第70話:向日葵の毒と、樫の木刀
「もう、先生! 何やってるんですか。相手は僕と同じ、ただの子供じゃないですか! ……君も、怪我はない?」
二人の間に割り込み、爽やかな笑顔で振り返る金髪の少年。
その輝きは、泥水を啜って地這うように生きてきたアレインにとっては、もはや毒に等しい眩しさだった。その少年の姿を、アレインは忌々しげに睨みつける。
「なんだテメェ……その爽やかな笑顔。バックにひまわり畑でも背負ってんのか? 金髪が眩しすぎなんだよ、この野郎!」
全力の殺気を込めた睨み。
だが、ブレイブと名乗った少年は、それを柳に風と受け流し、あははと楽しげに笑った。
「あはは、元気そうだね。怪我はないようで良かったよ」
「おいブレイブ! 儂の久々の喧嘩を邪魔するでない! 今、いいところだったんじゃ!」
法衣を弾け飛ばした巨漢、トルヴァンが吠える。
ブレイブはやれやれと肩をすくめ、その巨躯を窘めた。
「先生こそ、なんで子供相手に本気で喧嘩しようとしてるんですか……。通報されますよ、マジで」
「おうおう、見習い神父だか何だか知らねえが、金髪野郎は引っ込んでろよ! そこのスケベジジイのタマ取って、お前を二階級特進させてやっからよぉ!」
アレインの挑発に、トルヴァンの額に青筋が浮かぶ。
「生意気なことを言いおってクソガキが! 元異端審問官の儂が、その歪んだ根性を物理的に矯正やるしかないのぉ!」
「『わからせる』のはメスガキだけにしとけよクソジジイ! 俺にそっちの属性はねーんだよ!」
「儂はメスガキより、パツパツの修道服を着たグラマーなシスターをわからせたいんじゃよクソガキィィ!」
「ただのド変態クソジジイじゃねーか!!」
「クソガキがァァ!!」
再び火花が散り、激突しようとした二人の間に、ブレイブがヒョイと軽やかな動作で割って入った。
「はいはい、そこまで! それに僕は見習い神父でも金髪野郎でもないよ。僕はブレイブ。君と同じ孤児だよ」
「孤児」という単語が放たれた瞬間、アレインの動きがピタリと止まった。
「……なんだと? なんでそんなことが分かるんだよ。適当なこと言ってんじゃねえぞ、この勝ち組オーラ野郎」
「わかるよ。昔の僕と同じ目をしてるからね。……何も信じていない、空っぽの目だ」
アレインは言葉を詰まらせ、不快げに舌を鳴らして視線を逸らした。
そんなアレインを見据え、トルヴァンが野太い声を出す。
「ほう……。アレイン、お主も孤児か。そういえば、二年前くらいにこの辺りは領主共がくだらんメンツ争いで私戦を繰り広げておったのぉ。……その、出し殻(被害者)って所か?」
「……だからなんだってんだよ。お前らには関係ねえだろ」
吐き捨てるアレインに、トルヴァンは意外にも真面目な顔を向けた。
「確かに関係ない。だが儂はこう見えて神父でな。お主のようなクソガキ共のために、孤児院も経営しておるんじゃ。どうせ行く所なんて無いんじゃろ? 来るか? 少なくとも、雨風と飢えだけは凌げるぞ」
一瞬、アレインの瞳に揺らぎが生じる。
だが、差し伸べられた救いの手さえ「偽善」に思えてしまうほど、彼の心は荒んでいた。
「……はっ。なんで見ず知らずの変態ジジイに頼らなきゃなんねーんだよ。真っ平ごめんだぜ、一人で死ぬ方がマシだわ」
「意地張らないで来ればいいのに。美味しいスープもあるよ?」
ブレイブの誘いさえも、アレインは突き放す。
「うるせえよ金髪野郎!! 男なら、泥水啜ってでも意地張ってなんぼだろーが!」
「がっははは! その意気やよし! だが、儂はお前が気に入った。……力ずくでも連れて帰るぞい」
「やってみろやジジイ! 返り討ちにして、その髭を全部毟ってやんよ!」
「……待って。なら、その勝負、僕が受けるよ」
不意のブレイブの言葉に、アレインは眉を寄せた。
目の前の少年は、誰が見ても美少年と認める優しい顔立ちをしている。
とても修羅場をくぐってきたようには見えない。
「先生は大人げないからね。僕が勝ったら、僕たちの施設に来てもらう。いいかな?」
「はっ、マジで言ってんのかよ。俺は大人相手に、死体から剥いだ剣で斬った張ったやってきたんだぞ! こんな温室育ちの坊ちゃんに負けるわけねーだろ!」
「……勝負はやってみないとわからないよ? もしかして……ビビってる?」
「……その安い挑発、乗ってやるよ」
アレインの返諾を聞き、トルヴァンがどこからともなく二本の太い棒切れを取り出し、投げ込んできた。
「なんだ、このただの薪は」
「儂が昔、東洋の国を旅した時の土産物……『木刀』じゃ。意外と丈夫で硬くて、当たると死ぬほど痛いぞ。がっはは!」
握りを確認し、アレインは不敵に笑う。
「……ふん。折れなきゃ何でもいいわ」
「アレインが勝ったら、儂らは大人しく帰る。……ブレイブが勝ったら、アレインは儂の孤児院で、死ぬまでタダ働き……あ、いや、入所してもらう。良いな?」
「おい! 今、サラッと趣旨が『強制労働』に変わってただろーが!!」
「チッ、気づいたか……。冗談じゃよ」
「舌打ち聞こえてんだよクソジジイ!!」
トルヴァンは笑いながら、真面目なトーンでルールを告げた。
「冗談は置いといてじゃな。急所は無し。立てなくなるか、負けを認めた時点で勝負あり。……いいな?」
「僕はいいですよ」
「俺もだ。さっさと終わらせて、その金髪を毟ってやるよ」
構えを取る二人。アレインは内心、舌を巻いていた。
(……チッ。隙だらけに見えて、一歩踏込めばそのままカウンターを食らいそうな不気味さだ。……コイツ、本当にただのガキかよ)
思考を遮るように、ブレイブが挑発的に微笑む。
「どうしたの? 威勢が良かったわりには、借りてきた猫みたいにおとなしいね?」
(……ごちゃごちゃ考えるのは性分じゃねえ! 誘いに乗ってやるよ!)
アレインが弾丸のごとき速度で踏み込んだ。
アレインの剣は「剛」。剥き出しの殺意と、力任せの破壊。
対するブレイブは「柔」。淀みのない水の如き流れで、その暴威をいなしていく。
渾身の一撃を紙一重でかわされ、その力を利用して背後を取られる。
ブレイブは、まるで遊んでいるかのように楽しそうに笑っていた。
「君、強いね! 同じくらいの歳の子で、こんなに強い子、初めてだよ!」
「……けっ。その余裕面、すぐに泣きべそに変えてやんよ! 道場剣術じゃ経験したことのない、修羅場を潜った剣を喰らいやがれ!!」
殺気を混ぜたフェイント、泥臭い連撃、型のない滅茶苦茶な攻め。
だが、そのすべてをブレイブは予見していたかのように、優雅にいなし続ける。
「クソが……ッ!!」
「……終わりかな?」
その余裕そうな顔に、アレインの怒りが頂点に達した。
(イラッとくんだよ、その余裕そうなツラが! ……ルール無用だ、行くぜ!!)
アレインは足元を掬うように、街道の砂を勢いよく蹴り上げた。
巻き上がる砂が、ブレイブの視界を奪う。反射的に目を閉じるブレイブ。
その瞬間、アレインは手に持った木刀をブレイブ目掛けて全力で投げつけた!
(てめーが木刀を叩き落とした瞬間が、お前の最後だ! そのいけすかねー顔に、本気の一発をお見舞いしてやる……!!)
木刀を囮にし、丸腰で突っ込むアレイン。勝利を確信した瞬間――。
目を開けたブレイブは、投げられた木刀を最小限の首の動きで回避した。
さらに、突っ込んできたアレインの勢いを利用するように半歩下がり、その喉元に、自分の木刀をピタリと突きつけたのだ。
「……僕の勝ち。で、いいかな?」
静かな声。
喉元に伝わる硬い感触。
アレインは動きを止め、大きく肩で息をした。
「………………チッ。……ああ、クソッ、完敗だよ。……負けだ。……好きにしろ」
「勝負ありじゃな! いやぁ、実に良い『青春』を見せてもらったわい!」
トルヴァンが豪快に拍手する。
アレインとブレイブ、その初めての対決は、ブレイブの圧倒的な勝利で幕を閉じた。
(っつーわけで、俺はクソジジイの強制労働施設……もとい、孤児院に入所が決まったんだ)
内なるアレインが、皮肉めいた、けれどどこか懐かしそうな声でそう締めくくった。




