72. 献身
彼女の身体の向きは正面に戻されていた。ジョッキを一口呷って、私に視線を投げて寄越す。にんまりと弧を描く口元が、私に問いかける。それまでの重苦しい空気を全てぶち壊すかのように、リュカはポテトに手を伸ばした。
「…で?リエラに全部あげてくんの?セイカの、全部。」
「なわけ、アタシの全部を受け取れるやつなんているわけない。……リュカ以外に。」
ようやく解放された気分になって、端末に手を伸ばしながら答える。スサミの様子を伺うと、細められた目の奥があのときよりも穏やかに凪いでいた。
お冷を頼むついでに、何か摘まもうかという気分になった。冷めきってしまったポテトはあまり美味しくない。二人してなんとか全て胃に収めてから悩む。枝豆にしようか。端末を操作していると、彼女から言葉が飛んでくる。
「なに、アンタ急に骨抜きにでもなったの?あ、軟骨の唐揚げ食べたい。あと梅サワー。」
少しでも正直になればこれだ。
「信用してるっていう自己証明のつもりなんだけど。あれじゃ足りなかった?」
ジョッキの中身の残りを一気に呷ってから返事があった。スサミが端末に手を伸ばしてきたので、一度注文してしまってから端末の画面を譲る。彼のジョッキの中身はいつの間にかかなり減っていた。
「あ、もういいもういい。まじお腹いっぱい。胃もたれするからこれから控えめでいい。」
「そう?残念」
適当にあしらっておく。早々にお冷と枝豆と梅サワーを持ってきた店員が、皿やらジョッキやらを片づけていった。手早く皿を受け取っているリュカに呆れられる。
「アンタまじでなんなの?」
「あなたのバディで副運転手ですけど?」
「うわやかまし……」
喉が渇いていたのか、梅サワーの半分ほどを一気に飲み干して、さも当然かのように枝豆に手を伸ばされる。好きにさせておけばいいかと思い、水をゆっくりと口に含む。斜め前に座るスサミを眺めていると、彼は日本酒を頼んだようだった。
彼女のことを話題に上げるなら、今しかないと思った。
「リエラのこと、整備士としては信用してるよ。だって整備の精度が尋常じゃない。でも他のことは、言った通り信用してない。それに、通達の件に関しては、あいつしかないと思ってる。一番怪しいの、リエラしか考えられない。」
信者らしく私を崇拝しているのと、レーサーとして敵である私を蹴落とそうとするのは両立するだろう。現に彼女はもっともらしい言葉で私を騙したのだから、そうとしか考えられない。
「通達、ねえ…」
口元に手を当てた彼女が黙り込む。私はスサミに視線をやった。
「スサミさん、どうしてですか。どうして、リエラは違うって言い切れるんですか。」
そのときちょうど、唐揚げと日本酒と揚げ出汁豆腐がやって来た。
店員が去って行ったあと、彼が端的に述べた。
「整備士としてあれだけ信用がおける人間が、機体を疎かにする発言をするとは思えん。」
考え事に耽っていたリュカが、それに即座に反応する。
「スサミさんの言い方、まるで知り合いみたいじゃないですか。実際にリエラの整備見たことあるんですか?」
徳利から日本酒を御猪口に注ぎながら、彼は答えた。
「…顔見知りではあるな。」
「それを世間では知り合いって呼ぶと思うんですけど」
なんとなくずれた回答をされたので、失礼にならない程度に口を挟んでおいた。
他の二人が至極美味そうにアルコールを飲んでいるのを見ると、私も何か飲みたくなってきた。あの喉が焼ける様な感覚が恋しい。端末を操作してアルコールのページを眺めていると、リュカにきつく咎められた。
「ばか!アンタ端末こっち寄越して!」
「…まだ何もしてないんだけど…」
「いいから!なんか炭酸でも飲んどけばいいじゃん!」
そう言って勝手にジンジャーエールを注文された。先ほど飲んだばかりで別に飲みたいわけではなかったが良しとした。どちらかというと今気になるのは先ほどのスサミの発言だ。
「スサミさん、どうしてそこまで信用するんですか。さっき言ったみたいに、リエラは私に異常な執着を見せてます。私は、整備士の腕がいいからという理由だけで信用するわけにはいかないんです。」
一息に自分の意見を述べて、枝豆を摘まむ。これに関しては何を言われてもいいと思った。何にせよ事実だ。なんとなく、父とイズモの関係を思い出した。どちらも整備の腕はあまり立たなかったようだが。
またも綺麗に四等分した揚げ出汁豆腐を口に運んでから、スサミに問われる。
「リエラが整備しているところを、見たことがあるか。」
今までのガレージでの記憶を思い返す。そう言われると、一度も彼女が整備しているところを見たことがないことに気付いた。いつでも私の目のないところで完璧に修復されていたのだった。
御猪口を呷ったスサミが続ける。
「…あれは、鬼神だぞ。」
彼の口元には、随分と楽し気な笑みが浮かんでいた。
「…あの整備の精度は、機体への理解と、それ以上に畏敬の念の上に成り立つものだ。仮にも整備を任されているセイカなら、わかるだろう。…リュカはどうだか怪しいが。」
含みのある笑みを浮かべられて、リュカが言葉に詰まったのが見えた。今そんなところを刺してこなくてもいいだろうに。それでも、スサミの指摘は確かだ。機体を甘く見てはいけない。彼らは繊細なのだから。そんな彼らを、他人の改造の癖すら見抜いて修復して見せるリエラは、私よりも機械に狂わされているのかもしれない。
ああ、違う。狂わされているのではない。捧げているのか。身も心も。
今になって思い出す。彼女の手には、火傷や切り傷のあとや胼胝がたくさんあった。
スサミは言葉を続けた。
「リエラは、前にガレージで出くわしたことがある。そのあとはたまに挨拶を交わすくらいだがな。リエラについての話は聞いていた。整備も主運転手としてレースもできる若手レーサーだとな。あまり信じていなかったが。」
そこで言葉が途切れて、日本酒を嘗めるようにして口に含む。
「だが、あの機体に対する態度とその扱い方を見て、疑念は信用に変わった。俺としては、それだけで十分信用に足る。」
一息ついてから、核心に触れられる。
「機体にあれだけ心酔しているのに、機体の状態を疎かにするような欺瞞を並べられるか?なあ、セイカ。」
スサミは酔っているのだろうか。先ほどよりも、口調が軽い。リュカは自分の出番ではないと判断したのかずっと枝豆を摘まんでいる。私が注文したものだったはずなのだが、半分方食い尽くされていた。
「いいえ。私なら、口にすることはできません。そんなこと。」
声を立てて笑って、スサミは言った。
「だからだ。俺が信用するのは。これで十分か?」
口元は笑っているのに、その目はどこか笑っていなかった。有無を言わさぬ圧力を感じ取って、頭の中で考えを整理する。これも、リュカに共有しなければ。




