第80話:淑女の皮を被った猛獣
完璧なカーテシーを決めた美しき公爵令嬢の姿に、アレインは己の目を疑った。
「……おい相棒。俺、いつの間にか異世界からさらに別の異世界に転生したか?」
アレインが口元を引き攣らせながら呟くと、脳内の『相棒』もまた、深く同意する念話を返してくる。
『……いや、俺の目にも「女神降臨」に見える。……これ、マジでリリアンかよ。』
目の前にいるのは、かつてアレインに散々噛みついてきた「わがまま猛獣姫」とは似ても似つかない、非の打ち所のない淑女だった。
その変貌ぶりに、アレインの後ろに控えていた仲間たちも戦々恐々としている。
「あれ? あの脅迫状の内容と違って、めちゃくちゃ完璧なお嬢様って感じじゃないか、アレイン」
カイトが戸惑いの声を上げると、エリナは顔を真っ赤にしてアレインを睨みつけた。
「なななななっ! ただの子供とか言ってたクセに、めちゃくちゃ可愛いじゃないですか!? アレイン、ギルティ!! 万死に値します!! いますぐ私の杖で地層の一部にしてあげましょうか!?」
「めっちゃ睫毛なっが!! 金髪縦ロールとか、リアルで初めて見たんですけどー!」
ミナが興奮気味に身を乗り出し、アレインの頭上ではブルーナが胡散臭そうに目を細めていた。
「うむ……。この前とは別人みたいじゃのう。……中身、別の魔物と入れ替わってはおらんよな?」
『ええ……。魔族あたりが化けてるのかしら?』
ヴェルナまでが警戒してくる。
コソコソと話し合う一行をよそに、リリアンは聖母のような微笑みを崩さず、門番たちへと向き直った。
「門番の皆様も、ご苦労さまですわ。ここからの案内は私が務めますから、皆様はお仕事に戻ってくださいな。……ね?」
小首を傾げて微笑みかけるリリアンに、新人門番は雷に打たれたように硬直し、次いで熱に浮かされたように叫んだ。
「お、お嬢様ッ!! お嬢様がこのような野良犬のために、その白く美しいお手を煩わせるわけにはいきません!! そのような些末な仕事、この私が代行させていただきますッ!!」
「おいバカやめろ!!」
「お嬢様の顔に泥を塗ることになるだろアホ!!」
慌ててベテラン門番たちが新人を羽交い締めにする。そんな彼らに対し、リリアンはスッと目を伏せ、今にも涙が零れ落ちそうな、ひどく悲しげな表情を作ってみせた。
「……アレイン様たちは、お父様の……いいえ、私の大切な『お友達』なの。……そのような悲しいことを言わないで……?」
その一言の破壊力は絶大だった。
「ほら見ろ!! お嬢様を悲しませるなバカ野郎!!」
「お嬢様、あっしらは仕事に戻りますんで! アレインのことはお任せします! ほら新人、こっち来い!」
「お嬢様ぁぁぁーーー!!」
ベテランたちに両脇を抱えられ、新人門番はずるずると引き摺られて退場していく。
「お仕事、頑張ってくださいませね〜♪」
リリアンは彼らの背中が見えなくなるまで、優雅に手を振り続けていた。
しかし――。
門番たちの姿が完全に消えた瞬間、リリアンは「ふぅ……」と大きく、それはもうこれ見よがしに重いため息をついた。
「はぁ……。やっと行ったわね、あの暑苦しい連中……」
そう言ってアレインの方を振り向いたリリアンの顔は、先ほどまでの聖母のような微笑みから一転。
……いつもの、生意気で勝ち気な『猛獣姫』のそれだった。
「アレイン!! やっと来たわね! この私を待たせるなんて、いい度胸してるじゃない!」
腰に手を当て、ふんぞり返るリリアン。
その態度に、アレインは思わず額を押さえた。
「……なんだよ。やっぱり演技かよ。1ミリも変わってねーじゃねーか。俺の感動と戸惑いを返せ」
「オーッホッホッホ!! 私だって『外面』というものを覚えたのよ! こっちの方が、男共はみんなハイハイ言うこと聞くし、効率がいいのよ! 凄いでしょ? 私の天才ぶりに震えなさい!」
高笑いするリリアンの姿に、アレインは呆れ果てて息を吐く。
「……なんか悪役令嬢ぶりに磨きがかかってませんかね、これ。……中身が順調に腐敗してやがる……」
「……何か言った? まぁいいわ。そうよ、私はあんたに勝つために、令嬢ぶりに磨きをかけて本物の『淑女』になったわけ。……ほら、もっと崇め奉ってもいいのよ?」
胸を張ってドヤ顔を見せるリリアンに、アレインは無表情のまま両手を叩いた。
「へーへー、リリーお嬢様スゴーイ、カワイイー、サスガデスー」
「ふん!! 私の素晴らしさがやっとわかったようね! 特別にご褒美として、あなたを私の『専属従者』にしてあげてもよくってよ?」
「ウワー、カンベンシテクダサイヨー。冗談キツイっすわー。お嬢様の従者とか、一日で胃が消滅する自信ありますわー」
「全然感情がこもってないんだけど!? 全く、あんただけは全然変わらないわね……。それが余計に腹立つのよ!!」
キーッ! と地団駄を踏んで悔しがるリリアン。
……その様子を、カイトたちはただポカンと口を開けて見守っていた。あの完璧な淑女が、嘘のように子供っぽい喧嘩をしているのだから無理もない。
カイトたちの視線に気づいたリリアンは、スッと背筋を伸ばし、咳払いを一つしてから彼らに近づいた。
「……失礼。アレインのお友達よね? さっきも言ったけれど、私はリリアン・フォン・ザイン。今日はよく遊びに来てくれたわね。歓迎するわ」
「カ、カイトです! はじめまして、リリアンお嬢様! 今日はお招きいただき、誠にありがとうございます……!」
直立不動で畏まるカイトに、リリアンは苦笑して手を振った。
「リリーでいいわよ。あと、その畏まった喋り方、肩が凝るからやめてくれないかしら? 公な場じゃなければ、普通でいいのよ」
「え、いいんですか……?」
「いいって言ってるじゃない。貴族の喋り方なんて、半分以上が『嫌味』と『虚飾』で出来てるんだから、プライベートでまでやってたら疲れるじゃない。……ねぇ、アレイン?」
「お前が言うと説得力が違うな」
アレインの皮肉を華麗にスルーし、リリアンは他のメンバーにも視線を向ける。
「私はミナだよー! よろしくね、リリーちゃん!」
「……エリナです」
ミナの元気な挨拶に続き、エリナが少し身構えたように名乗った。
その瞬間、リリアンはエリナの尖った長い耳に気づき、瞳を輝かせた。
「……エリナ。あなた、エルフかしら?」
「……はい。そうです」
一歩引き、警戒心を露わにするエリナ。
貴族特有の偏見に晒されることを恐れているのは明らかだった。
だが、リリアンの反応は彼女の予想の斜め上をいくものだった。
「わー! エルフって初めて見たわ! 噂通り、耳が長いのね! すごいわ、本物のお人形さんみたい!」
ズンズンと距離を詰めてくるリリアンに、エリナはタジタジと後退る。
「え……えっと……。その……」
「美人だし、瞳も綺麗ね。なんだか吸い込まれそう」
無邪気に喜ぶリリアンの姿を見かねて、アレインが割って入った。
「おいリリー。エリナは貴族が苦手なんだわ。セントガルドの貴族は亜人差別がひどい連中ばかりだったからな」
その言葉に、リリアンは少しだけ真面目な顔になり、頷いた。
「……ああ、歴史の授業で習ったわね。でも、それって『セントガルド』の問題でしょ? 私は、相手が亜人だろうがアレインだろうが差別しないわ。……全員、等しく『私の足元』に跪かせるだけだもの」
「おい。さらっと俺を最下層の被差別階級に落とそうとしてんじゃねーよ」
「……小さいことで男らしくないわね、少し黙っててくれる? 私が初めての『亜人のお友達』を作る邪魔をしないでちょうだい」
アレインをピシャリと黙らせ、リリアンは再びエリナに向き直る。
「……お、お友達?」
「そうよ? うちの国は昔から戦争ばかり仕掛けてたせいで、亜人って少ないのよね。よかったら、私とお友達になってくれないかしら?」
戸惑うエリナが、不安そうにアレインを見つめる。アレインは肩をすくめて言った。
「エリナ、安心しろ。……リリーは人間性の方は『末期』だが、亜人を差別するような下衆じゃねーよ。ただわがままなだけだ」
「人間性も素晴らしいんだけど!? どこ見て言ってんのよ!!」
「どこに素晴らしい要素があるんだよ。顕微鏡で探さなきゃ見つからねーよ」
「失礼ね!! 私は今、絶賛『お嬢様モード』で皆に尽くしてる真っ最中なのよ!!」
「ハイハイ、スバラシイデス、リリーオジョウサマ……」
「だから、その棒読みをやめろって言ってるでしょ、アレイン!!」
相変わらずの低レベルな口喧嘩。
だが、その飾らない、貴族の皮を被っていないリリアンの素の姿を見て、エリナは思わず「ぷっ」と吹き出した。
「あ、やっと笑ってくれたわね。……ねぇエリナ。私とお友達になってくれるかしら?」
そのリリアンの言葉には、先ほどまでの「お嬢様モード」の虚飾はない。
エリナは少しだけ照れくさそうに、しかしはっきりと頷いた。
「……はい! 喜んで、リリーお嬢様!」
「リリーでいいって言ってるでしょ!」
「……そうでしたね。リリー、是非私とお友達になってください!」
「……やった!!」
周囲の目も憚らず、ガッツポーズを取るリリアン。
「エリナ、よかったね〜!」
ミナが拍手し、和やかな空気が一行を包み込む。
だが、そんな平穏を破るように、背後から聞き覚えのある、そしてもう一つ、新しい声が響いてきた。
「リリアンお嬢様ーーー!!」
「姉さまーーー!!」
アレインたちが振り返ると、そこには全速力で駆けてくる老執事・セバスと、その横を必死に走る一人の少年の姿が見えてきたのだった――。




