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第84話:逃亡不可避の包囲網と黄金の嵐

『婚約者』。

その、今世紀最大の「面倒くさいフラグ」を耳にした瞬間、アレインの生存本能が限界突破の警鐘を鳴らした。


「……あ、エドワード様。しがない平民はここらでドロンさせてもらいますよ。あばよ!!」


言うが早いか、アレインはマッハの勢いで回れ右をし、一直線に出口へと直行した。

その身のこなしは、熟練の暗殺者すら凌駕するほどの無駄のなさだった。


――だが、その襟足と両腕は、扉に到達するよりも早く完璧に拘束された。


「……グエッ!! ちょ、待っ……喉が! 苦しい!」


「あらあらアレイン君、どこへ行くのかしら? ゆっくりしていきなさいな、まだお茶も飲んでないじゃない」


アレインの首根っこ――もとい、襟足をガッチリとホールドしていたのは、エレナ夫人だった。

その白く細い指先には、万力もかくやという恐るべき力が込められている。


「そうですよ、アレインさん。遺憾極まりないですが……今は一時休戦です。姉さまの周りをブンブン飛び回る『金ピカの害虫』の退治に協力してください。これ、ぼくからの特命ですよ」


右腕をホールドしているのは、先ほどまでアレインを「虫」扱いしていたはずの義弟・エリオ。

その顔には、先ほどの敵意に勝るとも劣らない、別の対象へのどす黒い殺意が浮かんでいた。


「逃さないわよ!! あんたは今日から私の『専属ナイト』なんだから、きっちり盾になって仕事しなさいよ!!」


そして左腕を抱え込んでいるのは、もちろんリリアンである。


「……おい。さらっと従者から『ナイト』にジョブチェンジしてんじゃねーよ。スキルポイント割り振ってねーんだわ、俺。……っつーか、なんで俺がこのシスコン野郎と共闘しなきゃならねーんだよ! あとエレナ様、マジで襟は勘弁してください、今、俺の走馬灯に三途の川の屋台が見えました」


「あっ、ごめんなさいね? 掴みやすそうな位置に首があったから、ついウフフ♪」


「……ウフフじゃねーよ、凶器だよその握力!!」


白目を剥きかけるアレインに、エドワード公爵が鷹揚に笑いかけた。


「はっはっは。まぁ落ち着きたまえ。殿下には早々にお引き取りを願うからさ」


「婚約者の前に、こんな汚い野良犬がいたら、あっちのプライドが爆発して不敬罪のコンボ決められるじゃないですかねぇ!?」


「婚約と言ってもあくまで『暫定』だからね。それに、うちにはエリオもいるし、アレイン君が気にする必要はないさ」


「そうよ! あくまで暫定!! 私が……あんな『ナルシストの塊』みたいな男と本気で結婚するとか……か、勘違いしないでよね!!」


必死に否定するリリアンに、アレインはげんなりとした顔でツッコミを入れる。


「……勘違いもなにも、婚約者なら大人しく結婚してやれよ。その方が俺の人生も平和なんだわ」


「アレインの馬鹿ぁぁぁ!!」


顔面を真っ赤にしたリリアンが、ポカポカとアレインの胸板を殴り始めた。


「……酷いですね、アレインさん。僕と一緒に姉さまを守るって、『義兄弟の契り』を結んだ仲じゃないですか……ねぇ、お兄様?」


「お兄様じゃねーよ!! さっきまで『虫』扱いしてたじゃねーか!! 勝手にとんでもねー契約を捏造してんじゃねーよ、このシスコン野郎!!」


すかさず義兄弟のポジションを確立しようとするエリオに吠えるアレイン。


「ウフフ! やっぱり男の子が多いと、屋敷が賑やかでいいわねぇ」


「そうだねぇ。家が壊れない程度なら歓迎だよ」


本物の皇子がやってくるというのに、緊張感ゼロで団欒を楽しむ公爵家一家。

その圧倒的なマイペースぶりに、カイトたちはただただ呆れて立ち尽くすしかなかった。


その時だ。

重厚な扉の向こう、廊下の奥から、地響きのような騒がしい声が近づいてきた。


『リリー!! リリーはいるか!? ここにいるのは分かってるんだぞ!!』


『で、殿下、お待ちください!!』

『殿下!! お嬢様は現在、大事なお客様と「会談」中でございます!!』


メイドたちの悲鳴じみた制止と、セバスの張りのある声が交錯する。


『……ああん!? 婚約者であるこの俺より大事な客だとぉ!? そいつはどこのどいつだ! さっさと案内しろ、俺が直接そいつの人生に終止符を打ってやる!!』


扉の向こうから聞こえてくる、理不尽極まりない『暴君の足音』。

エドワード公爵は「あちゃー」と額に手を当て、エレナ夫人は「あら元気だわぁ」とコロコロ笑っている。


「……はぁ。……来たわ。世界で一番声がデカい男……」


「……ウザイナー。絶滅シナイカナー」


リリアンとエリオが、揃って心底嫌そうな顔をした。


「……やっぱ帰っていいっすか? 今なら間に合う気がするんすけど」


「「「「だめ!!」」」」


ザイン家四人の見事なまでの包囲網。


「……お、おうよ……。……俺、今日死ぬのかな」


アレインが遠い目をした、次の瞬間。


ノック? 面会要請? そんな繊細な作法は彼の辞書には存在しない。


バァァァン!! と、扉が勢いよく蹴破られ――いや、力任せに開け放たれ、一人の男がバッチリとポーズを決めて立っていた。


「……リリー!! ここにいたか! 俺にこれほど探させるとは、いい度胸をしているな……。やはり、リリー……お前は面白い女だ!!」


そこには、眩しいほどの金髪をなびかせ、背後に幻の薔薇の花でも背負っているのかと言いたくなるほどの強烈な『俺様系オーラ』を放つ、いかにもな皇子の姿があった。


「……はぁ。……誰も、あんたなんかを呼んでないんだけど? むしろ、私の視界からセルフで消えてくれない?」


リリアンが冷めた目で特大の溜息をつくが、皇子は全くダメージを受けていない。

それどころか、その冷遇がむしろ快感ですらあるようだった。


「ハッハッハ!! 皇子であるこの俺を、雑に扱うのは世界中でお前だけだぞ!? ……いい、実にいい! リリーだからこそ許すがな!!」


ガハハと豪快に笑うレオンハルト。

……その横で、エリオが再び「……ウザイナー」と呟き、エレナ夫人は「殿下はいつも声が大きいわねぇ」と楽しそうに微笑んでいる。


「……さて。レオンハルト殿下。本日は、どのような御用向きで? アポなし訪問は、公爵家としても迷惑なんだがね」


エドワード公爵が冷静な声で問いかける。

ザイン帝国皇子、レオンハルトの登場により、公爵家の執務室は、もはや優雅なお茶会どころではない、逃げ場のない混沌の渦へと叩き込まれていくのであった――。

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