二代目死屍柴ヒルイの戦い7
「姫宮ちゃんからは言いにくいのかなー? じゃあ、僕が姫宮ちゃんの胸のうちを言ってあげるよー」
「ジョン・ドゥ様!」
姫宮がとめるように声をあげるが、ジョンはそんな姫宮に手を突き出し静止を促す。
すると、裂かれた袖から血が滴り落ちた。平然と会話をしていたのでその場にいた誰もが気づかずにいたが、ジョンの怪我は深かった。腕の傷だけじゃなく、切り裂かれた額から流れる血もいつしかジョンの顎を伝いシャツを赤く染め上げていた。
黒いタキシードを身に纏っていて気づけなかった、血を吸い込んだタキシードはまるで水に濡れたかのように、黒をより深めていた。
しかし当のジョンはそんな事、気にした様子も見せずに言葉を綴る。
「ヒルイちゃんはさー、茜ちゃんってどんな顔をしていたか覚えてるかなー?」
「うん」
瑠衣が五歳の時に亡くなったとはいえ、はっきりと覚えているのか即答した。
「じゃあ、どんな表情をしていたかも覚えているー?」
「お母さんはいつもニコニコしていたよ」
その場にいたジョンを除く四人の長と、護衛の蓮見と水沼、そして零は懐かしむように茜の事を思い出し始めた。裏世界の誰もが知っていて、誰もが憧れた女。それが茜だった。
「じゃあ、茜ちゃんの微笑の笑みも見たことがあるかなー?」
「うん」
瑠衣はこくんと頷いた。
その会話を聞き、懐かしんでいた者達は顔を暗くした。ジョンの言いたいことが分かったんだろう。茜と瑠衣は顔の作りがよく似ていた。今はまだ幼い顔つきの瑠衣だが、成長すれば茜によく似た美人になるだろう。けれど、たった一点だけ瑠衣と茜が決定的に似ていない点があった。それが微笑だった。
「茜ちゃんの微笑には殺気も怒気もなかった、あるのは狂気だけ。なぜなら茜ちゃんは殺すためではなく、守るために戦っていたからねー。仲間を家族を世界を……そして娘を守るために戦った。茜ちゃんの微笑は愛に溢れていたんだよねー。愛で人を殺すなんて狂気の沙汰だからねー」
ジョンはいつものように無邪気に笑いながらも、瞬きすれば見逃してしまうようなほんの一瞬だけ、懐かしむような、悲しむような、どこか切なげな笑みを浮かべた。
ジョンはまた無邪気な笑みを浮かべなおすと、言葉を続けた。
「それに比べヒルイちゃんは何なのかなー? 微笑を浮かべているって言うのに……なに殺気だっちゃっているんだい?」
「……」
自分でも分かっていたのか、瑠衣は口を噤んだ。怒られるのに耐える子供のように。
「昨日はちゃんと微笑を浮かべていたから僕は嬉しかったっていうのに、今日のはなんだい?」
「……だってイライラするんだもん」
「イライラねー。昨日は僕わざとヒルイちゃんを怒らせるために茜ちゃんを貶めるような事を言ったから怒って当然、イライラして当然なんだよー。家族を馬鹿にされたら怒るのは家族愛なんだからしょうがないよー。でも、家族を殺されたから殺そうと怒るのは、家族愛ではなく憎悪なんだよー。憎悪を相手に向ければ、それは殺意に変わるんだよ」
ジョンの言葉は瑠衣に向かい話しているというのに、その場に居る多くの人間の心を揺さぶった。特に姫宮の心は大きく揺さぶられ、目に涙が込み上げてきた。
瑠衣の憎悪を押さえられなかったのは自分達であり……憎悪を増幅するような育て方をしたのは自分だと気づいていたからだ。
姉を殺した橘に復讐できるように強くなって。何度その言葉を投げかけたのか。
溢れる涙を堪えながら、姫宮は何度も心の中でゴメンネを繰り返した。
「……じゃあ、私はあの人を殺しちゃダメなの? 嫌だよ……嫌だよ……」
そう語る瑠衣はもう眠そうでも、微笑を浮かべているのでもなく、悲しげに瞳を潤ませ、懇願するかのような目をジョンに向けていた。それは、復讐に囚われた人生を歩んできた瑠衣が、初めて見せる人間らしい表情だったかもしれない。
溢れる殺意を必死に押さえ、瑠衣は生きてきた。その殺意はたった一人の女、橘牡丹に向けるものだから。
けれど、今、その復讐はジョンによって否定された。
そして瑠衣は揺れた。自分の人生をかけて来たものが否定され、殺意が揺らぎ、心が揺らぎ人生が揺らいだ。
これから私はどうやって生きていけば……何を目標に生きていけば良いんだ?
ジョンの言葉が間違っていると考えることも出来たのだろうが、瑠衣は義姉である姫宮の涙を見て、自分が間違っていたんだと確信していた。
自分と同じくらいお母さんのことが大好きだったお姉ちゃんが、自分とお母さんが似ていないと思っているのなら間違いなく似ていないんだろうと。
お母さんはきっと……復讐なんて望んでいないのだろうと。
瑠衣が考えたように茜は復讐なんて望んでいなかったのだろう。茜は裏の世界で生きていながら、一度も殺意を放ったことのない人間だった。死ぬその時も。
なぜなら、茜はヒルイの遺志を受け継いだ人間だったからだ。この世界でも子供が笑って暮らせるようになって欲しい。その一身で戦い続けた人間だった。
「殺して良いに決ってるじゃないか」
ボロボロと涙を流す瑠衣にジョンが言葉を掛けた。
「橘ちゃんは死ぬべき人間なんだからねー。けれど、その理由が復讐じゃダメなんだよ。復讐心……つまり怒りは、人間を加速度的に強くしてくれるけど……つまらない人間に変えちゃうよー。怒れば力が増し、攻撃も速く重くなって、戦っているときは難易度の高いゲームをやっているような気分で楽しんだけど……攻略した時に気づくんだよ、なんだかつまらないなって。ヒルイちゃんも同じ、今日は昨日よりも力も速度も増したのにつまらなくなったよー。僕はそんなつまらない人間に負けて殺されたりしないし……ましてや殺したくもないねー」
ジョンが瑠衣を殺さなかった理由、それは瑠衣に殺す価値が無かったから。
瑠衣を殺しても何の快楽も得られないからジョン・ドゥは殺せる状態になったにもかかわらずに刃を引いたのだった。
「じゃあ私はどうすれば良いの? 殺して良いのに、復讐しちゃダメって……わかんないよ……」
涙がとめど無く流れ落ちる。
「……瑠衣」
呟き姫宮はフラフラと瑠衣の下に歩み、同じく大粒の涙を零しながら、しゃがみ込み、ギュッと抱きしめた。
「ゴメンネ。ゴメンネ。瑠衣をこんな風にしちゃってゴメンネ」
「……お姉ちゃん」
呟くと瑠衣はナイフを放し、両手で力強く抱きしめた。
姉妹のようにも親子のようにも見える二人は、大粒の涙を流しながら抱きしめあった。




