第77話:再会と嫉妬の業火、そして最強の番台
「……はっ!!」
ガバァッ! と勢いよく跳ね起きたアレインの全身を、嫌な冷や汗が濡らしていた。
心臓がうるさいほどに脈打ち、シーツはびしょ濡れだ。
「……知ってる天井じゃねーか。いつもの安宿のきたねえ天井だ……」
荒い息を整えながら、アレインはぼんやりと視界を彷徨わせる。
(……おう、目覚めたか相棒。……三途の川の向こう岸でエルフが手招きしてたのが見えたぜ)
脳内に響く相棒の皮肉げな声に、アレインは力なく応えた。
「……ああ。とんでもねぇ嫌な夢を見ちまった。背後にヤンデレが立つなんて、ホラー映画でもお目にかかれねーぞ」
(全くだ。俺ァ体はねーが、思い出すだけで魂が震えちまうぜ……)
二人(?)で最悪の悪夢を共有し合っていたその時、パキリ、と軽快な音が部屋に響いた。
「……残念ながら、夢じゃないんだな~、これが」
視線を向けると、そこには椅子にふんぞり返り、美味そうにリンゴを齧っているミナの姿があった。
「……み、ミナか?」
「やっほーアレイン! 久しぶり~。元気にしてた? 呪いの手紙の感想はどう?」
「ミナがいるってことは……まさか……」
アレインの顔から、急速に血の気が引いていく。
ミナは「イエス!」と親指を立てて笑った。
「もちろんエリナもいるよ」
「……アレイン。人の顔を見て『ぎゃあああ』なんて悲鳴を上げて気絶するなんて、レディに対して失礼だと思いませんか?」
ベッドの脇。
そこには、怒りを含んだ、しかしどこか悦んでいるような「重い」笑みを浮かべたエリナが立っていた。
「……いや、あのな。あの呪いの手紙を読んでる最中に、ご本人が『後ろにいるの♡』とか言って背後に現れたら、誰だって心停止するだろ! 演出が本格的すぎなんだよ!!」
「あはは! まさかあんなにビビるなんて! アレインって意外と臆病だったんだねー。収穫収穫」
ミナがケタケタと笑い、エリナは「もう!!」と頬を膨らませる。
「ミナが『こうすればアレインにサプライズできる』って言ったんじゃないですか!!」
「だってー、ずっと手紙無視するんだもん。これぐらいやってもバチは当たらないって」
「当たるわ!! 俺の寿命、あの一撃で確実に数年単位で縮んだからな!」
アレインの必死の抗議を、ミナは「作戦大成功だね、エリナ!」と軽やかにスルーする。
エリナは少しだけ反省したように、しかし潤んだ瞳でアレインを見つめた。
「……これでアレインに嫌われたらミナのせいですからね!? ……アレイン、ごめんね」
「お、おう……」
あからさまな上目遣いに、アレインは蛇に睨まれた蛙のように固まるしかない。
そこへ、騒ぎを聞きつけたカイトとブルーナが部屋に入ってきた。
窓の外からは、ヴェルナも首を突っ込んでこちらを覗いている。
「アレイン、目が覚めたんだね。よかった……一時はどうなるかと思ったよ」
「いきなり野太い悲鳴をあげてひっくり返りおったから、妾もびっくりしたのじゃ」
『何はともあれ、意識が戻ってよかったわね。……ま、心臓が止まってても私が蹴飛ばして蘇生してあげたけど』
「……おいカイト! なんでエリナたちが来てるのを黙ってたんだよ! 教えるのが相棒だろーが!」
詰め寄るアレインだったが、カイトは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「いや、だって……途中からアレイン、トランス状態で手紙読んでて、周りの声が一切届いてなかったじゃないか」
「私がカイト君に『しーっ』てしたしね。サプライズは鮮度が命だよ」
ミナの言葉に、エリナは深いため息をつく。
「はぁ……。ミナの言う通りにしたら、アレインに『お化け』扱いされて酷い目に遭いました。もう絶対、ミナの助言なんて聞きませんからね!」
「もう怒らない怒らない」
ミナがエリナの後ろから抱きつき、そのまま百合百合しいスキンシップを開始する。
その様子を眺めながら、アレインはようやく現実を受け入れた。
「……。はぁ、何はともあれ、よく来たな」
「うん! あ、カイト君とはアレインが白目剥いてる間に自己紹介済ませたよ。いい子だねぇ、アレインには勿体ないよ」
「……アレインは、新しくパーティーを組んだんですね。……元パーティーの仲間(女)としては、ちょっと……いや、かなり寂しいというか、その、胸のあたりがザワザワして、アレインの周りに結界を張りたくなります……まあ女の子じゃなかっただけ良しとします」
「まあまあ、エリナ。アレインの新しい門出を祝ってあげなよ」
ミナになだめられ、エリナは複雑な表情で「お祝い……お祝いですね」と呟いた。
「……アレイン、その、おめでとう。……ええ、心から。……本当に」
「ははは……。アレインはエリナさんに、……すごく『深く』愛されてるんだね」
カイトの乾いた笑いに、アレインは遠い目で首を振る。
「……それを世間じゃ『業』とか『呪い』って呼ぶんだわ直球で。純愛って言葉でコーティングするには、毒が強すぎるだろ」
「アハハ! 相当効いたみたいだね」
「むぅ!! 私をお化け扱いするのをやめてもらえますか!? いくらなんでも、そんな『重い女』じゃありません! 鉄アレイよりは軽いはずです! ……アレインの子供なら、今すぐにでも欲しいですけど(ボソッ)」
「……今、さらっと外道な願望が漏れ出たぞ。重いわ!! 鉛より重いわ!!」
「流石の私もひくわー。エルフの情念、深すぎて底が見えないわー」
ミナですら引き気味の声を上げ、ヴェルナが窓から冷酷なアドバイスを投げかける。
『……アレイン。あなたの貞操、今夜が山ね。寝る時は鍵を二重にかけて、ドアの前にバリケードを築くことを勧めるわ』
「心配いらん! 妾がアレインの貞操を死守してやるのじゃ! 妾の尻尾に触る勇気があるなら来いなのじゃ!」
「お前、いつも夜の9時にはスヤスヤじゃねーか! 俺より遅くまで起きてるの見たことねーぞ!」
「むむむ! 夜更かしは美容の大敵なのじゃ!」
『このトカゲに期待するだけ無駄ね。……寝言で「肉……肉……」って言いながら、侵入者を歓迎しそうだわ』
「やっぱ駄目じゃねーか! 俺、今夜のうちにエリナに美味しく調理されちゃう運命なのかよ!」
絶望に打ちひしがれるアレインを尻目に、ミナはゲラゲラと笑い転げた。
「失礼な! 私はそんな不純異性交遊を望むような、ふしだらな女の子じゃありません! ……合意の上なら、いつでも準備はできてますけど」
エリナのどこまでもポジティブ(?)な言葉に震えていると、カイトが話題を変えた。
「あ、そういえばさ。エリナさんたちが来てくれたのは嬉しいけど……公爵様の『強制受理依頼』、どうするの?」
「ああん? そんなもん、一緒に行けばいいじゃねえか。……ちょうどいい。エリナたちがいれば、俺が一人でリリーの『子守』をしなくて済む。戦力は多いほうが助かるんだよ」
「え、でもあこんな大所帯でお邪魔していいの? 公爵邸だよ?」
「公爵様は話せばわかる大人だからな。……まあ、リリーに動物園をプレゼントすると思えば、人数増えても文句は言わねーだろ」
アレインの案に、ミナが目を輝かせる。
「へぇ、アレインが『子守』ねぇ。意外な才能の開花じゃん。いいよ、私も手伝ってあげる! 面白そうだし!」
「……そうですね。アレインは昔から、魔物や子供に懐かれやすかったですし。ピッタリの仕事ですね。……可愛い子だといいですね。……あ、もちろん、アレインが手を出さない範囲での話ですけど」
「あ、相手は子供……というか、お嬢様ですけど……」
カイトの補足に、ミナが「何歳くらい?」と首を傾げた。
「あー、確か14だか15だったと思うぞ」
――その瞬間。部屋の温度が氷点下まで下がり、エリナの瞳からハイライトが消えた。
「…………アレイン。また、そうやって女の子を誑かしているんですね?」
「はぁ!? なんでそうなるんだよ! リリーはまだガキだぞ」
「……いいえ。貴族の令嬢に愛称で呼ばれ、定期的に会いに来いとまで言わせている……。これは完全に『将来の愛妾候補』としてアレインが青田買いしている証拠です! ギルティ!!」
「ちげーっての! ブルーナとヴェルナに会いたがってるだけの、ただの動物マニアなわがままお嬢様なんだっての!」
「いいえ! 15歳と言えば、エルフの基準では赤子ですが、人間界ではもう立派に『女』としてカウントされる年齢です。危険です! 非常に危険です!」
「私はぶっちゃけ、エリナの方が100倍危険だと思うけどな……」
ミナのツッコミも、ブルーナの「あの娘、目が笑っておらんのじゃ」という怯えも、ヴェルナの「嫉妬で森を一つ焼きそうな勢いだわ」という評価も、今のエリナには届かない。
「……僕も、エリナさんの味方ができないかな……。放ってるオーラが怖いよ……」
カイトがガタガタと震え始めた時、廊下から地響きのような足音が近づいてきた。
「な、なんですか皆して……!! 私はただ、アレインに誑かされる可哀想な女の子を一人でも減らすために……!!」
突如、部屋の扉が勢いよく蹴り開けられた。
「……あんたたち!! 夜中にガタガタうるさいんだよ!!」
般若のような顔をした宿屋の女将が乱入してくる。
「若い娘がこんな時間に男の部屋に入り浸るなんて、はしたないったらありゃしないよ! 近所迷惑って言葉を知らないのかい! 部屋ならちゃんと用意してやったんだ、さっさと移動しな!!」
「ひっ……!? あ、あの、まだアレインとの大切な『夜のカウンセリング』が……!」
「問答無用だよ! ほら、行くよ!!」
最強の女将は、問答無用でエリナとミナの首根っこを掴み、廊下へ引きずっていく。
ミナは苦笑いしながら「また明日ねー!」と手を振り、エリナの絶叫が夜の廊下に響き渡った。
「ア、アレインーーッ!! 私を一人にしないでーー! 今夜こそ魂を一つにーーー……っ!!」
バタン! と扉が閉まり、ようやく部屋に平穏と静寂が戻った。
「…………。……まあ、なんだ。今日はもう、全エネルギーを使い果たした。明日話そうぜ」
「……そ、そうだね」
「妾も眠いのじゃ。……アレイン、今夜は妾が枕元で見張っておいてやるのじゃ」
『……ふふ。今夜のところは、あなたの貞操は女将さんに救われたわね。……感謝しなさい、アレイン』
ヴェルナが厩舎へと去り、ブルーナが枕元で丸くなる。
アレインの、あまりに騒がしすぎるメルキア帰還の初日は、肝っ玉女将という名の防波堤によって、辛うじて幕を閉じたのであった。




