二代目死屍柴ヒルイの戦い9
瑠衣は掛け声に反応し地面を蹴り飛び出す。それと同時にジョンも大鎌を振り上げながら地面を蹴る。
両者の速度は速く、離れて見つめていた零や長達でも目で追うのがやっとの速度だった。
瑠衣は飛び出した瞬間、不思議な感覚に襲われた。自分の体がまるで羽のように軽かった。肉も骨も内臓も全て羽毛で出来ているんじゃないかと思うほどに。
瑠衣は五歳の時からずっとアンラッキーにより暗殺のいろはを叩き込まれていた。その才能は叔母である姫宮や母親の茜を超えるほどのものだった。
けれど、それだけでは決して二代目死屍柴ヒルイを襲名できるような力はなかっただろう。彼女が二代目を襲名することが出来た一番の理由は体を扱う天賦の才があったからに他ならなかった。
それは死屍柴ヒルイの血族だからなのか、それとも瑠衣が神に愛された人間だからなのかは分からないが、彼女には殺しの才能が誰よりも色濃く現れていた。だから小さな体と非力な力でも回転する遠心力を活かして戦うなどと言う常軌を逸した戦い方を実現することが出来たんだろう。
けれど、瑠衣はその天賦の才を活かしきれてはいなかった。それは力を身に付ける日々の中で増幅されていった、憎悪が原因だった。誰かを殺そう、復讐を果たしたいと考えるたびに瑠衣の体には力がこもり、筋肉が硬くなり、動きの制度が落ちる結果となっていた。
落ちるといってもほんの微々たるものであり、アンラッキーも気にするほどのものではなかったが。
けれど今、母のような殺意も悪意も害意も微塵もない微笑を浮かべる事により、瑠衣は才能をフルに発揮することが出来た。
瑠衣は朝礼で貧血を起こした生徒のように、重力に引っ張られるように前に倒れていくと、地面と体の角度が四十五度を作った辺りで、爪先の力とふくらはぎの筋肉のバネで飛び出した。その動きはまるで射られた矢のように早く、しなやかだった。
天賦の才と言うのならば、ジョン・ドゥも負けてはいないのだろう。彼岸花の殺人鬼の大半は戦闘訓練など受けていない素人の集まりだと言うのに、一人一人の強さと言う点では他の組織と比べ物にならないほど強かった。
十数人の会員の集まりではあるが、一人一人が黒百合の幹部と比べ遜色ないほどの強さを誇っていた。
彼岸花の殺人鬼は殺したいように殺すだけだった。頭で考えて動くのではなく、本能に従い動くだけ。
その点では死屍柴ヒルイのような超越者と似通った集団でもあり、その中でもジョン・ドゥは最も強い人間だけが引き継ぐことの出来る名だった。
本能に赴き人間離れした瞬発力に反射神経と身のこなし、そして一神に匹敵するほどの動体視力を持つ人間、それがジョン・ドゥだった。
ジョン・ドゥは今、高揚していた。矢のような速度で自分に迫り来る瑠衣を前に、人生でもっとも素早く体が動いていた。
高揚……いや、ジョンは快楽を感じていた。体中が燃え上がるように熱く、皮膚が空気と擦れあうだけで身震いしてしまうほど快感を感じていた。
瑠衣が放たれた瞬間に、ジョンは弾丸のように飛び出し、二歩の助走で瑠衣に向かい飛び掛った。地面すれすれを滑空する猛禽類のように低い軌道で跳び、その目を見開き瑠衣の動きを見極めた。
二人りは交錯し、走り抜ける。振り下ろした大鎌が当たったのかも、走り抜けながら瑠衣のナイフがジョンの首を掻っ切ったのかも、誰も捉えることは出来なかった。
それほどに互いのスピードは裏世界の最高峰が集まるこの場でも群を抜いていた。
互いに走り抜け、ジョンは大鎌を振り下ろしたまま固まり、瑠衣はナイフを振るった状態で固まった。どっちが勝ったんだと、誰もが目を見開き、固唾を呑んで勝敗の行方を見届けた。
背中を向け合い佇む二人だったが、不意に片方の体が揺れると、血飛沫が舞いあがり、床に倒れていった。
勝敗を別けたのは動体視力の差だった。
瞬発力も反射神経も身のこなしも肉薄した二人だったが、ジョンの目は瑠衣の攻撃をしっかりと捉えていた。瑠衣もジョンの動きを何とか眼で追う事は出来たが、ジョンはコマ送りの映像のように捕らえていた。そして一神とは違い、身体能力に優れたジョンは、その動きに合わせ、体を動かすことが出来た。
勝敗は動体視力の差で決ったのだ。
ジョンは大鎌を振り下ろしながらも、瑠衣の動き、瑠衣の顔、瑠衣の瞳の動きを完璧に追えた。そして、思ったのだ。ああ、茜ちゃんがここにいると。
快楽殺人鬼の快楽とはなんなのか?
ジョンは微笑を浮かべナイフで首を掻っ切ろうとする瑠衣を見つめ、微笑んだ。
快楽殺人鬼の歪んだ笑みではなく、恋する女子高生が校門で好きな男子を見つけたときのように、会えた事が嬉しいあまり零れ落ちてしまったような、微笑を浮かべた。
ジョンはコマ送りの映像の中、ずっと瑠衣の顔を見続けた。脳裏に焼き付けるように。
大鎌を降り下ろす腕が視界を遮りかけたので、起動が逸れるのも気にせず腕をずらし、瑠衣の体から視線を外し、その微笑む顔だけを見続けた。
死ぬその瞬間まで、ずっと瞼に焼きつき見続けられるように。
見続けた。
首をナイフが掻っ切っていってもなお。
瞼に焼き付けるために。
地面に倒れていきながら、ジョンはゆっくりと目を瞑った。
「……良かった。茜ちゃんが見えるな……」
血飛沫を噴出しながらジョンは呟くと、床に倒れこんだ。
その声は誰の耳にも届かぬほど小さかった。




