第117話:グラン平原の大地獄! 夏のボーナス(課金爆死アイテム)の輝き
グラン平原を包む大気は、すでに生者の呼吸を拒んでいた。
突撃の時を待つ三万の死霊軍団。
それは、漆黒の鎧を纏った骨の兵卒、肉の腐り落ちた巨獣、そして虚空を漂う亡霊の群れが、恐ろしいほどの統率力で並ぶ絶望の光景だった。
対するシルヴァニア王国の迎撃部隊は、掻き集めて一万数千。
戦力差は倍以上、質にいたっては比較にすらならない。
前線に立つ人間の兵士たちは、ただそこにある死の重圧に飲まれ、呼吸を乱し、武器を握る手を血がにじむほどに震わせる恐慌状態に陥っていた。
「……ゴトー将軍! ヴァルドリアとセント・ガルドからの援軍はどうなっておるのだ!」
本陣の天幕で、シルヴァニア王フリードリヒは、額から冷や汗を流しながら叫んだ。
その問いに答えたのは、悲鳴のような声を上げる通信兵だった。
「ほ、報告! 両国とも『我が国も緊急事態である』とのことで、外交ルートが混雑! 援軍の到着は絶望的、大幅に遅れるとのことです!」
「なんだと……っ!」
「……ちっ。流石に泥縄の同盟じゃ、間に合うわけねーか」
ゴトー将軍は大きくため息をつき、頭をガリガリと乱暴に掻きむしった。
その顔には、歴戦の猛者特有の諦念と、隠しきれない苛立ちが刻まれている。
「お偉いさんの机の上の計算通りにゃ、世の中動かねえよなぁ」
「ど、どうしましょう将軍!? 敵に『援軍が来るまで待ってくれ』と時間稼ぎの交渉でも頼んでみますか!?」
青ざめた参謀の情けない提案に、ゴトー将軍は鋭い眼光を向け、天幕が震えるほどの怒声を浴びせた。
「んな大人の事情が通じる相手に見えるかバカ野郎!! 相手は魔王軍なんだよ!!」
対峙する両軍の間に、張り詰めた沈黙が流れる。
その時、死霊軍勢の最奥、ひときわ巨大な魔力の奔流を纏った玉座から、漆黒の鎧を纏った魔族――ゼロスがゆっくりと立ち上がった。
彼が軽く手を掲げると、その身から放たれた圧倒的な威圧感が、平原全体を地響きのように震わせる。ゼロスは冷徹な仮面の奥から、地を這う人間に向け、朗々と響き渡る声で呼びかけた。
「……愚かなる者達よ。今ここで自らの無力を悟り、我が軍門に下れば、命だけは助けてやろう。……これが、我からの最初で最後の『慈悲』だ」
その傲然たる宣戦布告に、シルヴァニア王国の本陣から、一本の槍のような叫びが返ってきた。
「――ふざけんじゃねえ!!」
ゴトー将軍が、喉を裂かんばかりの声で全軍に向けて咆哮する。
「総員、各個の位置を死守しろ!! 舐められてたまるかよ!!」
その叫びは、恐怖に凍りついていた兵士たちの心臓に火を灯した。
絶望が怒りへと塗り替えられ、シルヴァニア兵たちから地鳴りのような怒号が巻き起こる。
死霊の軍勢を率いる幹部、バルトスは、その光景を見て不愉快そうに口の端を吊り上げた。
「フン……愚かな人間どもめ。至高なるゼロス様の広大なる御心を理解できぬとは、まさに万死に値する。……身の程を知らぬ羽虫に、相応の絶望を」
ゼロスは静かに、しかし冷酷に首を横に振った。
「よい。……であれば、ここで我が覇道の礎となるがいい。――全軍、進軍開始だ」
「仰せのままに!!」
バルトスが反転し、漆黒の大鎌を振り下ろす。
ズズズ、と大地を揺るがす地響きを立てて、三万のアンデッドモンスターが一斉に牙を剥いて暴走を始めた。
「投擲具、用意!! 弓矢隊も魔法使い隊も出し惜しみするな!!」
ゴトー将軍の最前線での指揮が飛ぶ。
「ここを抜かれたら王都までノンストップだぞ!! アンデッド共をこっちの陣地に一歩たりとも入れるな!! 援軍が来るまで意地でも時間を稼ぐぞ!!」
聖水が霧となって降り注ぎ、赤色灯のような火の魔法が昼空を焦がす。
戦士たちの放つ武技が死霊の骨を砕き、肉を裂く。戦場はまたたく間に、死霊の不気味な叫びと、人間の血を吐くような怒号が飛び交う膠着状態へと突入した。
その凄惨な戦場を、少し離れた丘の上から見下ろす影があった。お巳代に案内され、ようやく戦地に辿り着いたアレイン一行である。
「……あーあ。どうやら出遅れちまったようだな。すでに祭り(戦争)は始まってるじゃねーか」
アレインはいつも通りの気怠げな調子で、耳の後ろを掻きながら戦況を眺めていた。
だが、その隣に立つカイトは、眼下に広がる地獄絵図に完全に圧倒され、顔を真っ白にさせている。
「……もう開戦しちゃってるね。なんて数だ……」
「ど、どないしよ……」
お巳代は、細い和服の袖で身を震わせ、涙目で戦場を見つめていた。
「セレンはんたちもアジトに捕まったままやし、これじゃ誰もゼロス様を止められへん……!!」
一方、死霊軍の本陣で玉座に座るゼロスは、予想以上の人間の奮戦を前に、冷徹な仮面の裏で少しだけ眉をひそめていた。
「……なかなかやるではないか、人間。見直したぞ」
(う〜ん、これじゃ困るんだよね。戦況がゴチャゴチャすぎて、例の『広範囲召喚アイテム』が使いづらいよ……。どうしよう、演出的にビシッと決めたいのに、これじゃ味方を巻き込んじゃうじゃん……)
ゼロスが内心で頭を抱えていると、その沈黙を「次なる一手への思案」と勘違いしたバルトスが、嬉々として彼の前に跪いた。
「ゼロス様!! 膠着する戦線を打破するため、私めにも活躍のチャンスをお与えください!」
「うむ。……よかろう、我らが力、とくと見せつけよ」
(お、バルトスがやる気になってる。じゃあ前線を少し押し返してもらって、スペースを作ってもらおうかな)
バルトスは歓喜にその狂信的な目を輝かせ、信じられない言葉を口にした。
「ありがたき幸せ!! ――ゼロス様、我が一撃、前線の兵どもを巻き込んでもよろしいでしょうか?」
「構わん。アンデッドなど、我が魔力があれば幾らでも再召喚できる」
(まあ、骨なんてまた作ればいいしね。適当にドカンと派手に散らしてよ)
主の軽い許可を得て、バルトスの魔力が狂暴に膨れ上がる。
「では!! ――〈黒炎獄〉!!」
バルトスの手から放たれたのは、闇と火の二属性が混ざり合った、禍々しい複合魔法だった。
それは前線で戦っていたゼロスのアンデッド兵、そしてそれと刃を交えていたシルヴァニアの兵士たちを、「味方ごと」巨大な黒い炎の渦で包み込んだ。
一瞬にして、平原の一部が消し飛び、肉の焦げる凄惨な断末魔がこだまする。人間も、魔物も、等しく黒い灰へと変えていく絶大なる破壊。
「……化け物め」
シルヴァニア陣営で、ゴトー将軍は目を見開き、戦慄に唇を震わせた。
「奴ら、味方ごと俺たちの兵を焼き尽くしやがった……!」
「なんと……なんと残虐な……!」
王フリードリヒもその非道さに言葉を失う。
しかし、本陣のゼロスは、内心の動揺を隠し、大魔王としての威厳を保ったまま深く頷いた。
「……素晴らしい。今の一撃で、軽く三千人は葬ったのではないか?」
「お褒めいただき、恐悦至極にございます」
バルトスは深く一礼する。
ゼロスは(うわ、味方めっちゃ死んだじゃん。さすが悪魔、容赦ねえな……)と引いていたが、その表情が仮面から透けることはなかった。
風に乗って、丘の上まで漂ってくる、人の焼ける生々しく凄惨な匂い。
ブルーナとヴェルナは不快そうに顔を歪め、お巳代は和服の袖で必死に鼻を押さえる。
そして、現代日本という平和な日常を生きてきたカイトの精神は、すでに限界を迎えていた。
「……お、おえっ……!!」
カイトは地面に手をつき、激しい嘔吐を繰り返した。目に涙を浮かべ、内臓をぶちまけるような苦痛に身を震わせる。
アレインは、そんなカイトの背中を一瞥すると、少しだけ真面目な、鋭い眼光を覗かせた。
彼は小指で鼻をほじりながら、いつも通りのぶっきらぼうな声でお巳代に告げる。
「……おい、ねーちゃん。カイト連れて、今すぐアジトに捕まってる仲間を助けに行けよ」
「え!? でも、ゼロス様を止めんと……!」
「残念ながらな、ここから先はグロ展開てんこ盛りの『R-18指定』だ」
アレインはふん、と鼻を鳴らし、眼下の地獄を指差した。
「未成年のカイトには、刺激が強すぎるんだわ。ここは俺が引き受けるから、さっさと連れてけ」
お巳代は、今も吐き続けるカイトの痛々しい姿を見て、唇を噛んで覚悟を決めた。
「……アレインはん、ゼロス様を頼んだで!? ほら、カイトはん、しっかりしぃ!」
「……お巳代さん、ありがとう……。アレイン、ごめん……っ!」
カイトはお巳代に肩を借り、這うようにして戦場から退場していった。
アレインは「任せとけ」とばかりに、いつものだらしない様子でひらひらと手を振って見送る。
「……でお主、どうするのじゃ? 」
頭の上のブルーナが、ジト目でアレインを見下げた。
漆黒の巨体を揺らし、ヴェルナが念話で冷ややかに問いかける。
『これだけの命を奪っておいて、また拾い上げようなんて甘っちょろいこと考えてないといいのだけれど?』
「ああん? 俺は何処の聖人様だよ。そんなことするわけねえだろ」
アレインが即座に吐き捨てると、ヴェルナはなおも疑わし気な目を向けた。
『だといいのだけれど?』
「口では悪ぶっておるが、どうせまた『あやつ(ゼロス)』に助け舟でも出すつもりなんじゃろ? 信用ならん奴め」
「あ~うっせえうっせえ、耳が腐るわ」
バルトスの大魔法によって前線に「空白」が生まれたのを見計らい、ゼロスはついに動き出した。懐から、禍々しい紫のオーラを放つ一枚のスクロールを取り出す。
ゼロスは傲然と両腕を広げ、全軍に響き渡る声で呪文を紡ぎ始めた。
「……我が最強の下僕の姿と力に、ひれ伏すがよい!!」
(ふはははは!! 見よ! 『夏のボーナスガチャ』の予算を全額突っ込んで、見事に引き当てた伝説のハズレアイテムの力を!!)
――そのアイテムは、戦場にある敵味方全ての遺体を対価に、超巨大なスケルトンを召喚する大魔法だった。
しかしゲーム内では、『生贄になった敵味方プレイヤーのレベルが全員一律で5下がる』という致命的なクソ仕様のせいで、ギルドメンバーから大ブーイングを食らい、これまで一度も使う機会がなかった呪われし「ハズレ課金アイテム」であった。
「――顕現せよ、〈怨嗟の巨骸〉!!」
ゼロスがスクロールを引き絞った瞬間、世界が変色した。
戦場全体に、底の見えないドス黒い、不穏な霧が一斉に立ち込める。
バルトスに焼き尽くされたアンデッドの骨、引き裂かれたシルヴァニア兵の遺体、そして――まだ辛うじて息があり、泥にまみれて血を流していた生身の兵士たちまでもが、その不可視の触手のような霧に捕らえられた。
「ひ、引きずり込まれる……! 助け……っ!」
「足が、俺の足が溶けて――うわああああああ!!」
平原全体に、生者と死者の怨嗟の声が地獄の底から響くようにこだまする。
生きたまま肉を削がれ、骨へと変えられていく兵士たちの絶叫。
まさに目を覆いたくなるような、この世の終わりを体現した地獄絵図。
やがて、全ての声が吸い込まれるように静まり返ると――。
ズゥゥゥン……!!
大地そのものが悲鳴を上げるように鳴動した。
不気味な黒い霧を切り裂いて現れたのは、ゼロスの姿に酷似した、天を突くほどに巨大な『骸骨の騎士』。
数千の命の怨嗟を吸い上げて骨を組み上げた異形の巨神が、禍々しい眼窩に紅い燐光を灯し、世界を蹂躙せんとその圧倒的な巨体を現すのだった。




