第90話:泥船への乗船券と、茜色の帰り道
アレインとカイトが庭園に出ると、リリアンが大事そうに、そしてご満悦の表情でブルーナを抱っこしている。
「遅かったじゃない? お父様と何の話をしてたのよ。……どうせ、あんたが私の正式な『下僕』になるっていう契約書にハンコつかされてたんでしょ?」
「下僕じゃねえっつの。ボディガードだっつの。勝手に人のジョブを『奴隷』とか『パシリ』に書き換えるんじゃねーよ」
アレインが即座に訂正するが、リリアンは都合の悪い言葉を華麗にスルーした。
「やった!! ということは、今日からブルーナもヴェルナも私の所有物ね!!」
「……おーい。俺の話、右の耳から入って左の耳を貫通して庭の向こうまで飛んでったぞ。……これだから権力者の娘ってやつは」
呆れ返るアレインの横で、エリオがこれ見よがしに特大の溜息を吐いた。
「はぁ……。声のデカいバカがいなくなったと思ったら、次は野良犬ですか。……姉さまの周り、騒がしいですねぇ」
「よぉ、義兄弟。オメェさんの護衛も頼まれてるんだわ。……仲良くしようぜぇ?」
アレインがわざとらしく肩を組もうとすると、エリオは汚物を見るような目で後ずさった。
「誰が兄弟ですか? ちょっとどさくさに紛れてお兄様と呼んだぐらいで、調子に乗らないでほしいですね。……今すぐその口、縫い合わせましょうか?」
「よぉ、義兄弟。オメェさんの護衛も頼まれてるんだわ。……仲良くしようぜぇ?」
アレインがわざとらしく肩を組もうとすると、エリオは汚物を見るような目で後ずさった。
「誰が兄弟ですか? ちょっとどさくさに紛れてお兄様と呼んだぐらいで、調子に乗らないでほしいですね。……今すぐその口、縫い合わせましょうか?」
「……殴りてぇ。あの綺麗な顔面に、一発だけ拳をめり込ませてぇ……」
「アレイン、気持ちは痛いほどわかるけど落ち着いて!!」
カイトが慌ててアレインの腕を掴んで引き留める。
そこへ、悠然とした足取りでヴェルナが歩み寄ってきた。
それを見た瞬間、エリオが「ヒッ」と短い悲鳴を上げてさらに数歩下がった。
「エリオ、何怖がってるのよ。情けないわねぇ」
「だって、さっき……。さっき僕の頭を一口でいこうとしたじゃないですか!!」
「大人しくて可愛いじゃない。……エリオが何か、ヴェルナが怒るようなことでもしたんでしょ?」
「してませんよぉ!!」
理不尽な姉の言葉に涙目になるエリオ。
リリアンはアレインを指差した。
「なら、アレインを嫌ってるからかしら? ほら、動物って『主人の敵』には敏感だって聞くし。ヴェルナも本能であんたを敵って認識したのよ」
『……人語がわかる私にとって、そんな理屈はどうでもいいのだけれど……』
念話でぼやくヴェルナに対し、アレインは慌てて「しーっ!」と人差し指を口に当てるジェスチャーをする。
『安心なさい、この子たちには私の声は聞こえないわ。……それにしても相変わらず小心者ね、私のご主人様は。フフフ』
「大体、リリー。敏感だって言うなら、俺を罵倒してるお前に、ヴェルナが噛み付かないのはおかしいだろーが!!」
「何言ってるのよ。私はあんたのご主人様なんだから、ヴェルナも私のことを『真の所有者』だと認めたに決まってるじゃない!!」
「何言ってるのよ。私はあんたのご主人様なんだから、ヴェルナも私のことを『真の所有者』だと認めたに決まってるじゃない!!」
「うわぁ……。これぞ由緒正しきリアル・ジャイアニズム……。お前のモノは私のモノ、私のモノも私のモノ。……公爵令嬢、恐るべし」
カイトが戦慄する横で、アレインは青筋を立てて反論する。
「来年からの話だっつの!! まだ俺の雇用主じゃねえんだわ!!」
「来年なんて明日みたいなものでしょ!! 今日からでもいいじゃない、バカアレイン!!」
子供のように言い争う二人を遠くから眺めながら、ヴェルナがどこか楽しげな念話を飛ばす。
『……愛のある罵倒か、そうじゃないかくらい、本能でわかるわよ』
「……えっ!? 今、愛とか言った!? 罵倒に愛なんて成分、一滴も含まれてないように聞こえるんだけど!?」
念話が聞こえるカイトが素っ頓狂な声を上げた。
『乙女心がまだ理解できないカイトには、早すぎた話だったわね。……可愛そうな子』
「……乙女心、難易度高すぎるよ」
カイトがっくりと肩を落とす。
そこへ、ティーセットの準備が整ったテーブルからミナたちが手を振った。
「アレイーン! お仕事の話、終わったのー?」
「ああ。まあな。まーためんどくせえ依頼受けちまったぜ」
アレインが肩をすくめると、エリナが小さく息を吐いて微笑んだ。
「……そんなこと言って、結局また首を突っ込むことにしたんですね。……まぁ、昔からお人好しなのがアレインの数少ない長所であり、最大の欠点ですから」
「アレイン君も来たのねぇ! さあ、最高級の茶葉と、パティシエが作ったお菓子があるわよ! 食べて食べて!!」
エレナ夫人の明るい声が響き渡る。
公爵邸の庭園に、賑やかな笑い声が満ちていく。
アレインたちを巻き込んだ、嵐のような公爵邸の一日は、ゆっくりと美しい茜色に染まっていくのであった。
帰り際。
立派な門の前に、エドワード公爵が穏やかな笑みを浮かべて見送りに立っていた。
「今日はありがとう。……来年からは、娘と息子をよろしく頼むよ」
「わかってますよ。……まぁ、泥船に乗ったつもりで任せてください」
「アレイン、それ沈むやつ!! 100%沈没フラグだから!! せめて『大船』って言ってよ!!」
カイトの悲痛な叫びに、エドワード公爵は笑い出した。
「ハッハッハ!! アレイン君の泥船なら、ただでは沈まなそうじゃないか」
「そうだねー。沈む直前に、襲ってきた敵ごと道連れにして海底に引きずり込みそうだよね」
ミナが恐ろしい補足を笑顔で付け加える。
「……結局、沈むのは変わってないじゃないかぁぁ!!」
カイトの絶叫ツッコミに、その場にいた全員の笑い声が夜空に吸い込まれていく。
「じゃ、また来年。……それまでに、あの金ピカ皇子の声量、ボリューム3くらいまで落としといてくださいね」
背越しにひらひらと手を振りながら。
アレインたちは、来年からの「公爵令嬢・護衛任務」という名の新たなトラブルフラグを背負い、夕闇に包まれるメルキアへの帰路に着いた――。




