10 雨過天晴①
北―東大陸間海域、ミラルザ諸島周辺。
内界と外界の狭間に位置する諸島群の間を縫って、一隻の船が荒波を突き進んでいた。
後ろには帝国の軽巡洋艦が一隻、執拗に民間船を追尾し砲撃を繰り返している。
巡洋艦は停船を促しているようだが、端から見れば小型船への砲撃を楽しむ風でもあった。
「――ッ……姫様っ こちらに!」
「私は大丈夫ですから、エルマは他の方々を――!」
「――ッ」
上本は唇を噛んだ。
あと一歩、あと一歩で外界だというのに……
ここまで細心の注意を払って航海してきたはずだった。
帝国軍に見つからないよう主要な航路を避け、時間を掛けてでも遠回りを続けるなど、帝都を発ってからやっとの思いでここまできた。
それが諸島群に入った瞬間、運悪く見つかってしまうなんて……
「きゃっ」
「姫様!? 大事はございませんか!?」
「……大丈夫。少し転んだだけです」
「アリサさんもエルマさんも身体を低く保ってください!」
アリサは指示された通り、床に這いつくばるように身体を縮める。
でも、視線は自然と上本に向いた。
救いを求める意味などない。彼は外界国の大使館職員に過ぎないし、この状況をひっくり返せるはずもない。
だけど、ここまで導いてくれたのは他の誰でもない、彼なのだ。
大使館からの脱出を先導し、近隣の小港まで誘導し、時折励ましながら、あと一歩で外界という場所にまで連れてきてくれた。
過度な期待は理解している。
でも「彼なら」と、淡い期待を抱いてしまう。
「上本さんっ!?」
「おい! この状況をどう切り抜けるつもりだ!?」
「――」
再び近くに水柱が上がる。船は大きく傾き、船内は阿鼻叫喚。アリサは不意に上本の名前を口にするが、
「……!? 上本さん!?」
どういうわけか、彼は船内の窓から遠く東の空を仰ぎ見ていた。
帝国軽巡洋艦“ベイルラマー”艦橋。
「なかなか停船しませんね。我々の命令に従わないということは、違法物資を運んでいる可能性が高いのではないでしょうか?」
「そうだな。……或いは大当たりかもしれん。わざわざ単艦で辺鄙な場所にまで遠征した甲斐があったというものだ」
ベイルラマー艦長“ホーネック”は期待のこもった視線を副長に向けた。
副長はまさかと目を丸くする。
「アリサ姫が海上に逃亡した可能性があることは承知していますが、よもや目の前の船が……?」
「確証はない。だが、麻薬や人身売買船にしては挙動がおかしい。未だ姫君が拘束されたとする情報も入っていない。なら――」
「アリサ姫があの小型船に乗っていてもおかしくないと?」
「そうだ。喜べ副長、祖国に手土産ができた。皇族が欲するほどの極上の土産だ」
ホーネックはギラギラとした瞳を眼前の民間船に向ける。
「全速前進ッ、前方の民間船との距離を詰める。威嚇を忘れるな。周囲にドデカい水柱をお見舞してやれ。停船するまで恐怖を与え続けろ」
「はっ!」
命令が副長を経て艦橋内で復唱される。
アリサ姫との曹禺。それをホーネックは天啓と受け取り、瞬間的に出世の文字が脳裏を過った。
他国と比較すれば先進的な巡洋艦とは言え、この船で一生を終えるつもりはない。いずれは戦艦の艦長を務め、やがては帝国海軍の象徴、歴史上無敗を誇る“龍彗星艦隊”の指揮官にまで上り詰めてみせる。
ホーネックが見つめる先は遥か未来、欲は大陸海の海溝よりも深い。
けれど、そんなときだった。
「……ん? 艦長ッ 艦内レーダーに反応あり! 二時の方角です! 何かが当艦に接近中――」
「何か?……戦闘機か?」
「い、いえ、戦闘機にしては速度が遅すぎます。かといって船にしては早過ぎる。ですがこの速度は飛行体であることは間違いないかと――」
ホーネックは要領を得ないレーダー手の説明に舌打ちをする。
戦闘機より遅い飛行体?
気球が接近してきたとでも言いたいのか?
彼はその正体を特定するよう口を開きかけるも、レーダー手の反応が先を行く。
「飛行体が何かを射出っ、高速で我が艦に接近しています――!」
大声が周囲に響いたかと思えば、上擦った声がその場の空気を一変させる。
ホーネックは報告のあった二時の方角に目を凝らす。
すると、キラリと光る何かが海上を移動する様子が垣間見えた。
――あれは何だ? 鳥か?
接近する飛行体の正体を見極めようとホーネックは身を乗り出すが、直後、軽巡洋艦“ベイルラマー”の艦橋は轟音と共に火の海に包まれる。
ホーネックの視界は瞬く間に遮断され、彼が抱く大志は永久に夢のままとなった。
永遠に続くと思われた砲撃が止んだ。
アリサは不審に思い、船内の小窓から帝国の艦影を確認する。
すると、軽巡洋艦からは火の手が上がり、凄まじい黒煙が空に立ち昇っていた。
「……どうして……?」
何が起こったのだろう?
突然船が爆発するわけもなく、いまいち状況が飲み込めない。
けれど、混乱するアリサを余所に、上本は「間に合った」と独り言を呟き、脱力した様子を見せた。
その間、バタバタとした騒音が船外から聞こえ始め、音は次第に大きくなっていく。
「さあ、もう大丈夫っ、外に出ましょう!」
アリサは謎の機械音に不安に駆られるも、上本に背中を押される形で船外に足を進める。
外に出ると眩しい陽の光に思わず目を背ける。が、次の瞬間、太陽光を反射しながら空を滑空する未知なる物体が視界に入り、彼女は口を半開きのまま、身体を硬直させた。
「――……て、鉄が、う、浮いてる……」
エルマが率直な感想を口にする。
きっとアリサも同じことを思っただろう。
彼女たちの頭上にあったものは見たこともない鋼鉄の機械……
翼を高速で回転させ、重い体を宙に浮かせる摩訶不思議な乗り物だった。
「上本さんっ、こっ、これは!?」
「ええと、まぁ、ヘリという空を飛ぶ乗り物ですね。目の前のものが多目的ヘリ。そのさらに上にいるのが攻撃型ヘリ“AH-64Dアパッチ”です」
上本はそう説明するが、アリサは言葉を失う。ここに至っては帝国の魔の手から逃れられた安堵感よりも、目の前の乗り物に対する衝撃の方が大きい。帝国にもない新手の乗り物の登場に、彼女の好奇心が刺激される。
やがてヘリは民間船上で空停飛翔すると、直後に緑色の服を着た兵士がロープ伝いに降下し、アリサたちの下に駆け寄った。
アリサはドキリとするも、兵士たちは手慣れた動きでアリサを鋼鉄の機械、その内部に誘導する。
「あのっ、上本さん!?」
「はい?」
「この機体はどこのものなのでしょう!? いいえっ、そんなことよりこの方々はいったい……!?」
そしてヘリに乗り込んだ矢先、アリサは息を吹き返すように上本に疑問をぶつけた。
上本は質問の意図を理解するのに時間を要すも、やがて「ああ」と相槌を打つと、当然の事実を告げる。
「この乗り物は日本国のものです。そして彼らは日本国の“自衛隊”です」
そう言って、上本は乗員の一人に視線を移した。
「救出感謝します。帝国艦に砲撃されたときは死んだかと思いました」
「間に合って何よりです。アパッチのミサイル弾頭を対艦用に変装していて正解でした」
「この先に来ているのですか?」
「ええ。第1水上戦群が展開中です」
「まさか遠く海の上で陸自のヘリに助けられるなんて思いませんでしたよ」
「今更陸海空の括りに拘ってはいられません。先の大戦とは違います。新政権も統合運用を念頭に今作戦を計画しています」
多目的ヘリはすぐさま海上を移動。その間、アリサは多数の疑問を抱えながらも、移り変わる景色を一心不乱に見つめた。
そしてヘリはミラルザ諸島を抜けて外界の地へ――
内界と外界……
別に海上に線が引かれているわけでも、空気が一変するわけでもない。
それでも大陸圏を抜けた瞬間、どこか不思議な感覚に包まれる。それは身体の錘が取れた不思議な開放感。足を拘束する鎖が外れたような感覚に、そっと自分の身体を抱き締める。
「――っ」
と同時にアリサは感嘆の吐息を漏らした。
「あれは!?」
視線の先には多数の大型船が海上を航行していた。
そのどれもがこれまでに見たこともない、帝国船とは似ても似つかない船で――
「――こちら救助班より艦隊本部へ。アリサ皇女殿下含む二名、ならびに日本国大使館職員一名を保護した。繰り返す、予定通り目的を達成した」
『了解。これより計画を第二段階に移行する』
やがて無線を通して漏れ聞こえたのは作戦開始の号令。
この先で何かが起こる。
アリサにとって、それは予感めいた言葉だった。
次回「雨過天晴②」




