74. 分岐
「あれは、執着の成れの果てだ。それ以外にあんなもの、形容できん。」
心底苦々しい顔をして、吐き捨てるようにスサミは言った。そこから言葉が続くことはなかった。先ほどまで美味そうに飲んでいた酒を、これ以上ないほど不味そうに飲み干していく。急に所作が荒くなる。等分された豆腐を乱暴に口に放り込んで、箸を置く。
彼が何か口を開こうとしたそのとき、場違いに機械的な着信音が鳴り響いた。
発信源は、スサミの端末だった。
「……渦中の人間からの呼び出しだ。」
彼の先ほどまでの口調からは信じられないほど、その台詞は棒読みで感情が何も伴っていなかった。尻ポケットから取り出した折り畳み式の財布から、札を二枚ほど抜いてテーブルに置く。
「ここは俺の奢りだ。あとは頼む。」
それだけ言うと、彼は端末を耳に当てて席を立った。ここに戻るつもりはないようだった。
リュカと顔を見合わせる。顔を見合わせるのは、今日に限って言えばこれで何度目だろう。今私が頼れるのは彼女だけだ。やっと答えが掴めそうだった最大の問題が、目の前で宙づりになったまま解決できていない。彼女の瞳からも困惑が読み取れた。
「…どうする、当事者行っちゃったんだけど」
早々に視線が外される。彼女が下を向いて、軽く首を振って答える。
「……もう一人、いるでしょ。」
「…本人に、聞く気?」
深々と溜め息を吐いて、頷かれる。それは、相当な賭けではないか。私であれ、リュカであれ、どちらが聞いても答えてくれる確率は五分五分だ。半分は、私たちが血を引く者であるとして、説明義務を感じて答えてくれる可能性だ。もう半分は、その逆だ。なまじ血縁者であるが故に知られたくないこともあるかもしれない。
スサミの口があれだけ重たかったのだ、後者の可能性の方がずっと高いかもしれない。これは、賭けるに値するギャンブルだろうか。それ以外の方法があるのではないか。
急に顔を上げたリュカが、こちらを真っ直ぐに向いて宣言した。
「絶ッ対に、吐かせるから」
およそ父親に対して向けていい敵対心ではない炎が、その目の奥に宿っていた。そうだ。彼女にとって、イズモは父であると同時に、超えるべき壁でもあるのだ。
「…そう、じゃあ、任せるよ。その代わりちゃんと聞いて来てよ?」
彼女の口元に、レース前に浮かべるような獰猛な笑みが広がっていく。
「甘く見ないでよ、ウチのこと。そっちこそ、リエラに食われないでよ?」
そう言うだけ言って、彼女はテーブルに置かれたままの札を掴んだ。慌てて残っていたジンジャーエールを飲み干す。炭酸の辛味が喉をぴりぴりと焼いていった。一瞬だけ顔を顰めてから、それが喉を通り過ぎるのを待つ。そうしてやっと口を開く。
「………そこまでトロくないっての」
にまにまとした笑みを崩すことなく、彼女に問われる。
「あんなに嫌ってたのに、整備士としての腕見てから急に信用しちゃうくらいチョロいくせに?」
「整備士の腕以外信用してねえんだって」
鼻を鳴らして、彼女は席から立ち上がった。見下ろされながら、軽く指を指される。
「そうやってあのリエラの甘言に騙されても知らないよ?こんだけ忠告したんだから、あと自分でなんとかしてよね」
私にはどれだけ信用が無いのだろうか。これが彼女なりの報復だとしたらかなり嫌な形での復讐をされていると思った。
彼女の後を追う形で会計を済ませる。お釣りが返されるときになって、急にリュカが身体を横に引いた。それを見た店員が私の方に釣銭を差し出してくる。反射でなんとか受け取って、彼女の方を見る。
「いやなんで?」
「……スサミさん捕まえておいてくれたお礼」
なんとも納得し難かったが、取り敢えず店の出口を塞ぐわけにはいかないのでポケットに全て放り込む。あとで全額渡そう。途中からやってきたリュカはそこまで飲食をしていない。彼女が受け取るのが筋だろう。そう思った。
店の暖簾を潜って外に出ても、スサミの姿はなかった。店の前でリュカと向き合う。ポケットから釣銭を出そうとして止められる。
「ほんとにいいから、色々不便でしょ?だからその分だと思ってよ」
「…生活に苦労してるわけではないんだけど…」
事実、これまでのレースの掛け金と自分がしてきたギャンブルのおかげで金には困っていない。それでもこれでわざわざ水掛け論をするのも時間の無駄かと思い、有難く受け取ることにした。
「リエラと連絡ついたら教えるよ」
「でないと困るから早く教えて、あとエンジン決まったら型番とかも教えて」
一瞬だけ右上を見て、答える。
「イヴシリーズのつもりだけど」
「……むしろこれで急にノアのエンジンとか言い出したら本当に人格疑うんだけど……」
なんとも失礼な発言だ。私の過去のイヴへの執着を忘れたのか。
「イヴ以外エンジンじゃねえって」
「だから疑うって言ってんの、ほんとにリエラに感化されたのかと思うじゃん、そんなこと言い出してたら」
あれこれ言い合っていると、店に入って行く客に迷惑そうに見られた。気まずくなって黙り込む。
「……帰ろうか」
こっくりと頷いて、彼女は私とは反対側の道に踏み出した。軽く手を振られる。
「じゃあねー」
手を挙げて応えるに留めて、私も帰路に着いた。




