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第96話:剛拳の異端審問官と、教皇のスタンプラリー

世紀末の覇者のような筋肉の巨塊――孤児院の育ての親である神父ドルヴァンの豪快な笑い声が、静まり返っていた空間の空気をビリビリと震わせた。


「ガッハッハ!! シリウス、お主、相変わらずシケた面しとるのう!」


その姿を見た瞬間、氷のように冷徹だったシリウスの顔に、明確な動揺が走った。

だが、彼はすぐに鉄の仮面を取り戻し、鋭い視線を射抜く。


「……ドルヴァン様!? ……いえ、ドルヴァン殿。なぜ貴殿がここに。……これはセレスティア神聖国の正当な『聖女選定』の場です。例え元・異端審問官長官であろうと、介入することは許されませんよ」


シリウスの言葉に、背後に控えていた部下の神官たちが一斉にざわめき立った。


「お、おい……あの方が伝説の『剛拳のドルヴァン』か……」


「教会騎士団を『指導』という名のパワハラで、たった一人で壊滅させたっていう……」


「異端者を火炙りにする前に、その拳で粉砕してたらしいな……。物理的な意味で……」


「静まりなさい!!」


部下を一喝したシリウスは、嫌悪感を隠そうともせずにドルヴァンを睨みつけた。


「彼は異端審問官という権力を私物化し、あろうことか異端者を匿い逃がしていた大馬鹿者だ。それが発覚して長官の椅子から転げ落ちた……ただの愚か者ですよ」


「ガッハッハ!! 言うようになったのう、あの鼻垂れ小僧が! 昔は儂の後ろをピーピー泣きながらついてきておったくせに!」


「異端者が……!」


シリウスのこめかみに、ブチッと青筋が浮かんだ。


「教皇猊下の慈悲によって、今その首が繋がっていることをお忘れのようですね」


「アルの奴が泣いて止めるから神父を続けてるだけじゃよ。それに教義にもあるじゃろ? 『隣人を愛せ』とな」


「異端者に適用される愛など、セレスティア法典には一文字も記されていません!!」


「相変わらず頭がガッチガチの鉄板じゃのう。そのおかげで、儂が匿った異端者も、今じゃ大半が熱心な信者に改宗したじゃろうが。結果的に効率がいいとは思わんか?」


「屁理屈を……! あなたと話をしても、時間の無駄だ」


圧倒的な正論で詰め寄るドルヴァンに対し、ついにシリウスが対話を放棄した。


「……す、すごい。あの冷血神官のシリウスさんが、完全にペースを乱されてる……!」


カイトが感嘆の声を漏らす中、シリウスは冷徹な顔で部下へ顎をしゃくった。


「どちらにしても貴殿に介入の余地はありません。セイラ殿を馬車へ」


「……ミリー……っ!!」


「お姉ちゃん!! やだ!!」


引き離されそうになる姉妹。


「待ってください!! せめて、せめて最後のお別れの時間くらい――!!」


「不要だ。どきなさい」


カイトの懇願も、シリウスには届かない。

その時だった。泣き叫ぶミリーが、ドルヴァンの丸太のような太い足にすがりついた。


「おじいちゃん!! 助けて!! お姉ちゃんが連れていかれちゃう!!」


ドルヴァンは巨大な体をゆっくりと屈め、ミリーの頭を大きな手でポンと優しく叩いた。


「……安心せい。儂に任せとけ。……今の儂は、ちょっとした『魔法』が使えるからのう」


ドルヴァンはミリーをひょいと肩に乗せると、立ち塞がる岩壁のように、シリウスの前に立ちはだかった。


「……どきなさい。公務執行妨害で拘束しますよ」


シリウスが右手に魔力を込めた、その瞬間。

 ドルヴァンはニヤリと悪魔のように笑い、懐からカビの生えたような、だがどこか重厚な羊皮紙を取り出した。


「……シリウス。お前さんは『教義ルール』が絶対だと言ったな。……なら、これに見覚えはないか?」

「……それは。……神聖国法、第十七条附則……!?」


シリウスが目を細め、書類を凝視する。


「左様。……『聖女候補に選定された者が、高位神官または同等の資格を持つ指導者の“個人的な弟子”として修行を行う場合、一定期間、本国への出頭を猶予し、現地での育成を認める』。……あったじゃろう? こんな、誰も使わん埃の被った特例が」


「……確かに存在する。だが、それは指導者に相応しい実績と、何より『教皇庁の直筆署名』がある推薦状が必要だ。貴殿のような、一度職を追われた異端者に――」


「……あるんだな、これが。……昔、アルから貰った、正式な神聖国のハンコ付きじゃ!!」


バサァッ!! と、ドルヴァンが羊皮紙をシリウスの鼻先に突きつけた。

そこには確かに、現在の教皇を示す燦然たる紋章と署名が刻まれていた。


「……本物、か。……あの、法を重んじる厳格な教皇猊下が、なぜこのような……筋肉の塊に特例を……!? 理解に苦しみますね……」


シリウスの瞳に、微かな、だが決定的な驚愕が宿る。


シリウスの瞳に、微かな、だが決定的な驚愕が宿る。


「あのクソジジイ、とんでもねえ裏技持ってやがったな……。……偽造じゃねーよな? 筆跡鑑定とかしなくて大丈夫か?」


アレインが背後でボソッと呟く。

シリウスは深く重い溜息をつき、姿勢を正した。


「……認めざるを得ない。法は法です。……ドルヴァン殿。貴殿がこの少女を指導するというのであれば、私に彼女を連行する権限はありません」


そして、セイラを真っ直ぐに見つめる。


そして、セイラを真っ直ぐに見つめる。


「……セイラ殿。貴女に与えられた猶予は、あくまで修行のためのもの。……三年後、神聖国の『選定の儀』には必ず出席していただく。……もし逃亡を図れば、その時は教会の騎士団……私の直轄部隊を動かすことになる。……よろしいですね?」


「…………は、はい!!」


セイラが涙を拭い、必死に頷いた。


「……た、助かった……セイラが、セイラが連れていかれなくて済んだ……」


カイトが安堵のあまり、その場に膝から崩れ落ちる。


「……ドルヴァン殿。貴殿の教育方針は存じ上げないが、聖女候補を泥にまみれさせるような真似をすれば、容赦はしません。……行きましょう」


シリウスは一度も振り返ることなく、部下を引き連れて去っていった。

嵐が過ぎ去った後のような、静かな、だが確かな安堵が孤児院に広がる。


「……クソジジイ。遅ぇんだよ。あと三分遅かったら、俺が馬車のタイヤを全部パンクさせなきゃいけねーところだったわ」


アレインが憎まれ口を叩くと、ドルヴァンはガハハと笑った。


「ガッハッハ!! 間に合ったんだからいいじゃろうが! これで一件落着じゃ!!」


まさに大団円。誰もがそう思った、その時だった。


『……私の印鑑を盗んだの、やっぱり先輩だったんですねぇ。……あと、さっきから「アル、アル」って呼び捨てにしてますけど、私一応、教皇なんですけどぉ……』


ドルヴァンの懐にある通信用の魔道具から、「気の抜けた情けない声」が響き渡った。


「おっと、感度が悪いわい。……あばよ、アル!!」


ドルヴァンは通信機をペシペシと叩き、一方的に通信を切断して懐にねじ込んだ。


「「「「窃盗じゃねーかァァァァァ!!!」」」」


アレイン、カイト、エリナ、ミナの四人のツッコミが、青空にこだました。

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