第13話 暗躍した者
サンワ村の隣、山を一つ隔てたところ。
山の麓、鬱蒼と生い茂る草花の中にあって存在を秘匿するかのように人が入れそうなほどの大きさの穴が一つ。
位置関係においては山賊団のアジトからサンワ村に隔てられ、その先にある。
人の手が入っていない、明かり一つないその穴蔵の中で肉塊が蠢くように苛立ちの声を上げていた。
『チッ、どうやら失敗したらしいな……』
不格好で奇妙な肉塊……人の死体を幾つもつなぎ合わせて溶かし合わせたかのような不快な色をしたその中で、その肉塊と半ば同化した形でゴブリンが喚いた。
それは、この穴蔵においては王と崇められる存在。
種族的にもゴブリンキングと呼べる、ゴブリンの中での最上位個体であった。
だがしかし、そのゴブリンは自らの身体を唾棄するかのように顔を醜く歪める。
その理由は、未だ不格好な肉塊のままで遅々として同化の進まない自らの身体にあった。
『あのクソ人間どもめ……よくも邪魔を……』
身体から瘴気が吹き荒れる。
それはこの身体……ではなく、精神が持つ力。
瘴気、というのは魔族が持つ固有の力に他ならない。
それは自らが持つ魔力に付随するもので、魔力というのはその精神に大きく左右される。
それは本来、肉体にある魔力を生成する器官と合わせて作られるものだが精神体しかないそのゴブリンの内部に居る存在は己の存在をその仮初の肉体に同化させて削るようにして何とか生み出している。
かつての戦いで肉体を失い、精神のままでは消滅の憂き目を免れないため仕方なくゴブリンを支配して乗っ取った存在……それがこの場に居る肉塊の正体であった。
ゴブ、ゴブゴブ……
『ふん、戻ってきたか。だが、使えぬ駒だな。相変わらずっ!』
手を振るう。
それだけでゴブリンは闇に呑まれて消えていった。
死体が足りない。
ゴブリンの肉体では不足のため、新たに魔族の身体を創り上げるために人々をゴブリンたちに襲わせてその素材を得ていたが完全に肉体が醸成されるには今一つ足りなかった。
あの肉体が手に入れば少しはマシな身体が出来上がるはずだが……
先程まで視界を共有していた尖兵が見たものを思い返して、少し思案する。
あのゴブリンは、王が数少ない瘴気を分け与えて素材集めを円滑に進められるように強化した個体だ。
それが二度も同じ相手に敗れた。
手駒を失ったのだ。
もっとも一体は瘴気を受け入れることで存在の位階が上がり、進化により支配から脱しようとしていたため別に惜しくもない駒なわけだが。
吹き荒れる瘴気を抑えていく。
今はまだ限りのある魔力を消費するわけにはいかない状態であったからだ。
感情が荒ぶるのは仕方がない。
吹き荒れる心のまま、魔力と瘴気をまき散らしてしまうのも仕方がないとそれは思う。
何故なら、小さなことに配慮して自分のしたいことが出来ないなど魔族にとっては許しがたい軟弱さであるから。
『まったく……不便な』
早くこのような身体を捨てて、新たな肉体を得たいものだと舌打ちをしたい感情に駆られる。
長いことこのゴブリンの身体を使ってはいたが、魔族にとってはこんなものに特に愛着などあるわけではなかった。
生きられるのでさえあれば、こんな身体はどうなってもいい。
実際には精神体が肉体に溶け込むように結びついているので、切り離すにしても時間がかかるのが現状なためそれは出来ないわけだが。
その辺りのことが、不便なという言葉でもって表へ出てきているものだった。
また、しばらくは身体の新生は出来そうにない。
またゴブリンどもに死体を集めさせねば、とこの先を考えて顔を顰める。
考えたくないほどに面倒な手間だった。
この付近に人が密集している場所からはもう回収してしまったから素材がない。
今日襲ったあの場所は数が少ないうえに、ゴブリンどもが馬鹿なせいで貴重な素材を潰してしまったものが幾つもあるからそれも不可だ。
素材集めには、山を越える必要がある。
『また、雑魚どもを増やさねばな……』
人間というのも馬鹿ではないことをそれは知っていた。
かつては人々にあの手この手で迫り支配を目論んでいたのだ。
下等生物であるとはいえ、自らを……そして、魔族からすればまったくといっていいほどに理解が出来ないことだが他者を守るために想定を超える力を発揮することを、敵として相まみえた身としては心の奥底にまで刻み込まれていることだった。
そのせいで、このような屈辱を受ける羽目になったのだから。
数が多ければ単純に攻めるだけで倒すのは不可能になる。
それも、街の規模を考えるならば……街を埋め尽くすほどの数が必要であろうことがそれの頭の中では確定的だった。
『……仕方ない、しばし待つとするか』
新生は先送りにする。
今は確実に戦力を拡充させることを第一とする。
そして、街を……交易都市ミリオを蹂躙して素材を集めるのだ。
考えて、笑いを零す。
未来を描き、怪しく口の端を吊り上げる。
待っているがいい、クソ人間どもが。
声が、哄笑となって不格好な肉塊から出る。
まずはこれらの素材を吸収し少しばかり強くなることだ。
そして、いずれは誰にも手が出せないほどに力を蓄えて……まずは、そう、まずは
『あの二人だ』
今日、邪魔をしてくれた塵共を吸収する。
思考を保ったまま身体の端から自由の利かない肉塊に変えて、少しずつ、少しずつ舐めるように取り込んでいって最後には殺しつくしてやる。
肉体だけでなく、その精神までも。
そう考えると、ひどく胸がスッとする気分をそれは覚え、気が付いたら叫んでしまっていた。
『くははははははははっ!俺は魔族だっ!人など取るに足らない存在を蹂躙する魔王なのだっ!殺してやる……辱めて、屈辱に顔を歪ませたのちに絶望を孕んだままのその死に顔を拝んでやるぞっ』
そうでもしなければ気が晴れない。
俺にはその権利がある。
そう、心の底から信じるその独り言に、返答する声があった。
「あぁ、迷惑なのでやめてくださいね」
『っ、誰だ!?』
しかし、姿は見えない。
目を凝らしてもどこにも姿がない。
いや、声を発することで微かに空間に揺らぎが生じているようには見える。
その前には、ゴブリンが一匹……正気を失っているような間抜け面を晒して立っていた。
「ふむ、その様子からすると……私が見えないのでしょうか?となると、その程度の魔族……あぁ、いえ、これは生きながらえるために存在を削っているのですか? 往生際の悪いことで」
『っ、黙れっ!この俺を愚弄することは許さんぞっ!』
自分の力が削れていく、それにも構わずに瘴気を放射する。
その瘴気は肉塊が鎮座するその場所から、正面に向けて全域を侵すように放射されたのだがまるで手ごたえはなかった。
まるで何も居ないかのように、そのまま通り抜けて去っていく。
そのことに顔を顰めた。
『何だ?お前は?何の用があってここへ来た?』
「何の用、ですか。それはもちろん……」
あなたを消滅させるために。
その言葉と同時に足音が空間内に反響して響き渡った。
少しずつ、近づいてくる。
「元々、妙だとは思っていたのですよね。ゴブリンだったら死体を持ち去るようなことはしませんから、村に亡骸が残るはずです。しかし、それがなかった」
カツン……足音が段々と大きくなる。
だが、見えない。
そこに居るはずなのに、姿かたちもまるで分からない。
だがそれは恥でこそあれ恐怖などではなかった。
それは魔族に共通する見解といって差し支えないほどに、常識的なことだ。
例えどれほど相手が強くとも、自分が惨めに見えようとも生き残ればよいのだから。
生きて、最終的にその相手を殺せば結局は自分の方が強いのだから。
『取引をしないか? 俺はもう人間を殺さないと誓おう、死体をここへは持ってこさせないと約束しよう。ここは手を引かないか?』
「ゴブリンにとって人は食料のようなものですからね。その場で食べたりだとか、巣穴に持ち帰ったりというのはあるかもしれませんが……食い散らかされた様子すらなく何もかも綺麗さっぱりなくなっているなどありえません」
『おい、聞いているのか?』
「ならばゴブリンたちにとって上位の存在がそのような命令をしたのだと思ったのですが、それもあまりあるとはいえないことでしょうね。ゴブリンは基本的に知能が低いですから」
聞いていない。
そう主張するように、一歩、また一歩と近づいてくる。
そのゆっくりとした音、歩みはまるで相手の恐怖を煽っているかのようで……魔族としては気分の良いものではなかった。
そのようなことは魔族の専売特許だというのに。
どこから来るのか?
姿かたちも分からないものに戦々恐々としなければならない。
現状はそれにとってとても不満なものであった。
「例えゴブリンキングと言っても知能はゴブリンのそれに準じていると考えて問題のないものですからね。そのような命令をするのも妙ですし、加えてゴブリンにそんな複雑な命令なんて出来るわけがありませんからね」
『……その通りだ』
ゴブリンどもは命令を下したにも関わらず、それを忘れることなどままあることだった。
現に洞窟でもそうだったし、村の素材をすべて回収できたのは何度も何度も行かせてようやくやらせた結果だからだ。
簡単に言うとゴブリンどもはそれの命令を遂行したのではない、どうにかして遂行「させた」ただそれだけのことだった。
『なればこそ、俺は生きたい。ここまで頑張ったのだ、生きて自らの身体を取り戻したいのだ。それをゴブリンにやらせるのにどれほど苦労をするのか……今、語ってみせたお前には分かるだろう?』
「分かりますけど、そのような理屈は知ったことではありません」
『無慈悲だな。それでも人か?俺のような惨めな存在に対する慈愛の心を持ち合わせてはいないのか?』
「あなたに向ける慈愛の心は持ち合わせておりません」
空気が変わる。
何といってもこいつが自分に対して行動を変更をするようなことはないのだろうと、それはこの場で確信をした。
このままでは殺される。
なればこそ、一時の恥を忍んででも頭を下げて、涙を流し、無様に命乞いをし……少しでも心を揺らした瞬間に、最大限の一撃を放つ。
どんな代償を払うことになってもこいつは殺す。
そう決めたところで、しかし、その口がもう声を発することは出来なかった。
魔力が身体の中に侵入してきてる。
それは強大な魔力を操り、他には使うことのできない闇の属性を扱うことのできる魔族が最も苦手とする魔力‐光の属性。
これ、は……!?
口にすることも出来ずに身体が崩れていく。
浄化されるかの如く肉体が解けていく。
「私としては別にあなたが生きていようと何とも思わないのですよ、ただ」
言葉と共に魔力が一気に注ぎ込まれる。
「レンくんとランちゃんが面倒を被るかもしれませんからね。特に悪いとは思いませんが消えてもらいます。さようなら」
『ぎ、ぁ、ま、は!』
最後の瞬間、かすれたような声が出る。
だが、それも最後まで発せられることなく消えていき……それは、最後の瞬間、隠蔽の効果を切ったのか見えるようになったその姿を直視して呪うような想いを抱いて。
心の中で怨嗟の声を吐いた。
レイ……フォルトっ!!
見知った姿。
覚えのある魔力。
背格好は変わっているし、髪の毛も色が抜けたのか白くなっている。
だが、見間違えようのない顔……かつて、自らが肉体を失ったきっかけになったその者を前にして過去には魔王とすら呼ばれたその肉塊は心の中を真っ赤に染め上げ……光の魔力に溶かされて、存在ごと消えていった。
恨みも、望みも、叶う機会はもう二度と訪れることはないのだった。
「はて?今の魔族……どこかで会ったことがありましたかね?」
最後の叫び、自分の姿を認めたかのような声に考えこむレイフォルトだったが、すぐにその疑問を放り投げるように首を振る。
「まぁ、別にいいですかね。どうでも」
もう消えたのだから。
そんな裏が聞こえるような言葉をつぶやいて、レイフォルトは踵を返して去っていった。




