第82話:不意に剥き出しの牙
豪華絢爛という言葉すら生ぬるい。
ザイン公爵邸の廊下を歩くアレイン一行を包んでいたのは、圧倒的な「格」の違いが生む重圧だった。壁に飾られた名画や、歴史を物語る彫像。それらすべてが、訪れる者の背筋を凍らせる。
「うわぁ……凄い屋敷だね。しかも今から公爵様に会うとか、緊張しちゃうよ……」
カイトが落ち着かない様子で周囲を見渡す。
その隣では、エリナもまた、スカートの裾を強く握りしめていた。
「貴族の方にはセントガルドで会うこともありますけど……ザイン帝国の作法は違いますからね。私も緊張します……」
「あはは……今頃になって緊張してきたぁ……」
ミナまでが弱音を吐く中、先頭を歩くリリアンが、いかにも面倒そうに肩をすくめた。
「お父様もお母様も、礼儀にうるさい人じゃないから。普通にしてれば大丈夫よ」
「ホッホッホッ。エドワード様はそこまで形式に拘る方ではございませんからなぁ。緊張なさらず、いつも通りでかまいませんよ」
セバスの柔らかなフォローに、一同が少しだけ安堵の息を漏らした——その時だ。
銀髪の美少年、エリオが毒を孕んだ笑みをアレインへ向けた。
「そうですよ、皆さん。ここには、姉さまと一緒に帝国式のエリート教育を叩き込まれた『アレインさん』がいるんですから。彼にお手本を見せてもらえば、何も怖くありませんよ。……ね? アレインさん」
「ああん? 別にいいけどよぉ……。お前、さっきから俺の背後に『プレッシャーという名の針』を刺し続けてるの気づいてるか? 穴空くわ、俺のメンタルに」
「いえいえ。姉さまの家庭教師だったエマ先生も、貴方のことは大絶賛してましたから。僕としても、期待せずにはいられませんよ」
エリオの視線は、もはや期待ではなく「失敗しろ」という呪いに近い。アレインは隣を歩くリリアンに泣きついた。
「……おいリリーさんよぉ。俺、このシスコン野郎に前世で金でも借りたか? 初対面からずっと、圧が『親の仇』レベルなんだけど」
「私が知るわけないじゃない! それより! 私に恥をかかせるような不細工な挨拶したら、本当に屋敷の庭に埋めるからね! 分かった!?」
「……おい。このパーティー、俺の味方が一人もいねーんだけど」
そんな軽口を叩いているうちに、一行は重厚な彫刻が施されたエドワード公爵の執務室の前に到着した。
セバスが前に出て、静かにドアをノックする。
「エドワード様。アレイン殿とご友人の方々を、ご案内いたしました」
『……入りなさい』
内側から響いたのは、深く、重厚な響きを持つ男の声。
扉がゆっくりと開き、セバスが入室を促す。エリオがわざとらしく足を止め、アレインに先陣を譲った。
「さあ、どうぞ。アレインさん? 主役のお出ましですよ」
アレインはボリボリと頭をかきながら、一度だけ深く息を吐き出した。
「はぁ……しゃあねえな。……ちょっとばかし、『本気』出してやりますか」
アレインが先頭を切って部屋に足を踏み入れる。
広い執務室には、デスクに座るエドワード公爵と、ソファーで優雅に紅茶を楽しむエレナ夫人がいた。二人が立ち上がり、柔和な笑みで一行を迎える。
「アレイン君。よく来たね。……元気そうで何よりだ」
「まあまあ! 今日はお友達も一緒なのね! まるで子供が増えたみたいで、嬉しいわぁ」
夫人の花が咲くような笑顔に、カイトたちが「うわあ……」と圧倒されている——その、刹那だった。
アレインの纏う空気が、一変した。
さっきまでの、だらしなく猫背な『やる気のない昼行灯』の面影は、どこを探しても見当たらない。
アレインは迷いなく一歩を踏み出し、流れるような、それでいて一切の無駄を削ぎ落とした動作で腰を落とした。
「…………」
左膝を立て、右膝を深く床に落とす。
そして右手を静かに、しかし鋼のような力強さで己の左胸へ据えた。
それはザイン帝国の古法に則った、主君に対する『絶対的な忠誠』と『己の命の提供』を意味する最上級の武者礼。
「……エドワード公爵様。アレイン、ここに参上いたしました」
言葉とともに、アレインはゆっくりとうなじを晒し、深く首を垂れる。
冒険者のラフな服装であるはずなのに、その隙のない完璧な所作が、逆に「戦場から帰還したばかりの若き将軍」のような、匂い立つような男ぶりを醸し出していた。
先ほどまで「野良犬」と呼ばれていた男とは、到底思えない。そこには、本物の『漢』がいた。
「……すごっ。……これ、本当にあのアレイン?」
カイトが呆然と呟き、ミナは頬を紅潮させて声を荒らげる。
「えっ、待って。あれがアレイン!? マジで!? カッコよすぎて、逆にムカつくんですけどー!!」
「……かっこいいです。……あんな風に首を晒されたら、もう……食べるしかありませんね……」
エリナがどこか恍惚とした表情で、物騒な独り言を漏らす。
傍らではセバスが満足げに目を細めていた。
「……さすがはアレイン殿。見事な礼です」
リリアンはといえば、顔を真っ赤にして、明後日の方向を向いて強がった。
「……ふん! 私と一緒に学んだんだから、あれくらい出来て当然よね!」
そして何より、エリオの動揺は激しかった。
「……な。ななな……なかなかやるじゃないですか……。……ちっ、少しは見直してあげてもいいですよ」
エリオは必死に冷静さを装いながら、銀髪を弄って視線を彷徨わせる。
「……ふふ、うん。久しぶりにその凛々しい顔が見られて、私も嬉しいよ。……アレイン君、もう楽にしていい。ここは君の家のようなものだ」
エドワードが相好を崩すと、エレナ夫人もパッと瞳を輝かせた。
「アレイン君……素敵よぉ! 思わず見惚れちゃったわ!」
嵐のような称賛の中、アレインは「この挨拶腰にくるんだよなぁ」といつもの調子に戻りながら、ゆっくりと立ち上がったのだった。




