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第75話:安らぎの宿屋と、山積みの特級呪物

受付嬢エレーナの「慈愛」に満ちた笑顔の圧力と、公爵令嬢リリアンの「今すぐ来ないならメルキアに乗り込むわよ」という名の脅迫。

その二段構えの包囲網により、依頼を強制受理させられたアレイン一行は、まるで魂を抜かれたような足取りでギルドを後にした。


「はぁ……。とりあえずエレーナさんが公爵様に連絡してくれたし、リリアンお嬢様がメルキアに乗り込んでくる最悪の事態は避けられて良かったね」


カイトが安堵のため息をつきながらそう口にするが、アレインの表情は晴れない。


「だといいがな。……あの『リリー』が大人しくしてるなんて、俺には到底思えねーんだわ。嵐の前の静けさってのは、大抵その後に家ごと吹き飛ぶ前兆だからな」


「……ん? 『リリー』? って言うかアレイン、貴族の令嬢を愛称で呼んでるの? もしかして、あのお嬢様と結構『いい仲』だったりするわけ?」


ニヤリと意地の悪い薄ら笑いを浮かべるカイトに、アレインは顔をしかめた。


「なんだ、その薄ら笑い。そんなんじゃねーよ。変な勘繰りすんな、こっちは子守させられてんだよ。あー、胃が痛てぇ……」


そんなアレインの苦労を余所に、隣を歩くヴェルナが優雅に、しかしどこか刺々しい念話を飛ばしてくる。


『私はあの子、嫌いじゃないわよ。だって、そこのトカゲよりも、私に乗りたがるもの。レディとしての格の違いってやつね』


「なんじゃとぉ!? 貴様、馬の分際でぬかしおるわ! 妾が元の姿に戻れば、あの娘も『ドラゴンかっこいい!』って妾の背中に飛びついてくるに決まっておるのじゃ!」


アレインの頭の上でふんぞり返るブルーナが即座に噛み付く。

だが、ヴェルナは鼻で笑ってそれを流した。


『……それはどうかしら? リリーは繊細な女の子だもの。あなたのゴツい姿を見たら、腰を抜かして泣き出すんじゃないかしら?』


「なんじゃとぉぉ!? だが、あやつはいつも妾を抱きたがって、高級なお菓子をくれるではないか! 妾の方が愛されておるに決まっておる!」


『それは単に、あなたを「珍しいペット」として愛でているだけでしょ? レディが隣を歩かせたいのは、優雅で美しい私よ。あなたのは単なる「飼育」よ』


(やれやれ……始まったぜ。どっちがガキに人気があるかっていう、世界一不毛な格付けチェックがよ)


内なるアレインが呆れたように呟く。

隣を歩くヴェルナと、頭上のブルーナの間で激しく火花が散り始めた。


「アレイン、止めなくていいの? このままじゃメルキアの街中で怪獣大戦争が始まっちゃうよ?」


「……ほっとけ。今日はもう、魂のHPがゼロなんだわ。好きなだけやり合えばいい。喧嘩するほど仲がいいってやつだなぁ」


アレインは投げやりに言い捨て、宿屋『メルキアの風』の暖簾をくぐった。


「あらまぁ! アレインちゃんにカイトちゃんじゃないか! おかえりなさい、ずいぶん久しぶりだねぇ」


宿屋の女将が威勢のいい声で迎えてくれる。


「ちょっと野暮用でヴァルドリアの方まで出張してたんだよ。……おばちゃん、留守の間、俺の荷物捨ててねーだろうな?」


「やだねぇ! あたしがそんな人情のないことするわけないだろ? 先払いでたんまり金も貰ってるんだ、部屋の掃除以外は全部元のまんまだよ。……あんたらの脱ぎ散らかしたパンツもそのままだよ」


「……それは洗っとけよ。悪いな、またすぐにザイン公爵領に出張するから、留守は頼むぜ」


「あんたも忙しい男だねぇ。男は根無し草なんて言うけど、まさにそれだね」


「何言ってんだ。もうメルキアに根を張りすぎて、背中に苔が生えてきてんだよ。……ああ、肩凝るわ」


アレインが肩を回しながらぼやくと、女将は「ハハハ! 違いないねぇ」と笑い、思い出したようにカウンターの下から一抱えもある紙の束を取り出した。


「……ああ、忘れてた。あんた宛に手紙が届いてるよ。はい、これ」


ドサリ、と渡された山のような手紙の束に、アレインの腕が重みで沈む。


「……誰からだよ。俺、こんなに文通するようなマメな知り合いいねーぞ。ほとんど督促状か何かじゃねーのか?」


怪訝な顔で宛名を確認したアレインの表情が、再び凍りついた。

それを見たカイトも横から覗き込み、声を裏返らせる。


「アレイン、どうしたの? ……うわ、何これ。宛名が……」


「ブレイブからのが一通。……あとは……」


手紙の束の九割。そこに記されていた名は、すべて同一人物のものだった。


『エリナ、エリナ、エリナ、エリナ、エリナ……』


「なにこれぇぇ!? エリナって、あの原作だとアレインのハーレムメンバーになるはずのエルフの娘だよね? なんでこんなに『呪いのハガキ』みたいな量届いてるの!?」


「……。とりあえず、ブレイブの手紙から見よう。……そっちの『特級呪物』は後回しだ。封を開けたら煙が出てきて、俺が10年くらい老ける気がする」


「呪物って……。一応、ヒロイン候補からの愛のメッセージじゃないの?」


怯えるアレインに対し、カイトはなおも食い下がる。

だがアレインは、血走った目でカイトを指差した。


「いいかカイト、よく聞け。大人ってのはな、つらい現実を妄想と現実逃避でやり過ごさなきゃならねえ時があるんだ。……『逃げちゃ駄目だ』とか『人は忘れることで生きていける』なんてカッコつけた台詞が吐けるのは、フィクションの中だけなんだよ!!」


「……それが、今なの?」


「そうだ!! ちょっといいなと思った女の子が蓋を開けたらヤンデレだったり、『ツンデレ可愛いじゃねーか』と思ったらただのDV女だったり……現実に都合のいいハーレムなんて存在しねーんだよ、バカ野郎!!」


「……だんだん愚痴の内容が、アレイン自身のキャラ崩壊レベルで逸れていってるよ……」


「ゴホン!……とにかく! まずはブレイブの要件から確認する。……頼むから『明日結婚するから受付嬢の格好して式に来てくれ』とかいうアホみたいな冗談であってくれ!! 南無三!!」


アレインは祈るように叫び、震える手でブレイブからの手紙を開いた。

だが、そこに記されていたのは、お祝いどころか、新たな『火種』が燃え盛る予感であった。

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