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【26】無分別智と温故知新

【26】


2018.05.05


仏教用語で、無分別智(むふんべつち)というものがあります。これについて、僕は、思いが到るところが多々あります。一切の相や分別を超えてあるのが悟りの智慧であり、もはや、このような根本智は、分別することが出来ない領域であり、これは、対立二元論を超えた、不二一元論、自他不二や、生死一如にも繋がってきます。これは、僕が唱え、目指しております「アミュー」や「LOW OF ONE」の生命とも、一致してくる内容だと、思うのです。やはり、分別というのは、時代の流行りのような役目のところがあると、思うのです。このような分別によって、人は、制限をかけて、自己に囚われて、苦しむことになります。でしたら、無分別になっていくことを仏教では、説いているのです。あまりにも、種別や種類、制限が多すぎたり、情報が多すぎたりしますと、当人が何を選択していいか分からなくなり、混乱し、鬱になり、消化不良が起こる場合があるからです。それでしたら、分別や情報というものを一度、断捨離していくのです。これによって、混沌としたエネルギーに秩序が形成され統制されていき、外部からの情報もクリア、クリーンに見れるだけではなく、惑わされなくなり、自己の統合がしやすくなります。


この仏教の智慧は、現代におきましても、非常に役に立つのでは、ないでしょうか。また、精神を潔白にし、清らかにしていく智慧でもあると思います。


仏教の役目は、僕は「抜苦与楽(ばっくよらく)」だと、捉えているところがあります。つまり、あらゆる苦しみを抜いて、極楽を与えていくという役目があると、思うのです。縁起の智慧、「十二縁起」や「衆縁和合」によって、自身がかろうじて生かされていることに気付き、やはり、そこから感謝や慈悲というものが育まれていき、それを主体として、生きていくことが出来るようになり、あらゆる雑念から離れて生きられるようになります。また、「八正道」を行うことによって、「中道」を生きられるようになり、苦しみの道すら、恵みへの道となり、全てが極楽へと変容していくことが、可能となっていると僕は、思うのです。


温故知新ということわざがありますが、このような昔から唱えられている智慧に触れることは、現代人にとっては、とても為になることが、あると、思います。先人達に礼を尽くすという意味でも、一度、昔や過去、辿ってきた歴史に目を向けることも、とても進展的であり、利発で、発展的なことであると、僕は、思えてなりません。あまりにも、流行やニーズばかり、追いかけていると、根なし草のようになり、虚しさばかりが、産出されるようになってしまうことでしょう。それでは、やはり、もったいないです。


輪廻転生は、あったとしても、今生は、一度限りで、ございますから、思う存分に、悔いが残らない、極楽な生涯、感謝とよろこびが溢れる生涯を、生かさせていきたい、ところですよね。


一人でも多くの方が、天上の安らぎと極楽な生涯を、この地上におきましても、過ごされて、いかれますように。

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