第86話:凍てつく殺意と語り部の暴走
レオンハルトから放たれるのは、もはや物理的な「殺意」という名の猛吹雪だった。
部屋の隅に置かれた観葉植物が一瞬で枯れ落ちそうなほど冷え切った空気の中、ただ一人、頭の中がお花畑に直結している夫人が嬉々として口を開いた。
「うふふ! これからリリーを巡って、男たちの熱いバトルが始まるのねぇ!? 見てるだけで燃えてくるわぁ!」
「……エレナ様、やめてくださいよ!! これ、お茶会じゃなくて『お通夜』になっちゃいますよぉ!!」
両手を合わせてワクワクするエレナ夫人に、カイトが涙目でツッコミを入れる。
「カイトちゃん。男同士の決闘に女が口を出すなんて、無粋ってものよぉ? ……あぁ、どっちが生き残るかしら?」
「……アレインとブレイブが私を巡って泥沼の争いを……。……あ、ダメ。妄想しただけで涎が出てきました。……もっとやってください……」
いつの間にか鼻血を流しているエリナが、手首で口元を拭いながら物騒かつピンク色の独り言を呟き始める。
「ダメだこりゃ。……まともな感性の持ち主が私とカイト君しかいないわ……」
ミナが頭を抱えて深い溜息を吐いた。
『おい。……おい、もう一人の俺。これ、また変なフラグ立ってねーか? 女の修羅場の次は、男の修羅場かよ。……なんかもう、元の体に戻るのが怖くなってきたんだけど!?』
『落ち着け相棒。今は、どうやって誤魔化して、有耶無耶にするかだけを考えようぜ。……命あっての物種だろ?』
脳内で緊急会議を開くアレイン。
一触即発の二人の間に、たまらずリリアンが割って入った。
「やめなさいよ!! アレインとは、そういうのじゃないから!! た……ただの使い捨ての『下僕』なんだからね!! 勘違いしないでよね!!」
「……あれ? さっき『ナイト』にジョブチェンジしたはずなのに、一瞬で『下僕』に降格してるんですが? 俺のランク浮き沈み激し過ぎね?」
「うるさい!! あんたを庇ってあげてるんだから、感謝しなさいよね!! この不敬罪予備軍!!」
リリアンが吠えるが、レオンハルトは余裕の笑みを崩さない。
「ククク……。強がっても無駄だぞ、リリー。隠せていないぞ。……顔がニヤけているではないか!!」
「えっ!? ……そ、そうかしら!?」
リリアンは慌てて両手で自分の頬を押さえた。
「本当は、自分を巡って男たちが争い、その末に勝利した俺が君を奪い去る……。そんな情熱的なドラマを期待しているんだろう!? お前という女は……実に欲張りだ!!」
「べ……別に!? ちょっと前に読んだ、恋愛小説『公爵令嬢は、略奪の愛に溺れたい』みたいな展開だなーとか、微塵も思ってないから!! 憧れてなんてないんだからね!!」
「……めちゃくちゃ憧れてんじゃねーか!! ワガママお嬢様気取って、中身は乙女モード全開とか、マジないわー。引くわー。マジ引くわー」
「あーあー!! 聞こえなーい!! 聞こえなーい!!」
ドン引きするアレインに対し、リリアンは耳を塞いで子供のように現実逃避を始めた。
「……まぁいい。リリーの望み通り、今ここで、そこの野良犬を人生の最終回へ導いてやろうではないか!! さぁ、剣を抜け!!」
『……どうする?』
「……どうしましょう?」
アレインは縋るような思いで、エドワード公爵へ視線を送った。
すると公爵は、いつもの柔和な笑みを浮かべたまま、音を出さずに口パクでこう伝えてきた。
『……話を引き伸ばせ……』
無茶振りの極みとも言えるジェスチャーに、アレインは内心で頭を抱える。
「……引き伸ばせって言われてもなぁ。あいつ、今にも抜刀して『俺の愛の必殺技(笑)』とか叫びそうな雰囲気だぞ……」
「どう処刑されたい、野良犬君? ……苦しまない方法がいいか? それとも、リリーへの愛を叫びながら散るか!?」
「アレイン、絶対勝ちなさいよ!! 私の下僕に勝利以外許されないんだからね!!」
「お兄様も殿下も、がんばれー。……あ、共倒れになったら、僕がお香を焚いてあげますからねー」
狂喜、無茶振り、棒読みの応援。
四面楚歌の状況に、アレインは完全に絶望した。
「……味方がいねえ。……これ、とてもじゃないけど会話ができる状況じゃねえぞ。……クリリンの気持ちが理解できたぜ畜生め……」
その時だ。
アレインの視線と同期するように、カイトが覚悟を決めた。
彼は決死のダイブを見せるかのような勢いで、会話のド真ん中へと割り込んだのである。
「……で、殿下!! 殿下は本当に、リリアンお嬢様のことが『好き』なんですね!! その愛の深さ、僕、感動しました!!」
裏返った悲痛な声が、執務室に響き渡る。
「……ああん? なんだ貴様は。……リリーが好きだと? 愚問だな!! 『愛している』という言葉すら、俺の情熱の前では『おはよう』程度の挨拶に過ぎない!! 俺の心臓は彼女のためにだけに刻んでいるのだ!!」
「……す、素晴らしい!! そこまでおっしゃるなら、ぜひ聞きたいなぁ……お二人との『馴れ初め』とか! 運命の出会いのエピソードとか!! 皆も、死ぬほど気になりますよねー!!」
カイトの必死のパスに、女性陣が乗っかる。
カイトの必死のパスに、女性陣が乗っかる。
「……あー。気になるなー。……聞いてあげてもいいわよー」
「……私も知りたいですー」
ミナとエリナの感情が一切こもっていない棒読みの相槌が続く。
そして、ダメ押しとばかりにエドワード公爵が援護射撃を放った。
「……おや。私も、殿下と娘の初恋物語は気になるところだねぇ。ぜひ、聞かせてくれないかな?」
その瞬間――レオンハルトから放たれていた殺気が、ピタッと止まった。
「…………。……お義父様までもですか? ……フッ。仕方ありませんね。……我が王族の恋物語は、あまりに眩しすぎて庶民には毒かもしれませんが……。いいでしょう!! 聞かせてあげましょう!! リリーとの運命の逢瀬を!!」
チョロい。
あまりにもチョロすぎるほど一瞬で機嫌が良くなった皇子を見て、その場にいた二人が同時に舌打ちをした。
「「……チッ」」
エリオとリリアンである。
「……よくやったカイト!! お前のことを信じていたぞ!!」
「ハハハ……。……うまくいって良かったね。……まぁ、これから始まる『地獄の語り』の方がキツそうだけど……」
乾いた笑いを漏らすカイトの予感は、すぐに的中することとなる。
自分の世界にどっぷりと酔いしれたレオンハルト皇子が、誰も求めていない「リリアンとの初恋回想」を、意気揚々と、かつ大音量で語り始めるのであった。




