死屍柴ヒルイの闘い 三人の組織長
木瑞は返事をする事はなかった。勿論シスターミナミも、夜野も滝口もだ。
死人が言葉を発することはないのだから。
言葉を発したのは鏡谷だった。しかしそれは、竜胆の言葉に答えたものでも誰かに話しかけたものではなかった。
「おっ……老いてなんかいないじゃないっすか!」
体を小刻みに震わせ、三人の傑物に視線を送る。その目は見開かれ、怯えと言う文字を映し出していた。
「黙れ」
ぼそりと橘は呟いた。
しかし鏡谷は答える事無く、ガラスのテーブルに両肘を着き、頭を抱え体をより激しく震わせた。
「無理だ。勝てっこない……。相手はあの死屍柴ヒルイなんだ……誰も勝てっこない……」
「黙れと言っているだろ」
またぼそりと呟くと、キャリーバックから腰を上げ、鏡谷に近づくと、頭を掴み顔面をガラスのテーブルに叩き付けた。
「がァッ!」
悲鳴と同時にごしゃっと骨の砕ける音がし、続いてゆっくりとテーブルの上に血が広がっていった。
「黙れといっただろう? 私の元に……たかが雑魚を蹴散らした程度で怯えるような……弱卒はいらない」
掴んだ髪を引っ張り鏡谷の耳元で囁くと、ぱっと手を離した。
鏡谷は重力に引っ張られ、また顔面からテーブルに落ちると、先程よりも少しだけ小さなごしゃっと言う音を奏でた。
血をテーブルに広げるだけで動かない鏡谷を、橘はゴミを見るような蔑んだ目で見ると、ソファに深く腰を掛け、視線を君江に送った。
「お前は爺どもを見て怯えたか?」
「いいえ。私の記憶していたお三方ならば、あと二秒は早く処理できていたはずです」
抑揚のない声からは感情を読み取ることは出来なかったが、三人の傑物にはその言葉が虚勢ではなく、嘘偽りのない答えだと言うことが分かった。
全盛期の竜胆ならば動きを止めるだけではなく、体を震わせ獲物すら落とさせることが出来た。
全盛期のアンラッキーならば、相手が動き出す前に気付かせることなく生命活動を終らせることが出来た。
全盛期の死屍柴ヒルイならば……一瞬で二人ではなく、この場にいる敵対する者全てを屍に変えることが出来た。
「老いとは怖いものだねえ。二十年前のあんたらは遠目から見るだけで身震いするほどだった。それがどうだい? 今じゃ哀れでしかないねえ」
哀れむと言いつつも、橘の目には蔑みの色が浮かんでいた。
「老いのう……確かにワシは老いた。体の一部だったはずのこいつが、いつの間に重く感じるようになったしのう」
視線を赤いナイフに送る。
「けれどのう……老いて初めて出来るようになったこともあるぞ」
ヒルイの言葉にふっと竜胆とアンラッキーは笑った。
「出来るようになったこと? ゲートボールでも始めたってのかい?」
嘲笑するかのように唇を歪ませ言った。
ヒルイはそんな橘に哀れんだ瞳を向ける。
「……お前さんには分からんじゃろうのう」
「ちっ」
舌打ちをすると視線を君江に送る。
「爺どもに引導を渡してやりな」
「畏まりました」
答えると、部屋から君江の気配が消えた。
そこにいるというのに、まるで透明になったかのように存在感が無くなっていった。
橘はそんな君江を満足な目で見つめると、顔をシスターササカワに向けた。
「シスターあんたはどうだい? 怯んじゃいないかい?」
鋭い視線をササカワは受け止める。
「怯んでなどいませんわ……」
ササカワの言葉に嘘はなかった。唇は微かに震えていたが、怯えてはいなかった。
彼女は絶望していたのだ。
ササカワは誰よりも自身の老いを理解していた。
今の自分では愛弟子でもあるシスターミナミにも劣るという事を。
そのミナミもアンラッキーの手により屠られたいま、自身の未来には死しか待っていないという事を。
なぜこうも違うんだ。
自身と同様に老いて力が衰えたはずなのに、幹部達を意図も容易く屠れるなんて。
ササカワは四十を前に自身の老いを感じていた。
鍛え続けているというのに筋繊維は細くなり柔軟性を失い、心臓は酸素を欲して激しく拍動するようになっていき、反射は鈍り相手の動きを捉えてもコンマ数秒遅れるようになっていた。
それでも十大組織の長だけはあり、裏世界を生き抜く技量だけは持っていた。
あくまでも、生き抜くだけの技量をだ。
裏世界の最高峰に位置する化け物どもを相手取るだけの力はもはや持ち得ていなかった。
ヒルイやアンラッキーや竜胆、橘や君江に比べれば圧倒的に劣る強さしか持たない。それが今の山百合学園学園長、シスターササカワだった。
なぜ同じく歳を取り、老いていっているのにこうも違うんだ。
ササカワと三人の違い、それは凡人と傑物の違いだった。
七十を前にし、ササカワは自分が路傍の石でしかないことに気づいてしまった。
絶望が襲い掛かり、ササカワの手から力が抜けロザリオが絨毯の上に落ちた。
そんなササカワを見て橘は眉をピクッと震わせた。
「チッ」
また、舌打ちすると視線を門脇に移した。
「門脇の坊やはどうだい? 怯んで……いるようだね」
門脇は鏡谷以上に震えていた。歯をガチガチと鳴らし、顔面を青く染め上げていた。
門脇には裏世界を生き抜く力があった。
数と金の力により半グレ集団三叉のスコーピオンを十大組織に押し上げた手腕は、裏の世界でも突出したものだろう。
だが、彼には足りないものがあった。
深淵を覗いたことがない。
それが彼には足りていなかった。
半グレは表と裏の境目にいるだけでしかなかった。
薄暗い境目から振り返り闇を見ても深淵は決して覗くことは出来ない。
だから五郎丸を化け物と形容することが出来たのだろう。
本当の化け物を見たことがないから言えた言葉。
「あっ……うっ……あっ……」
震える唇は言葉を紡ぐことが出来なかった。
「チッ……使えない餓鬼だねえ……」
また舌打ちすると、橘は徐にソファから立ち上がった。そしてまたボソッと呟いた。
「君江、殺れ」




