76. 関心
「お前、言ったところでわかんねえだろ?人の心も読めやしねえんだからよ」
嘲笑混じりに言われるのが後ろから聞こえた。目の前のリエラを拘束する男たちは何も言わない。あの口はきっとただの飾りなのだろう。それにしても、リエラが何かされていないといいのだが。私の整備士に傷を付けられては困る。特に手だけは困る。整備に支障は出るとなったら話にならない。
何も言わずに、リエラの前に歩み寄る。彼女の視線は私にずっと釘付けだった。その目は、いつも見ているように狂信者の目だった。
「何があったの?」
普段よりも、内心に余裕があった。愛しのカインがすぐそばにいるからだろうか。言葉尻が柔らかくなるのが分かった。
一度目を丸くした彼女が、軽く首を横に振る。言うつもりはないのか、それとも本当に私に報告するほどのことではないと判断したのかはわからない。しかし、彼女がどう考えていようが関係のない話ではある。彼女は、私の、整備士なのだ。些細なことでも報告する義務があるだろう。こと今回に限っては、カインのいるガレージで起こった事件だ。どんなことでも彼に関連しうることなら知っておきたいというのは、レーサーである私の我が儘だろうか。
「言って、リエラ。知りたい。」
口を噤んだ彼女が、もう一度首を振る。目を眇めてそれを観察する。緊急事態に陥ったから私に連絡してきたにもかかわらずこの態度とは、彼女は何を考えているのだろう。
それにしても、蠅のような男たちだ。私と彼の蜜月を妨げてくる。彼と私と、整備士だけならば、最高の逢瀬となっただろうに、それを全てぶち壊してくれている。いささか頭に血が上ってきた。単純に眠くなり始めたところを邪魔されたことを思い出したのと、頭がお飾りの蠅連中しかいなくて会話にならないからだ。リエラに対しては怒りはない。どちらかというと心配と同情だ。
「ほら、リエラ、帰るよ。どこも痛めてない?」
リエラにだけ話しかける。彼女の両手はどのように拘束されているのかわからないが、どうにもその拘束はすぐには解けなそうだった。
「あ、あの…セイカ、さま…わたくし……」
「なに?…ああ、両手?振りほどけそうにないなら加勢するから安心して、ノギスあるし、いくらでもできるよ」
ぱちぱちと瞬きが繰り返されて、こちらを見つめられる。何か違うことを言ってしまったのだろうか。
「……わたくしを、見て、くださいませ、セイカ、さま…」
様子がおかしい。よく見ればその見慣れた目付きが、妙に蕩けている。狂信者としての矜持をぎりぎりのところで持ち合わせたまま、この状態になっているのだろうか。
リエラに触れられる距離まで近づいて、その腕を掴む。拘束は簡単に外れた。右腕を掴んで自分の肩にもたれ掛からせる。両脇を固めていた男たちはすぐに私の斜め後ろにいた男の背後に隠れた。蠅より低俗だ。きっと一人では何もできないのだろう。
「…はぁっ、はあぁ、……あぁ……セイカさまの、香り、ですわ…」
艶っぽい声で、彼女は私の肩口で喘ぎ続けていた。鼓動を背中から感じたが、随分早い。何をされたかなんてすぐに分かった。彼女は一服盛られたのだ。どんなものかはわからないが、少なくとも碌でもないものであることは確定だ。
上背のある彼女に肩を貸しながら、元凶であろう男の方を見てやる。ガレージの正面入り口で蹴り飛ばした男は未だに伸びていた。だらしがない。
「少なくとも人の心くらいは持ち合わせてますよ、こうしてあなたとの会話に応答しようという姿勢を見せるくらいには。社会常識ですけどね。」
男が何を返して来ても、正直なところどうでもよかった。とにかくここから出て行ってくれればそれでいい。なによりここは神聖な場所なのだから知らない人間如きが勝手に土足で入ることなど許されない。最も、彼が許さない。私はあくまで彼の代理人に過ぎないのだから、彼の機嫌を損ねないように振る舞うまでだ。
背後に控える男たちとで三人が頭を突き合わせて話し合っている様子が見えた。馬鹿馬鹿しくてならなかった。蠅が三匹集まったところで手を叩けば潰せるような命の集まりでしかないのに。振り返った先頭に立つ男が、先ほどまでは浮かべていなかった厭らしい笑みを満面に浮かべていた。
「…聞いたぜ、ヤクモさんよ。お前、あのトカラの娘なんだってな?」
「だからどうしたんですか?」
あまりにも興味がなかったので、端的に返すことにした。言われた通り私の本名はヤクモで、トカラの娘なのは事実だ。何も言うことはない。
「……そんな、セイカなんていう偽名でグランプリ出場なんて、あの運営が黙ってるわけねえよな?そのくらい、知ってんだろ?」
私のあまりにも無関心な返事にたじろいだのか、男の言葉が詰まった。グランプリという単語に引っかかる。一般人ならすぐには出てこない発言だ。グランプリに出場しているのを知っているのは、関係者と観客くらいのものだ。つまり、この男たちは関係者本人か、あるいは雇われていると考えられる。
男の顔を眺めて、癖で右手を額に当てて思考に耽ろうとして、肩の重みでリエラがふらついた。それを左手で掴んでなんとか体勢を立て直す。思考の水面のすぐ近くまで浮いていた何かが、その動きで沈んで行ってしまったが、もう二度と引き上げようとも思わないだろう。そのまま忘却の水の底に沈んで、流れに砕かれて砂になってしまえばいい。
ガレージから出ようとして、男の隣を通る。嗅いだ覚えのある香水の香りがした。男物の香水だ。目を一瞬だけ見開いて、男の顔を凝視する。
恐らく、だが、彼は、グランプリに出場しているレーサー、のはずだ。機体の横で無いが故にどんなレーサーかも見当がつかない。だからか。運営に訴えるという手段が取れる、と宣ったのは。
「好きにすればいいんじゃないでしょうか。電気、消してもらって出て行ってもらってもいいですか?近所迷惑になるので。」
腹立たし気に男は舌打ちをして、足元にあったガレージ専用のツールケースを蹴り飛ばすのが見えた。あれは痛かろう。
ものの見事に男が蹲ったのが見えた。見た目は少し角張ったスーツケースのようだが、中身はとんでもなく重たい工具がこれでもかと詰め込まれている。工具だけではない。パーツも入っているのだ。足が無事なら奇跡だ。
そう思いながらガレージの照明を消す。男たちが喚き散らす声が聞こえたが、正面の大きな入り口が空いているのだからそこから出て行けばいいだけの話だ。リエラはカインにもたれ掛からせて、男たちを足蹴にしつつ追いやってシャッターを閉める。
リエラに向き直ると、随分うとうとしているようだった。これをこのままにしておくわけにはいくまい。自力で帰って欲しい。肩を揺さぶるが、寝言のような返事しか聞こえない。強めに肩を叩いて名前を読んでも、彼女はしっかりともたれ掛かって体重をほとんど全てカインに預けてしまった。
困った。これでは帰れない。
やはりあのとき、私の判断力はおかしかったのだと、後になってから気付いた。
正気ならば、こんな狂信者を、自宅に上げるわけはないのに。




