【18】修行について
【18】
2018.04.21
修行とは、同じことを繰り返し行うなかで、いかに、その一回一回に対して、新鮮さと、幼子のような喜びを持って、行うことが出来るのか、見出だせることが出来るのか…、ということだと、思うのです。
子供や赤ちゃんは、同じようなことを喜んで繰り返し行われます。僕がよく書きます、「幼子のように」とは、この反復していくなかでも、常に、喜びや楽しさや学びを、赤ちゃんや、幼子のように、素直に見出だせることが出来るのか…、ということも含まれております。
この性質や営みは、心の奥底から湧き上がってくる、魂の性質によります。この魂の性質を定着させていくことが、修行の主眼となることでしょう。また、これによって、結果を求めない行為や営みの、超作も身に付いてきます。
また、修行とは、特殊な行だけを指すものでは、無いと、思うのです。僕は、「地球がまるごと学校のようである」と捉えているところもありまして、「地球学校」と呼んでいます。修行や学びや気付きは、日々の何気ない日常のなかにあり、人生の出来事として、起こされていくことのなかに、修行があると、思います。日々の出来事が地球学校の教材となることでしょう。
僕は、千日御祈願という行を3年前に終えたことがありました。それは、それで尊いプロセスを確かに歩めました。その千日御祈願後も、今の今まで、毎日御祈願をさせて頂いております。おそらく、死ぬまで御祈願は、続けさせて頂こうと、思っております。
つまり、千日御祈願とは、御祈願が日常生活の中でも、習慣化されていくことが、目的である、という一面も、あると、思うのです。修行とは、最終的には、習慣化や継続、定着にこそ、あると思います。たとえば、何事も、良心に基づいて行うことを習慣化し、定着させることや、ジャーナルを綴ることを、習慣化し、定着させることなどなど。




