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Drused Race  作者: 鈴生
信頼
70/100

70. 独善

 リュカが言葉を探している間に、私は覚悟が決まった。やや乱暴にマグカップを掴み、残りわずかだった紅茶を飲みきってテーブルに戻す。

 身体ごとリュカに向き直って、できるだけ真正面から彼女の両目を見つめる。顎は引かない。今回ばかりは、絶対に対等に見つめなければいけない。ここで力関係が狂ったら、グランプリ決勝戦(ファイナル)は、うまくいかないかもしれない。

「リュカ、聞いて。」

 口を少し開けては閉じてを繰り返して、視線をずっと下に彷徨わせていた彼女が弾かれたようにこちらを向く。私の真剣な眼差しを見て、彼女も身体ごとこちらを向いた。膝が揃えられて、両手がその上に品良く重ねられる。

 スサミが黙って、ジョッキを傾けているのが見えた。

 彼女に、何から話せばいいかなんて分からなかった。どこが起点なのだろう。どこから私は間違えていたのだろう。それでも、これだけは、伝えなければいけない。たった一つの、残酷な真実だ。

「アタシは、レースのこと、リュカに任せようとしてこなかった。運転以外のこと、本当は期待してなかった。」

 彼女の目が一瞬だけ見開かれる。その目に浮かんでいたのは単なる驚愕ではなかった。すぐに目が伏せられて、膝の上に重ねられた両手がそれぞれを包み込むようにして握り込まれる。その爪に施された寒色系の華麗なネイルが、今だけはどこからも光を反射せずに、ただそこに存在していた。そのそばで、未だに残る引き攣った皮膚の跡が、確実に己が存在を主張していた。

「リエラのことだけじゃない。黙ってたこと、まだある。でも、言わなくていいと思ってた。アタシだけが知ってればいいと思ってたから。機体のことも、グランプリの裏側のことも。リュカは、知らなくてもいいと思ってた。」

 一気にそこまで言い切って、ゆっくりと息を吸う。

「だって、リュカにはレースがなくても、()()()()()()()()。」

 私の言葉に息を呑んだのは、誰だったのだろう。


 リュカは、私の告白を聞いてから、言葉を紡げないようだった。言葉が見つからないのではない。受け取った衝撃が大きすぎて、自分の中でそれを消化して、自分の言葉として作り上げる余裕がないだけだ。彼女の様子をつぶさに観察していれば、それは手に取るように分かった。

 そこでふと気付く。

 私はずっと彼女を見てきたはずなのに。今まで見ていたものは、何だったのだろう。私は、今まで何を見てきていたのだろう。

 感情を読み取るのは得意だった。他者の顔が見せるどれほど細かい仕草であっても、そこには意味があるのを感じ取っていた。視線も、目元も、口元も、鼻も、眉間も、顔の筋肉が動かしうるパーツを見ていれば、すべてわかると思っていた。そこに身体の仕草が加われば、得られる情報はずっと増える。人間も機体(マシン)と同じなのだと、思い込んでいたのかもしれなかった。

 レース中はハンドルを握りしめて、シートに体を預けて、音と振動と匂いと目視で、私は機体の全てを読み取ってきた。人間相手にも、そうすれば全てが分かると思っていたのだろう。バディであるリュカは、特に。レース中の運転を知っていれば、彼女のすべてがわかると思っていた。

 そんなはず、ないのに。

 それだけで足りるわけなんて、ないのに。


 機体のことを考える。

 ある機体を整備(メンテ)すると決まったら、整備士(メカニック)に求められることは勿論機体の理解だ。それと並行して、機体を自分のものとするためにある程度手を加えていく。

 ある機体を運転すると決まったら、レーサーに求められることは当然機体の性能(アビリティ)の確認だ。それが終われば自分の手足として扱うために、自分好みに調整する。

 どちらも、機体に人間を()()させるために必要なことだ。どちらか片方だけではいつか必ずうまくいかなくなる。整備なら不具合を見落とす。レースならクラッシュに繋がる。

 機体で考えれば、至極簡単なことだった。


 リュカとバディとして組んでいくために必要なものは、彼女に、私を理解してもらうことだったのに。私だけが分かっていても、歪みは生じ続けるだけなのに。私は、そんなことにも気付いていなかった。


「リュカ」

 口を噤んだままの彼女に声を掛ける。今必要なのは、謝罪ではない。

「アタシは、リエラにきっと、崇拝されてる。いっそ悍ましいくらいに。」

 あいつには、と言いかけて言葉を切る。リエラを一方的に信用しているスサミの前で、彼女を蔑むような言い方をするのは、間違っているような気がした。

 スサミを一瞥すると、幾分か穏やかになった目がこちらに向けられていた。それでも、鋭いことに変わりはない。彼の目が、私の言葉を促すように瞬きをした。

 少し言葉を迷ってから、口を開く。

「…あの日、第二回戦が終わって発煙弾が投げ込まれた日の夜…パニックになった。息ができなくて、カインに縋った。そのときに、()()を、やった。」

 そう言って右手を少し上げて見せた。リュカの視線が手に吸い寄せられる。

「あいつには、…リエラには、それを、全部、見られてた。見られた上で、カインを、綺麗に全部、直された。レースの損傷箇所も、塗装も、何もかも。」

 リュカが真っ直ぐにこちらを向く。視線を外したくなったが、何とか堪える。伝えなければいけない。何としてでも。

「それだけじゃない、第三回戦のあとにも、アタシはガレージであいつに会ってる。…リュカは、気付いてただろうけど。それと、今日の準決勝(セミファイナル)の前と、後。連絡先も、いつの間にか知られてた。」

 リュカの目元に散らされた細かいラメが静かに輝く。アンニュイな雰囲気を醸し出すアイメイクに、切れ長な瞳を強調させるアイライン。見るべきは、彼女の瞳に映る感情だというのに、なぜか今は美しく施されたメイクにばかり視線がいった。

 太ももの上に下ろした右手に、少しだけ目をやる。爪は短く切られて、指には所々胼胝が見える。包帯に巻かれて掌の傷は見えない。最低限巻かれた白いばかりの包帯が、まるで私を鏡のように映しているように思えて仕方なかった。

「…………さっき、言われたの。アタシの全部が、欲しい、って。」


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