っていく秘密だ。

 話題を変えたくなって、気になっていたことを聞く。

「…ねえ、イズモさんと話、できた?」

 しばらくの間が開いた。彼女はどうしているのだろう。何を考えて、何を思っているのだろう。うまくいったのだろうか。それとも。疑問は尽きない。最も核にいるイズモと、今は亡きトカラ。その二人の関係について語られるのは、当事者として言葉を発することができるのは、イズモしかいない。

 そんな父でありながら強敵でもあるイズモに、リュカは勝つことが出来たのだろうか。勝ち負けではないのかもしれない。きっと起こりうるのは、レーサーとしての意志と覚悟の衝突だ。そこに勝ち負けはない。愚問だ、考えるだけ。

 ようやく彼女の声が聞こえてきた。

「…ウチには、意味わかんなかった。あんなの、おかしい。おかしい、よ…」

「つまり、全部聞いたんだ。イズモさんは、ちゃんとお話ししてくださったんだ」


 彼女の声から感情が読み取れなくなった。

「ウチには、あんなの、処理できない。もう二度と聞きたくない。」

「セイカ、悪いけど、色々知りたいなら直接イズモのところ行って。ウチはもう無理」

 一息にそれぞれの言葉を告げると、彼女は大きく息を吸い込んで吐き出したようだった。


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