死屍柴ヒルイの闘い 竜胆組の修羅
「……」
水仙は答えずに竜胆を見据える。
「悲しいかな、負の感情は人を劇的に強くする。数年前にかみさんを失ったお前のようにな」
「……黙れ」
「復讐心と言う怒りはお前さんを強くした。息子を失った怒りが今の俺を凌駕するレベルまでお前を強くした……だがな、怒りで得た力なんて虚しいもんだぞ」
「お前に何が分かるんだ! 大事なもんを奪われた人間の気持ちがお前に分かるのか!」
絶叫と共に水仙は飛び掛かり刀を降り下ろした。竜胆は片目で刀の起動を追いぼそりと呟いた。
「見えねぇ」
竜胆はとどめを刺し損ねた。それは片目になったからではあるが、決して遠近感が狂ってしまったからではない。
通常片目になっても遠近感が極端に狂うことはまずないだろう。竜胆に起きた変化も遠近感が狂ったのではない。彼に起きた変化はそれよりも遥かに深刻なものだった。
まったくピントが合わずまるで世界が靄がかったかのようだった。
今まではなんとか気配で捌けてはいたものの、疲労の溜まった体ではこれ以上捌くことは難しいと竜胆は悟った。
「……仕方ねえか」
ぼそりと呟くと、ガキンと今まで以上に大きな金属音が部屋に響いた。
「なっ!」
今度の斬撃を竜胆はかわすのでもいなすのでもなく、左腕を支えにし受け止めた。かろうじてではあるが。
受け止めきるには力が足りなかったのか、支えにした左腕の骨からはごきゃっと骨の砕ける音がし、瞬く間に膨れ上がってきた。
「大事なもんを奪われた気持ちが分かるかって? 分かるさ。俺の最初のガキも十二の時に殺されてっからな」
その言葉に微かに水仙の心が揺れた。
「虚しいよな」
また心が揺れた。
その一瞬を竜胆は見逃さなかった。
刀にかける力が弱まったのが手に伝わると、竜胆は懐に潜り込みながら刀を振るった。先程とは違い、刃先から内蔵を切り裂く感触が伝わってくる。
「くっ」
水仙は腹を押さえながら呻くとゆっくりと絨毯に倒れこんだ。
実力は水仙が上回っていた。力速度共に老いた竜胆では勝てなかった。唯一勝っていたのは経験の差だけだった。
竜胆は知っていた。
復讐心に囚われた人間は勝つために刃を振るわない事を。
老いた竜胆を殺すのならばじわじわといたぶるように斬り付けて行けば勝利は間違いなかっただろう。けれど彼はそれをしなかった。
いや、出来なかった。
大きすぎる怒りはただ殺すために刀を振るわせた。
早く殺したい、早く仇を討ちたい。その一心で水仙は上段から最速の一手を打ち続けた。復讐心に囚われた人間にとって殺すことは深い水の底から水上に向かうようなもの。苦痛から逃れるためにもがくのと同じであった。
早く早く早く死ね。
それを竜胆は誰よりも理解していた。妻と子を殺され、殺意の大海に溺れ、相対するもの全て敵と見なし殺し続ける修羅になった男だからだ。近付けば仲間も殺されると錯覚してしまうほどの殺気を放ち続けた男だから。
最恐と呼ばれた男だから。
そんな彼をーー最恐からただの好好爺に変えたのは死屍柴ヒルイだった。竜胆にとって死屍柴ヒルイの存在は友人であり戦友であり、恩人だった。深い水の底に手を伸ばし助け出してくれた。
だからこそ、竜胆は彼のために命を捨てる道を選べた。対峙した瞬間、老いた自分では水仙に勝てないことを悟った。
力も速さも負けている。
唯一勝っているのは……経験だけ。
水の底の苦しさを知っているからこそ、竜胆は水仙を挑発し、殺意を強めさせた。その結果、攻撃は単調になり勝つ事が出来たのだ。
勝つ事は出来たけれど決して計画通りと言うわけではなかった。
計画外の事、それは自分の体が思っていた以上に老いていた事だった。
無傷で勝てるとは思っていなかったが、片目を失うほどの傷を負うとも思ってもいなかった。
このままでは負けてしまう。負けて死ぬのは怖くはないが……今はまだ死ねない。
お前に俺は殺さなせい。
俺を殺すのは……。
その思いが竜胆に左腕を捨てさせた。刀を握るには右腕一本で十分。
もう茶碗を持つことも困難になるだろうが、竜胆は厭わなかった。最後の晩餐は朝家を出る前に、虎弥と後妻と共に死んだ子供と妻の写真の前で終わらせたから。
「復讐して復讐して復讐して復讐して。終わりのない復讐の道を進むのは苦しいよな。なまじ強いと救ってくれるやつもいねえ」
うずくまる背に優しく囁く。
「だから俺が救ってやる……生きたいか? 休みたいか?」
「……」
水仙は答えなかった。無口を貫き通したのか、答えが見つからなかったのか、答える力さえ残っていなかったのかは分からない。
けれど、竜胆はきっと……休みたいんだろうと感じ取った。
「……分かった」
ゆっくりと背に刃を当てる。
「あの世に行ったらかみさんとガキに会える……なんて言わねえよ。お前が好いた女ならきっと天国に行ってるだろうが、俺もお前もお前のガキも人殺しだ。地獄にしか行けねえ」
その言葉に水仙は歯を噛みしめ涙を流した。あの世でも妻に会えない悲しみのために。
「うっ……」
「でもな……神様も気まぐれを起こして一目くらい会わしてくれんだろうな」
すっと水仙の首筋に戒杖刀を突き立てた。
かはっと咳き込むように血を吐き出すと、水仙は口元に微かな笑みを浮かべ動かなくなった。
「きっといい顔して逝きやがったんだろうな……俺もお前みたいに笑って死にてえよ」
刀を抜き取ると、ぼやける視界の中アンラッキーを探した。アンラッキーは君江の鉤爪に弾き飛ばされ部屋の角に弾き飛ばされる所だった。腕は切り落とされ幾つものパーツに別れ、切り裂かれた胸元からは夥しい血が溢れ帰っていたが、ピントの合わない竜胆には何が起きているのかは見て取ることが出来なかった。
けれど竜胆は呟いた。
「タイミングバッチリじゃねえか。若いやつふうに言うならラッキーか……いや、アンラッキーか」
苦笑すると、息を大きく吸い込み、そして吐き出し瞼を固く閉じ心の中で家族に別れを告げた。
虎弥、母ちゃんの事頼むぞ。
別れを終え瞳をゆっくりと開けると竜胆は君枝に向かい駆け出した。
死に場所に向かい修羅は走る。




