死屍柴ヒルイの闘い アンラッキー
「確かに時代は終らせなければならないのう。新しい時代がやってくるんじゃからのう」
孫の顔を思い浮かべヒルイは一瞬だけ優しい祖父の顔をしたが、瞬時に裏世界の楔である死屍柴ヒルイの顔に戻した。
「じゃがのう。新しい時代にお前を行かせる事はできん。前時代の遺産はここで排除せねばいかんからのう」
「前時代の遺産はおまえだろう」
死屍柴ヒルイと橘牡丹は睨み合いながらジリジリと互いの距離を近づけていった。そして三メートルほどの距離に近づいた瞬間――二人は同時に飛び掛った。
ぶつかる。
それほどに近づいた瞬間ヒルイは上体をひねり背筋と腕力に任せた一撃を放ち、橘は瞬時にナイフを逆手に持ち、膝のばねを活かし、下から上に切り上げた。
互いに斬り殺そうと振るったナイフはぶつかり合い、鼓膜を破りそうなほどの金属音が奏でられた。
その音が号砲となり、四人の裏世界の住人は動き出した。
アンラッキーはナイフを握った腕をだらりと垂らし、気配なく君江を青い瞳で見据えた。そこにいるはずなのに注意しなければ存在を認識できないほど、存在感が無くなっていた。
それは対峙する君江も同じだった。目立つ鉤爪を装着しながらも部屋の一部に溶け込んでいた。
互いの呼吸を読むかのように、二人は瞬き一つせずに見つめ合ったまま動かなかった。幾度も金属のぶつかり合う音が部屋に響き合う中、二人の存在は消えた。
何十秒か何百秒か分からぬほど見詰め合った二人の時は突如動き出した。
僅かにではあるが、アンラッキーの瞼がピクリと動いた。
動いた理由は簡単なことだった。
老い。
十年前なら瞬きなど何十分でも抑えることが出来ただろうが、老齢となり、瞼の筋力が落ちた今、瞬きを耐えることすら出来なくなっていた。
君江はその一瞬を逃す事無く、音もなく駆けると鉤爪を振るった。
門脇もササカワも反応することが出来なかった攻撃を、一瞬の隙を突かれたアンラッキーではあったが、攻撃を目で追いナイフを立てて受け止めながら、動きの悪い義足で後ろに飛び威力をいなした。
枯葉のようにアンラッキーは宙を舞うと絨毯の上に着地する。柔らかな絨毯でも義足の金属音を吸収しきれずにガチャッと音が鳴った。
アンラッキーが着地すると君江はもう詰め寄っていて、鉤爪を振るうところだった。
その攻撃にアンラッキーの顔に表情が表れた。それは焦りだった。
アンラッキーは君江や橘の何倍もの実戦経験があった。
その経験があるからこそ、ミナミの義手側から心臓を狙った攻撃にもどう対処すればいいのか、瞬時に対処することが出来た。最高位の技術と数多の実戦経験があるからこそ、アンラッキーは隻腕ながらも最境と呼ばれていた。
そして今、数多の実戦経験から一つの答えが導き出された。この攻撃の対処法がないということが。今の体勢ではかわすことも、捌くことも出来ない。受け止めるという道も残されてはいなかった。たった一度受けただけでアンラッキーの手は痺れ、ナイフを握っているのも精一杯だった。
かわすも捌くも出来ないのならとアンラッキーは腕を折りたたみ、筋肉を極限まで固め威力を少しでも逃がすことが出来るよう横に跳び、鉤爪を受けた。
しかし、極限まで固めた腕も、細くなった骨も、君江にとっては枯れ枝のようなものだった。
威力をろくにいなすことも出来ずに、最後の腕はいくつものパーツに切断され、崩れたジェンガのように床に落ちた。
最後の腕も奪われたアンラッキーではあるが、幸運もあった。それは命だけは奪われずに済んだことだった。
ナイフで受けるか、かわそうとしていれば、腕だけではなく胸すらも裂かれ死は必須だっただろう。
腕一本を犠牲にする事により、アンラッキーの胴には刃が届くことがなかった。
命は助かった。
しかしそれは今はと言うだけのものだった。
失った腕からは老体のどこにあったのかというほど血が吹き出ていた。
アンラッキーは痛みに耐えているのか、額から脂汗が噴出し、唇はかすかに震えていた。
「終わりです」
君江は勝利を喜ぶでも、命を奪えずに悲しんでもいない、抑揚のない声で言った。
アンラッキーにはもう戦う術が無かった。戦うための腕がなかった。
いや、もし戦う術があったとしても、この傷では数分も持たずに出血多量で死ぬだろうが。
アンラッキーは血を急速に失い眩暈を感じていた。今すぐにでも絨毯に倒れこみたい衝動を必死に抑え、青い瞳を君江に向けた。
死を覚悟した人物を前にしても、君江は表情一つ変えること無く腕を引くと、胸めがけ鉤爪を突き出した。
鍵爪の刃先が胸に触れようとした瞬間、君江は気づいた。
自分に向けられていると思っていた視線が、別なところに向けられているということに。
青い瞳は自分の命を奪おうとする鍵爪にも、自分の人生に幕を引こうとしている君江にも向けてはいなかった。
見ていたのはその背後。
修羅の顔で戒杖刀を振りかざした竜胆虎四郎の姿だった。
「遅かったじゃないか」
胸を貫かれながらもアンラッキーは呟いた。




