22 島内余波①
――あの国は何者なのか?
それが彼女の嘘偽りのない心情だった。
あの日、外務局本邸を訪れた大使の不遜な態度に多少驚きはあったが、田舎者国家が故の愚かな行為と切り捨てた。
気に留める程の国では決してない。世界に数多存在する未開の国の一つ。有象無象の一角に過ぎない。帝国からすれば虫けらも同然。二度と会うこともないだろう。
そう思っていた。
だが、“ニホン国”は再び帝国の前に現れた。
事もあろうに、アルミナ大公国という大国を引き連れて――
そして公国は我々に忠告を与えるかのように、帝国の真の相手は“ニホン国”だと言い放った。
馬鹿馬鹿しい。奴らは何をトチ狂ったのか。
四大国と外界国が同じテーブルに立つなど有り得ない。有り得て良い話ではない。
なのに、公国の対応はどこまでも真剣で冗談には思えなかった。
アイリッシュ・リストゼラに、リリナス・エストランテに、他公国を代表する重鎮たち。その誰もがあの“カモシダ”という男を気に掛け、当たり前のように会合の主導権を与えていた。
まさに異様な光景と言える。
――結論を出すには情報が少な過ぎる、か……
サーベラは屋敷を出た途端、ヘルマンを呼び付ける。
「ヘルマンよ、奴らの国の情報が欲しい。確か東大陸圏担当部局で調べを進めていたな」
「はっ、あ、いや……」
「どうした?」
「大使館消失後は調査を打ち切っておりまして――」
「ならばすぐに再会せよ。公国を介すれば何かしらの情報が得られよう」
ヘルマンは目を丸くする。
「し、しかし、あの者たちはあくまでも外界国。調べたところで帝国の脅威になろうはずが――」
尤もな反応だが、彼女の鋭い眼光に射抜かれては反発することは難しい。
大の男はしぶしぶ指示に従った。
万に一つも心配などいらないはずだ。
仮にニホンなる国が相応の国力を有していたとしても、帝国相手に何かができるわけでもない。東大陸での帝国の優位性は揺らがない。帝国の覇道を阻める者は誰一人として存在しない。
サーベラは視界の端で建物を捉えるが、早々に視線を切り、中庭に停められた車両に乗り込んだ。
「私、少々肝が冷えました。ここは敵国だと言うのに、まさかあそこまで強気な姿勢に出られるとは……」
「鴨志田様も無茶を為さる。帝国の関係者は皆一様に怒りを滲ませていました。まぁ、外界国があれほど強気な姿勢に出るのですから当然と言えば当然ですが、帝国の心中が手を取るように理解できてしまうのは何とも皮肉な話です」
帝陽の間を退室後、アイリッシュとリリナスは鴨志田と接触していた。
結果的に帝国の怒りを買っただけでは?
アイリッシュの問いに、鴨志田は首を振る。
「最初のインパクトは肝心です。あれだけ目立っておけば、帝国は否が応にも我が国に注目せざるを得ません。帝国の敵はもはやアルミナ大公国ではない、という宣伝には十分になったかと」
「では今後は――」
「はい。アルミナは今以上に南の戦線に注力ください。今回の件で帝国の目は自然と日本に向くことになります。東大陸の侵攻を進める上で我が国の存在は無視できない。そう帝国に思わせることが出来たなら、今回の会合の意義は大きい」
鴨志田は軽く笑って見せた。
アイリッシュとリリナスは並び立ち、深く頭を下げる。
「此度のご尽力に改めて感謝を申し上げたい。我々公国人はこの御恩を決して忘れることはないでしょう」
「先般の内乱に、此度の紛争と、不甲斐ないばかりです。出来ることならば、日本国とは末永く友好的な関係を築きたいと心より願っております」
「両者頭をお上げください。戦はまだ始まったばかりです。このまま何事もなく終われば良いのですが、先程の忠告に帝国が従うはずもありません」
さて、帝国はどう動くだろうか。
鴨志田は去り際の彼女の背中を思い出し、そこに帝国の未来を重ねた。
エイセル島、帝国軍西側軍事基地。
施設内は騒然としていた。
ベンゲル率いる地上部隊が基地を発ってからしばらく経つが、敵を撃破したとする吉報は未だに聞こえてこない。
それどころか、憔悴しきった格好で逃げ帰ってくる兵士が後を絶たず、基地内は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「壁際に横たわった人をお願いします! まずは背中の傷を診てあげてください。傷口を消毒してから布を当てて上から包帯をかぶせて。えっ? 医療物資が足りない? 東大陸への輸送分があったはずだから司令部に使用許可を願い出ましょう!」
そんな中、施設に踏み止まり、兵士たちに治療を施していたのがレイを含む従軍看護婦だった。
レイは額の汗を拭いながら負傷兵の面倒を見るが、医療物資の不足を受けて、司令部が置かれているダングラス宿舎に向かって走り出す。
けれど、途中で良く知る人物、幼馴染のアルクを見かけたため、彼女は不意に立ち止まった。
「アルク!?」
「……レイか?」
「こんなところでどうしたの!?」
「……いや、別に。俺たちは戦争に負けたんだなって。この島はまた公国のものになっちまう……」
基地内の混乱ぶりを横目に、アルクは力なく呟いた。
ボロボロとなって帰還する多数の兵士たち……
彼らの背中はどれも敗戦を物語っている。
敵戦闘機による空爆があったとき、今の状況を予想できないわけではなかった。
けれど、それでもベンゲル率いる駐留軍が敗けるはずがない。相手が例えアルミナだろうと、最終的には勝利を掴み悠々と基地に戻ってくるに違いない。きっと明日からはまた愚痴を零しながらの物資の受け入れ作業が始まるはずだ。そう思っていた。
今思えば、根拠のないその自信はどこからきていたのだろう。
楽観思考だった過去の自分を、アルクは殴りたい衝動に駆られる。
「そうだ! アルクも手伝って! これから司令部に行って医療物資を分けてもらえないかお願いしようと思ってるの!」
「無駄さ」
「どうして?」
「司令部の連中はとっくにどっか行っちまった。ダングラス宿舎はもぬけの殻。駐留軍の指揮系統は機能してない。まぁ、そんな状況だから、基地の物資を無断で使ったとしても誰も怒りゃしないだろうけど」
「そんな……」
レイは肩を落とし、アルクは自嘲気味に笑う。
そこには言い知れない虚無感があった。
けれど、事態は待ってはくれない。
直後、近くの監視兵が「敵襲ぅ」と叫ぶ。
アルクたちは不意に東の空を仰ぎ見た。すると、遠くの空からバタバタと忙しない音が聞こえてくる。
いよいよ敵がやってくる。
その圧倒的な敗北感と焦燥感がアルクの気持ちを急き立てる。
基地が制圧されれば、きっとここにいる人間は捕虜になるだろう。
四大国を中心に捕虜の扱いは長年に渡って話し合われてきたが、グレー、いやブラックな部分が多く、戦争の闇と言われ続けてきた。
そして、何より気が掛かりなのは……
瞬間、アルクはレイの手を取って走り出す。
彼女は驚きながらもアルクに従った。
――くそッ、レイは女だぞ!? 捕虜になればどんな扱いを受けるかなんてわかってただろ!?
そう心の中で吐き捨て、奥歯を噛み締める。
捕虜になること。
それは人間として扱われないことと同義だ。
食事すらも満足に与えられず、屋根も寝床もない場所を収容所代わりにする。戦争捕虜の扱いなんてそんなものだ。当然栄養失調で死亡するもの、疫病が蔓延し命を落とす者が後を絶たず、無事に自国に戻れる者はごく僅か。
国際的な規律が機能しているとは言い難いこのご時世、治療と称し捕虜を人体実験に利用する、地雷原を歩かせ地雷除去の道具とするなど、常軌を逸する扱い例もあった。
そして、男性が道具として扱われるのを考慮すれば、女性がどんなに酷く非人道的な扱いを受けるかなんて火を見るよりも明らかだ。
自国ですらそうなのだから、他国はもっと酷いに決まっている。
それがアルクの考えである。
それが戦争に負けるということ。
だから、戦争には負けられない。
勝たなければいけない。
でも、いざ敗戦の当事者になってみれば、運命の残酷さに吐き気を催す。
後ろではレイがアルクの名前を叫ぶが、アルクは「黙ってろ」と一喝。
建物の間をすり抜け、柵の切れ間を縫うように進み、一目散に走り続ける。
島からの脱出方法はまだ思いつかないが、当分は森に潜み敵の目を掻い潜るしかない。
アルクはそう覚悟を決めていた。
けれど、図らずも開けた場所に辿り着いたとき、彼の瞳は大きく揺れ動いた。
目の前には空中に浮かぶ鋼鉄の機械。
大きな音と激しい風を吹き乱し、空中を闊歩する姿を目にしたとき、彼は自分たちに逃げ場がないことを悟った。
「……レイ、ごめんな。俺がもっとしっかりしていれば……」
「ううん、私は大丈夫だから謝らないで。帝国が敗けるなんて誰も思わなかったよ……」
二人は別れを惜しむようにお互いを見つめ合った。
覚悟は決まった。
敵に捕まって奴隷同然に生きるくらいなら、このままここで……
レイはアルクの胸に飛び込むと一筋の涙を流す。
そんな彼女をアルクはどこまでも強く抱き締めた。
その後、隙を見て自殺を図ろうとした二人だったが、寸でのところで自衛隊員に止められることになる。
そこで二人は自分たちが戦っていた相手が公国ではなく、ニホンという名の外界国であることを知り大きく驚いた。
後に、二人は捕虜として日本の地を踏むことになるが、それはまた後の話である。
次回「島内余波②」




