41 帝国敗走③
東大陸北西部、帝国軍司令部宿営地、エルゲス丘陵。
時刻は夕方。最高司令官“ポールドマン”は、腕を組み右手の人差し指を小刻みに動かしていた。
その佇まいは威厳に満ちているが、内心の焦りは色濃い。その理由は、司令部設置エリアにも関わらず、砲撃と銃撃音が響き、兵たちの叫声が絶え間なく聞こえる現在の状況にあった。
「報告します」
「どうした!?」
「敵部隊が最終防衛線を突破。機械化部隊を先頭にエルゲス丘陵に迫りつつあり――」
瞬間、室内に動揺が走る。複数の幹部が席を立つと慌ただしく半地下室を離れ、後には沈黙が残される。
「ええい! 敵部隊の正体に目星は付いたのか!?」
「恐れながら、アルミナ正規軍ではない別種の軍隊であるかと」
「たわけがっ、そのようなことはわかっておるわっ」
大規模な通信不調を確認したのは朝方だった。直後、所属不明の戦闘機が飛来し、その後は謎の地上部隊の攻勢が仕掛けられた。
もちろん帝国軍も司令部防衛を担う第5、第6軍団が応戦したが、敵の撃退には至らず、そればかりか戦線を押し込まれ遂には最終防衛戦の突破を許した。
偏にポールドマンが欲するのは敵の正体であるが、既に本国の外交部からは先の会合内容が報告されている。
しかし、焦りや常識が邪魔してか、外界国が立ち塞がる事実に彼らは気付かない。
「ポールドマン閣下、これ以上の戦闘は不可能です。撤退のご指示を――!」
刹那、現地陸軍の総司令官、ギリヤードが最高司令官の説得を試みる。が、参謀バルバレッドが彼の胸元を掴み鬼の形相で反発する。
「何を血迷ったことを言っているのです!? 撤退する? 冗談じゃないっ、我々は何のために東大陸に渡ったとお思いですか!? 東大陸に帝国の御旗を掲げるため。そうです。勝利のためです。決して敗北の汚名を背負うためではありません。それともあなたはポールドマン様、延いてはレオティテス全権代様にその汚名をかぶせるおつもりですか!?」
「貴殿はそれでも参謀か!? 現状を見ろ。このままでは全滅も有り得るぞ!?」
「笑止! 我々には北方部隊が残っている。彼らが駆け付ければ戦況は変わる。さすれば勝機は我らの手に――」
バルバレットは二方面作戦の片翼を担う部隊、北方制圧部隊が参戦すれば戦況をひっくり返せると訴える。
「馬鹿を言えっ、北方制圧部隊が駆け付ける保証がどこにある!? 戦場は混乱を極め、前線を含めた各部隊とは連絡も取れんのだ。希望的観測はやめろっ、貴殿はポールドマン司令をここで殺すつもりか!?」
「ではこのまま敗北を認めろと!?」
バルバレットとギリヤードの口論が続く。とりわけ参謀のバルバレットは頭に血が上っているのか、普段の冷静な姿はなく、幾度となく金切り声を上げる。
「ポールドマン司令、ご決断を――」
これでは埒が明かないと、ギリヤードはポールドマンに判断を一任する。
対してポールドマンは指先の動きを止め、やがて悔しさを滲ませた声で発言する。
「……撤退だ。我らは一度東大陸を離れ本国に帰還し再起を図る。だがこれは敗北ではない。言うなれば一時的な休戦である。無論、レオティテス全権代様にもそうお伝えするつもりだ。おまえたちも良いな!?」
「はっ」
土台無理のある話だが、これで敵部隊が迫る状況から抜け出せる。司令部の面々はこぞって安堵の表情を浮かべた。
「バルバレットよ」
「はっ」
「現時刻を以てお前を参謀の任から解く」
「なっ!?」
「お前の侵攻計画には目を見張るものがあったが、この事態を予見できなかった点は失態と言える。レオティテス全権代様もさぞ心を痛められるだろう」
「ポールドマン様っ、それはあまりにございます! 作戦計画書には閣下も目を通し、署名もされていたではありませんか!? 私一人に責任を押し付けるおつもりですか!?」
「黙れッ、申し開きは本国でするがよい――」
ポールドマンは椅子から重い腰を上げると車両に乗り込むために移動を始める。が、数歩進んだところで再び大声が響いた。
「報告します!」
「今度は何だ!?」
「ロッサ港が襲撃を受けた模様――」
「なっ、何だと!?」
瞬間、ポールドマンは目を見開く。
「ここよりさらに後方の港ではないか!? どいうことだ!?」
ロッサとは帝国軍が最初に上陸を果たした大陸海沿岸の地名である。帝国軍はロッサ港を奪取、改修を加えた上で物資の搬入拠点としており、後方再重要拠点に位置付けていた。
「ロッサ港だけではございません。我らが公国より奪取した港湾が次々に襲撃を受けています。おそらくは敵艦船の仕業かと――」
「馬鹿を申すなっ、空と地のみならず、たった一日で海まで奪われたと申すか!?」
「そうとしか考えられません。現在、上陸地点近海では帝国海軍の艦船は確認できず、所属不明の艦船と共にアルミナ正規軍の船が姿を見せ始めています――」
信じられん。
僅か一日でいったい何が起こったのか……
ポールドマンは逃げ場のなくなった現状に茫然とする。直後、砲撃の振動で地下室が揺れる。
ここにきて実感するのは死の恐怖。そのとき、ポールドマンの額には大量の汗が滲んでいた。
公都アルマニ、自衛隊現地司令部。
夕方近く。作戦決行から半日が経つ中、現地司令部では各部隊より寄せられる情報の集約と分析に追われていた。
公都に迫る敵の前線部隊はほぼ壊滅、補給線の分断にも成功し、司令部が設置されたエルゲス丘陵の攻略も現状は自衛隊有利に推移している。
帝国の東大陸侵攻以降、大陸北部の制空権は帝国軍にあったが、今は空自が広域的に奪い返し、帝国軍上陸地点近海の制海権も海自が押えている。
既に本国ではフェーズ5に当たる情報戦への移行を念頭に動き出していることもあり、東大陸を舞台に繰り広げた対帝国戦はたったの一日で収束に向かいつつあった。
ただし、各部隊の死傷者は決して少なくない。とりわけ中間倉庫群の攻略を受け持った第6師団の損害が目立ち、次いで敵司令部を叩いた第2師団と第12旅団の被害が顕著である。
現状、軽傷者を含めた死傷者は800名を超え、今後の報告次第では増加の可能性を秘めている。部隊損耗率で見ればおよそ1.6%と軽微だが、尊い命が奪われた点を顧みれば国内に与える衝撃は小さくない。
「屯田司令! アルミナ正規軍より緊急連絡です――」
「話してくれ」
「僅か一日で帝国軍を壊滅させた日本国軍の手腕には驚きを禁じ得ない。我がアルミナ大公国の要請を受け、帝国討伐に動いた貴国の貢献には最大の賛辞と感謝を申し伝える。我々は明朝より帝国軍残党兵の排除を念頭に部隊前進を図る。故に一部の部隊を帝国軍侵攻路から西側森林地帯にかけて先行して展開したいが、本作戦行動を日本国は容認されたし、と――」
「……なるほど。アルミナ正規軍には了承したと伝えてくれ」
「はっ」
軍としての統率はないものの、各地では未だ多数の帝国軍人が小組織単位で抵抗している。これから先、まだまだ予断を許さない状況が続くだろう。
しかし、屯田は本作戦域を早々にアルミナ正規軍に明け渡す方針でいる。
ここは東大陸公国領。日本が好き勝手できる場所ではない。自衛隊は戦端の一時的な肩代わり役であり、それ以上でも以下でもないのだ。
「既に永田町や市ヶ谷は情報戦に重きを置いている。帝国侵攻軍の敗北。この事実を受け、北大陸や南大陸、果てはこの世界がどう動くのか。十分に注意を払う必要がある」
この結果を受け、各国はどう動くのか。これまではアルミナが苦渋を強いる東大陸情勢だったが、今回の件を受けて否が応でも変化が生まれるのは間違いない。
それは紛れもなく、帝国、延いては世界に影響を及ぼすものだ。
日本国東京都。市ヶ谷某所。
既に深夜と呼べる時間帯にも関わらず、アリサは目の前の資料に夢中で目を通していた。
東大陸のアルミナ大公国領で日本国と帝国が軍事衝突。
およそ想定外の情報が伝えられたのは朝方のこと。そこから市ヶ谷という場所に移動し、自衛隊施設で東大陸の成り行きを見守っていた。
途中、食事や仮眠を勧められたが、食べ物が喉を通るわけもなく、睡魔は緊張のせいか微塵も襲ってこなかった。
「――こんなことが本当に…………」
この結果をどう受け止めればいいだろう。
アリサは純粋に困惑する。
同室には長谷川と数人の自衛官が同席しているが、彼らが口にする戦況報告はどれも衝撃的なものばかり。それを事実と受け入れるにはあまりに刺激が強過ぎた。
東大陸の北側戦線は日本側が勝利した。それだけでも驚くべき結果だが、目を引くのはたった一日で大勢が決した点だろう。
東大陸に渡った帝国人は実に百万規模。後方支援に動いた本国関係者も含めれば未曾有の数に膨れ上がる。それを一日で崩壊させるなんて空想としか思えない。
「……エルマ、私の日本国に対する認識はまだまだ甘かったようです」
「姫様……」
アリサの隣に控えるエルマも茫然自失。口元をワナワナさせるが、次の言葉が見つからない。
「帝国が敗北した。この事実は帝国のみならず、世界を駆け回ることでしょう。とりわけ大陸圏諸国への影響は計り知れません」
「こ、公国は息を吹き返すでしょうか?」
「……おそらくは。ただ、今日の出来事が世界にどう波及するか、私には想像もつきません。でも――」
そう言って、アリサは己が想いをエルマに伝える。
「私が果たすべき使命は明確になったと思います。私ははもっともっと日本国を知り、多くを学ばなければなりません」
それが私の出来ること。
日本国に亡命した理由――
彼女は固い決意を胸に、喧騒著しい大都市の夜に視線を移した。
次回「甘味大好」




