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第69話:泥濘の味、あるいは最悪の出会い

(……あいつらと……ジジイとブレイブに会ったのは、虚しい八つ当たりを辞めて『真っ当に生きよう』なんて、ガラにもねー殊勝なことを考え始めた時だった)


夜明け前の街道。パチパチと爆ぜる焚き火の音が、内なるアレインが語り出す煤けた記憶を、より鮮明に引きずり出していく。


それは、見ているだけで心が沈むような、曇り空の午後だった。セントガルド辺境の街道には、深い泥にまみれて立ち往生した一台の豪華な馬車と、その周囲で無様に転がっている護衛の兵士たちがいた。


「チッ……。なんだよ。無駄に成金趣味な馬車に乗ってる割に、金庫の中身は銅貨と領収書の山じゃねーか。期待して損したわ」


十三歳のアレインは、吐き捨てるように言って馬車から降りた。

手にした剣は戦場で拾い上げた安物だったが、その泥に汚れた切っ先は、馬車の隅でガタガタと震えている中年貴族――貧乏男爵の喉元を的確に捉えていた。


「おい、おっさん。なんか隠し持ってる金目のもん、ねーわけ? その立派な家紋は飾りか? 貴族様なら、こう……もっとキラキラしたもんとかよぉ」


「め、めっそうもございません! 実は見栄を張ってるだけで、うちは火の車……いや、火だるま状態の借金まみれ男爵なんですぅ! どうか、どうか命だけは……!」


涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして土下座する男爵。

その傍らでは、貴族の娘らしき少女が、煮えくり返るような瞳でアレインを射抜いていた。

その視線に気づいたアレインは、男爵へ冷ややかな言葉を投げかける。


「……おい、おっさん。見栄張るなら……いや、親なら。ガキの前でも最後まで、格好つけろよ。見てるこっちの胃が酸っぱくなるわ」


「そんな贅沢言ってる場合じゃ……! ほら、娘よ、お前も頭を下げろ!」


「お父様!! こんな汚らしいドブネズミみたいなクズに、頭を下げる必要なんてありませんわ! 立ってください!」


激昂する娘を、男爵は力任せに押さえつけた。

「お前は黙ってろ! ……へへへ、すいませんねぇ、反抗期のお転婆娘でして。誰に似たんだか、ヘヘへ」


下卑た笑顔で取り繕う父親と、怒りに震える娘。

その親子喧嘩の最中、アレインの目は少女が抱えていた薄汚れた籠に止まった。


「……おいクソガキ。それ、食いもんか?」


「クソガキ!? あたしには『フェリ……』」


「はい、没収」

 

アレインは少女の言葉を遮り、強引にその籠を奪い取った。


「ちょっと! 返しなさいよ、この泥棒!!」


罵声を無視して籠を開けると、そこには砂が混じり、形が崩れた不格好なサンドウィッチが入っていた。アレインはそれを一瞥し、鼻を鳴らす。


「……まぁ、まだ食えるな。しゃあねえ、今回はこれで手を打ってやるよ。ほら、さっさと行け。気が変わらないうちに、そのしけた馬車出して消えな」


アレインがシッシと手を振ると、娘はなおも食い下がった。


「返しなさいよ! それはお父様のために作ったのよ! あんたみたいなドブネズミに食べさせるためじゃないわ!」


「こんな砂塗れの食い物、おっさんが食うわけねえだろ? どうせこんな粗末なもの食えるかって、突き返されたんだろ」


「なっ!?」


図星を突かれ、少女が絶句する。

その隙を見逃さず、男爵は「お前は余計なこと言うな! こっちに来い!」と大声を上げ、娘を無理やり馬車の中へと引きずり込んだ。


「お、お前ら! 早く起きろ! あの悪魔の気が変わらないうちに逃げるぞ!!」


傷だらけの兵たちが這いつくばりながら馬車の準備を整えている間、アレインは一人、道端にどっかと座り込んだ。そして、砂まみれのサンドウィッチを迷わず口に運ぶ。

ジャリッ、という砂の不快な食感が口内に広がるが、アレインはそれを構わず噛みしめた。

そこへ、ゆっくりと動き出した馬車の窓から、少女が消え入りそうな声で話しかけてきた。


「……そんな汚れた食べ物……美味しくないでしょ?」


アレインはニカッと不敵に笑って答えた。


「……いんや。少しジャリジャリするが、最高にうめえよ。……誰かへの想いが詰まってる、久しぶりに感じる『人間』の味だ」


少女は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

だがすぐに父親の手によって引き戻され、馬車は砂埃の彼方へと消えていった。


残りのサンドウィッチを完食し、アレインが腰を上げようとした、その時だった。

音もなく、背後に「巨大な壁」が現れた。


戦慄が走り、反射的に剣を抜こうとしたが、それよりも早く、巨大な掌がアレインの顔面を鷲掴みにした。


「ぐ、あ……っ!?」

(な……んだ、このジジイ……。指一本、動かせねぇ……!!)


現れたのは、法衣を纏った筋骨隆々の巨漢だった。

神父の格好こそしているが、その顔は戦場を幾つも越えてきた獣の如き威圧感に満ちている。

顔中を覆う髭の間から、鋭い眼光が獲物を定める猛獣のようにアレインを覗き込んだ。


「なんだ……。この街道に『悪魔の子供』が出ると聞いて来てみれば。……どう見ても、ただの汚い、ひねくれたクソガキではないか」


「離せよクソジジイ!! 俺にそっちの気はねーぞ!!」


「がっははははは!! 心配するな、儂も女の方が好きだ!」


アレインは死に物狂いで腕を振り払い、大きく間合いを取った。


「神父の格好して、開口一番『女が好き』とか言ってんじゃねえよスケベジジイ!!」


「元気なクソガキだな。なかなかの生意気加減、嫌いじゃないぞ」

 

男は豪快に笑い飛ばし、威風堂々と胸を張った。


「うるせえよ。誰だよあんた。……俺に何の用だ」


「ああ、悪魔がただのひねくれたクソガキだったせいで名乗るのを忘れて居ったわ。儂はトルヴァン・スカイウォード。見ての通り、しがない神父じゃ」


「はぁ!? どこの世界に、歴戦の猛者みたいな肉体の神父がいるんだよ! 職業詐称だろ、詐欺罪で訴えるぞ!!」


「ところがどっこい、本物なんじゃよクソガキ。信じぬなら、今すぐお主の迷える魂を物理的に天国へ送ってやろうか?」


二人の間に一触即発の殺気が渦巻く。

アレインは青筋を立てて怒鳴り散らした。


「クソガキクソガキうるせえよ! 俺にも名前があるんだよ、ジジイ!!」


「ほう。まだ教えてもらっておらんからな。お名前、ド派手にどーぞ」

 

トルヴァンがおどけたように拍手する。


「……アレインだ。調子の狂うジジイだな、おい」


「アレインか。名前があるなら、『悪魔の子』はやはりおらんかったな」


「……悪魔の子って、なんだよ」


「ここ最近、近隣の信者から苦情があってな。『街道に悪魔の子が出て、馬車を襲っては金を巻き上げている』とな。……めんどくさいが、退治しに来たんじゃよ」


「神父のくせに『めんどくさい』とか言うなよ! 信者が泣くぞ、お前の給料どこから出てると思ってんだ!」


「めんどくさいもんは、めんどくさい。正直がモットーじゃからな! ガハハ!!」


「女好きの上に仕事もしたくねーって、とんだロクデナシ神父だなジジイ」


「お前こそ、年寄りに向かってジジイ連呼しおって。ろくでもないクソガキじゃな。……ククク」


しばしの静寂。

二人は不敵な笑みを交わし――同時に爆発的な殺気を放った。


「……決めた。今日を、お前の命日にしてやるよクソジジイ!!」


アレインが剣を抜き、弾丸のような速さで突っ込む。

対するトルヴァンも、その巨体を揺らして迎え撃つ構えを見せた。


「老人を舐めるなよクソガキ!! 儂は老衰で、美人のシスター達に囲まれて死ぬと決めておるんじゃ!!」


トルヴァンが気合を入れた瞬間、筋肉の膨張に耐えきれず、上半身の法衣が木っ端微塵に弾け飛ぶ。まさに重戦車が激突しようとした、その時――。


「先生!! 何やって……ってか、二人ともストォォォォォップ!!」


二人の間に、一人の金髪の少年が猛スピードで割り込んだ。

驚いたアレインの剣先と、トルヴァンの拳が、少年の顔面ギリギリで静止する。


「……あ?」


「もう、先生何やってるんですか! 相手は僕と同じ子供じゃないですか! ……君も、怪我はない?」


爽やかな笑顔で振り返る金髪の少年。

……それが、後に俺の腐れ縁にして親友になる男、ブレイブだったんだ。


(……まぁ、最悪の出会いだったってわけだ。だが、この日から俺の『クソったれな人生』が、少しずつ別の方向に変わり始めていったんだ)

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