死屍柴ヒルイの闘い 水仙連合会の修羅
ヒルイと橘のナイフがぶつかり合った瞬間、水仙は動いた。両手で握り締めた刀を上段に構え、摺り足で竜胆との間合いを積めた。
「剣術でもかじったか?」
間合いが近づく中竜胆は殺気を含ませた射殺すような視線を送った。水仙の片腕である木瑞を震え上がらせた目だ。
しかし水仙は怯むこともなく間合いをつめ刀を降り下ろした。
「……っ!」
半身になり斬撃をかわすと竜胆は刀を振るおうとした。
握りに力を込め軸足に重心を乗せた。が、竜胆の体が動き出すよりも早く、水仙の追撃が竜胆の身に迫った。
振り下ろした刀が絨毯に突き刺さると同時に、踏み込みながら力任せに刀を切り上げた。逆袈裟斬りだ。
軌道の重なった刀同士がぶつかり合うと、体格腕力ともに劣る竜胆は戒杖刀を握ったまま弾き飛ばされた。絨毯の上を転がると、刀を絨毯に突き刺し勢いを殺し止まり、方膝立で水仙を見上げた。
視界の中心に居座る水仙は何処と無くボヤけていた。
水仙は刀を一度払い切っ先についた血を払うとまた上段の構えをとった。
「はええな……ちくしょう」
竜胆は空いた手の甲で左目をごしごしと擦る。すると鋭い痛みと燃えるような熱さを感じた。
斬り上げた刀の切っ先は竜胆の左頬から額にかけて切り裂いていた。傷痕の中心にある左目を含めてだ。
「ちったあ、老人を労るって思いはねえのか?」
話しかけながら竜胆は目の状態を確かめるが、左の眼球だけを暗闇の中に置いたかのように何も見えなかった。
「ないな」
水仙はじりりと距離をつめると、刀を振り下ろす。
竜胆は立ち膝のまま後ろに飛び斬撃をかわし、間合いの外側まで抜け出る。
「片目でも以外とかわせるもんだな。まあ、老眼でもとからよく見えてはなかったから、今さら片方失っても大差はねえか」
ニヤリと笑い竜胆は刀を構える。
「それにしても、水仙の坊主も強くなったもんだな」
竜胆の言葉に水仙の眉がピクリと揺れた。
強くなった。
水仙は元は裏世界で中位の実力しかなく、今相対している竜胆のような真の強者は、雲の上の存在だった。
しかし、当時の竜胆にとってはそれで十分であった。
大切な家族を守る強さがあれば。
彼の手の届く世界を守ることができれば。
けれど水仙の妻が死んでから彼は変わった。
彼の世界は変わった。
血塗られた世界だと言うのにどこか温かさのあった世界から、見渡す限りの雪景色の中のような、寒さと物悲しさを感じる世界に。
太陽が隠れやまない雪が降り続けた。
「強く……なるしかなかった人間の気持ちがお前に分かるのかぁぁぁぁぁあ!」
水仙は絶叫と共に上段から斬りかかった。それを竜胆は半身になりかわした。初撃と同じ展開ではあったが、一点だけ違った。
竜胆は斬りかかるのではなく、刀を杖のように絨毯に突き飛び上がった。その動きを予期しなかった水仙は初げきと同じように斬り上げると、竜胆は刀を弾かれた勢いで宙で反転しながら水仙のこめかみに膝蹴りを繰り出した。
「ッ!」
小柄な体だが膝蹴りの威力は絶大で、体格で遥かに勝る水仙は絨毯の上を転がった。
「一度見た攻撃はもう通じないなんてかっけい事は言わねえが、二度も見せられちゃあいくらでも対処はできんよ」
水仙は直ぐ様立ち上がろうとしたが、視界が歪み、地面が揺れ立ち上がることが出来なかった。こめかみを強打され、脳が揺さぶられ、脳震盪を起こしていた。
「くっ!」
こめかみを抑え、呻くと揺れる視界の中に竜胆が現れた。
「これで終いだな!」
竜胆は刀を一閃した。肩から脇腹を切り裂く袈裟斬りだ。
水仙は悔しそうにぎりっと歯噛みし、刀の軌道を目で追った。
肩に刃物の冷たい感触が伝わると、氷を這わせたように脇腹まで走り抜けていった。
「……っ!」
通りすぎる切っ先に付いた自信の血を見つめながら水仙は声をあげた。
その声は悲痛や怒りが含まれた物ではなくただの驚きの声だった。水仙は斬られはしたが、刃先に血がつく程度の傷であり致命傷ではなかった。
手に残る感触で命を奪えていないと気づいた竜胆は、返しの一撃を放ったが、一秒程の時間は水仙の体を解放するには十分な時間だった。立ち上がることは出来なかったが、水仙は刀を立て、戒杖刀を受け止めると、腕力と腹筋背筋と言う上半身の力のみで弾き返した。
小柄な竜胆は弾き飛ばされると、血を吸い固くなった絨毯の上に着地すると片目で水仙を見据えた。
「……思ったよりもやべえな」
「……」
竜胆の呟きに答えず、絨毯に刀を指し支えにしながら立ち上がる。
肩から腹にかけ走った傷に指を這わせ傷の確認をすると、引き裂かれたスーツを鷲掴みにし赤く染まったシャツごと、一気に引きちぎった。分厚い生地のスーツがまるで薄紙のように引きちぎられ、中から仁王像を思わせるような鍛え抜かれた上半身が現れた。
「すげえな」
竜胆は思わず呟いた。
仁王像のような筋骨粒々だったからではなく、肩から腹にかけ走った傷すら可愛く思えるほどの、数多の傷痕を目にし呟いたのだ。
「どれだけの修羅場を潜ったらそんな体ができるんだ?」
右胸を貫かれたような傷痕、腹を割かれたような傷痕、大小合わせれば百を越すような傷痕が水仙のキャンパスに書きなぐられていた。
「お前に分かるか……」
今だふらつく体に鞭を打ち、支えに使った刀を絨毯から引き抜き構えを取ると、怒りで充血した瞳で竜胆を射殺す。
「……分かるかって、こっちはジジイなんだ、何がわからねえかの説明くらいしてくんねえか?」
垂れる血を袖でぬぐいながら返すと、切り裂かれた瞼を開く。それでも竜胆の左の視界は闇の中だった。
竜胆を見据え水仙は上段に構える。視界の揺らぎは収まったようで、剣先は微動だにしていない。
「やべえな」
呟き、戒杖刀を握る手を前に突きだした構えをとる。
今の水仙ならばもう懐に入れてはくれないだろうと、竜胆は悟っていた。同じ技は二度は通じない。老いた自分には無理でも、水仙ならば出来るのだろう。
力と速さに劣る竜胆がとれる手は限られていた。ふっと強く息を吐き大股で踏み込み刀を降り下ろした。
受けるかかわすかの選択を迫られた竜胆は背筋にぞわっと寒気を感じ、咄嗟に後ろに飛んだ。眼前を刀が通過し、絨毯にぶつかると、フローリングごと切り裂いた。
「ちっ!」
舌打ちし着地する竜胆に追撃が迫った。横凪ぎの一撃だ。着地直後ではかわしきれないと、刀で受ける。金属のぶつかり合う音と共に刀が弾かれる。
「ちっ!」
再度舌打ちし柄を握りつぶすほど強く握り混み、弾き飛ばされるのを必死に耐える。
水仙の威力速度が共に上がった。
体勢を建て直したい竜胆だったが、水仙の追撃は止まらなかった。左右上下斜めから幾度も斬撃が飛んでくる。
竜胆は受け流し続ける。その顔からは修羅は消え去り、焦りの色が現れていた。
「はええし、つええな!」
刀のぶつかり合う音が幾度も響くと、いなしきれず、刃先が竜胆の肉をえぐっていく。
血が吹き出ながらも、柄を握る力だけは竜胆は緩めなかった。少しでも緩めれば弾き飛ばされ、死を迎えることを理解していた。
そしてもう一つ、理解していることがあった。水仙の斬撃の速度も威力も決して上がってはいないことを。ただ、自分の力と反応速度が鈍っているだけのことだった。
水仙は肩から脇腹にかけ、刀を振り下ろした。
「うっ、ぐぅっ」
歯を食い縛り受け流すと、竜胆は刀を振るった。斬るためや、命を奪うためのものではなく、ただ距離を取りたいだけ抵抗の斬撃だった。
しかしその行動は水仙の動きを止める効果はあった。前にで続けた水仙は一歩後ろに引いた。
「……そんなにも命が大事か」
「大事かどうかと聞かれりゃ大事としか言えねえな。ジジイになって死ぬのが怖くはなくなっては来たけどよ、それでもまだ死ねねえからな。お前は大事じゃねえのか?」
警戒は解かずに戒杖刀を左手に持ち直し、痺れた右手を振る。
「大事?こんなちっぽけな命なんか大事なわけない」
瞳の充血が増していき、白目の大半は赤く染まった。
「命より大事なもんを奪われたいま……命なんていつ捨ててもいいんだよ……お前らの首を白英の墓前に添えられればな!」
修羅の形相を前に竜胆は右手に刀を持ち直しふっと笑った。
「水仙組長よ、人を強くするものってなんだか知っているか?」
「知るか」
即答されたが、竜胆は特に答を求めていたわけではないのか、気にも止めずに続けた。
「友情、愛、努力」
答えると竜胆一度ふっと笑い水仙のような修羅の顔をする。
「そんなものよりも遥かに人を強くするもんがあるんだよな。それは欲と恐怖と……怒りだ」




