第99話 俺の知らない知り合い
「オキ」
年上の男が呼ぶと、若い男が振り向いた。
俺も顔を上げると、若い男と目が合った。
自分の胸を叩き、笑う。
「オキ」
「オキ」
俺が返すと、今度は年上の男を指した。
「カヅ」
昨日聞いた名を、顔と一緒に覚え直す。
カヅも頷き、俺の肩へ手を置いた。
「サエ」
「それは、覚えてる」
俺も自分の胸を叩き、三人で歩き出した。
*
上流の道は、川から少し離れた林を通っていた。
昨日の崩れた場所へは下りない。
朝の光が幹の片側だけを照らしている。
俺は二人の間を歩いた。
オキがときどき足を止め、細い木を曲げてみる。
カヅは幹を見て、触ってから選ぶ。
真っすぐならいい、というわけではなさそうだった。
「これ。何、使う?」
俺が尋ねると、オキは川を示し、両手で魚が入る隙間を作った。
昨日組んでいたものの続きか。
俺は頷き、選んだ木の長さを確かめる。
カヅが切る間、オキと俺は倒す先を空けた。
切り終わると枝を払い、使うものを道の脇へ揃えていく。
ひと抱え分が地面へ揃ったころ、オキが俺を見た。
「昨日より、短い」
オキが一本を持ち、俺へ向けた。
「これなら。オキ、一人」
オキはすぐに首を振った。
カヅが笑う。
オキは俺へ材料を寄せ、自分は手ぶらで歩く真似をした。
「サエ、一人」
「三人」
俺は指を三本立てた。
そこは譲らない。
カヅはまだ笑いながら、次に使う紐を出した。
*
声がしたのは、材料をまとめ終えたころだった。
林の向こうから、短く呼びかける声。
知らない男の声だった。
俺は顔を上げた。
カヅがすぐに返す。
木々の間から、人が一人現れた。
背には、横へ張り出した荷。
その後ろにも、もう一人いた。
俺は束ねた材料から手を離し、身体を起こした。
オキが男たちへ近づいていく。
先頭の男が何か言うと、カヅは顎を上げて笑った。
俺は二人の顔を見比べた。
警戒するより先に、挨拶が済んでいた。
男が荷を下ろす。
オキがその端を支えた。
カヅは腰を下ろし、水を出している。
俺は肩から力を抜いた。
先頭の男が、オキの脇腹を軽く叩いた。
オキが笑って払いのける。
俺には初めての場所でも、この二人には、知り合いに会って立ち話をする道なのだ。
「サエ」
カヅに呼ばれた。
隣の地面を叩く。
材料は脇へ置いたまま、隣へ座った。
*
先頭の男は、まず俺の服を見た。
袖の縫い目に目が止まり、それから顔へ戻る。
その目には見覚えがあった。
俺は自分の胸を指した。
「サエ」
男が音を返す。
俺が頷くと、今度はカヅが話し始めた。
昨日の道と、長い枝のことらしかった。
カヅは幹を回すように手を動かし、俺を指す。
オキも材料の束を叩き、何か言い足した。
男は話を聞いたあと、俺へ向き直った。
「サエ。これ、川?」
束ねた木を指す。
俺は頷いた。
「川。魚」
オキが見せたように、手で隙間を作る。
男が問い返した。
今度は長く、途中で分からなくなった。
俺は曖昧に頷かず、首を振った。
「後、分からない」
男は木の束を指し、水が押してくるように掌を動かした。
水が増えたときのことだろうか。
「水、多い?」
男が頷く。
そこは、俺には答えられなかった。
昨日、運ぶのを手伝った。組み方は、まだ全部分かっていない。
「カヅ。知る」
隣へ顔を向ける。
カヅが説明を引き取った。
男は聞き終えると、また俺を見た。
短く礼を言った。
俺にも、だった。
カヅが話し終えても、男の身体はこちらへ向いたままだった。
*
腰を落ち着けると、男たちも食べ物を出した。
先頭の男が、小さな干し魚を二つに折る。
片方を俺へ差し出した。
頭のほうだった。
俺の手が、少し止まった。
男は俺の顔を見て、隣の男へ何か言った。
笑い声が返る。
差し出していた頭を自分で食べ、胴のほうを俺へ渡した。
オキがこちらを見た。
男の口元を指して笑う。
俺は受け取った魚と、男の顔を見比べた。
そのまま、残った小骨まで噛んでいる。
「好き?」
魚の頭があったところを指す。
男は頷いた。
オキが俺のぶんへ手を出す。
今度は迷わず、少し脇へ引いた。
「これは、俺」
カヅが声を出して笑った。
俺も笑ってから、食べた。
よく乾いていて、噛むほど味が出た。
*
立つ前に、男が荷を包んでいた葉を少し開いた。
白いものが幾つか見えた。
小さな貝だった。
一つを取り、指先に載せる。
穴が開いていた。
細い紐を通して首元へ当てると、胸の上で白く光った。
俺が覗き込むと、掌へ載せてくれた。
内側が、光の向きで少し色を変える。
ただ白いだけではなかった。
指で縁をなぞる。滑らかだった。
男とカヅが話し始めた。
俺たちの集落の呼び名が聞こえ、カヅが帰り道を示す。
「来る?」
男を見ると、頷いた。
今日ではない。
何度か夜を越してから、ということらしかった。
男は貝を返してもらうと、今度はカヅの石刃を指した。
カヅは腰から外し、男へ渡した。
男は刃を光へ向け、石の表面を確かめた。
言葉を交わしてから返す。
カヅは自分の集落を示し、何かを割り出す仕草をした。
同じような石を、向こうへ持ってくるのだろうか。
まだ、何と何を替えるのかは分からない。
貝は男の荷へ、石刃はカヅの腰へ戻った。
先頭の男は俺を呼び、自分の目元を指す。
次に、荷。
「サエも。見る」
俺は頷いた。
「見る」
貝の縁に、いくつも小さな擦り跡があった。
あの滑らかさになるまで、どれくらい手をかけるのだろう。
*
男たちは、俺たちとは別の道へ進んだ。
背の荷が木々に隠れるまで、思っていたより早かった。
俺たちも材料を持ち上げる。
カヅが先に立ち、オキと俺が続いた。
帰り道で、オキが一度振り向いた。
俺の首元を指す。
それから、貝を並べる仕草をした。
俺は自分の襟を見た。
この服に、あの貝を下げるのか。
オキは妙に楽しそうだった。
「オキも」
言い返すと、胸を張った。
似合うつもりらしい。
カヅが前を向いたまま呼んだ。
オキが返事をし、俺も材料を持ち直す。
休んでいる間に、少し歩くのが億劫になっていた。
持ち上げれば、また足は動いた。
*
日の高いうちに、集落へ戻った。
川辺へ材料を下ろし、カヅたちと別れる。
戻ると、イナがこちらを見た。
俺は先に手を上げた。
「帰った」
イナが頷く。
水を飲み、そばへ腰を下ろした。
材料は全部持ち帰った。
その報告をしてから、俺は掌に小さな丸を作った。
真ん中を指す。
紐を通し、首へ下げる真似をした。
イナが何か言った。
貝を指す言葉だった。
俺は頷いた。
「白い。ここ、光る」
掌を傾けてみせる。
イナは俺の手元を見たあと、顔を上げた。
どこで見たのかと尋ねているらしい。
知り合った男の顔を思い出す。
俺は、そこで口を止めた。
カヅたちの会話に、その名も出たはずだった。
顔を見て確かめる前に、別れてしまった。
「……次、聞く」
イナが首をかしげる。
俺は川上を指した。
「人、来る。貝、持つ」
それから、彼女を見る。
「イナも、見る?」
イナは頷いた。
首元へ手を添え、少し笑った。
俺は白い貝がそこに下がるところを思い浮かべた。
似合いそうだった。
掌を傾ける真似を、もう一度する。
「イナ。見る。選ぶ」
イナは頷き、俺の襟元も指した。
「サエも」
オキに言われたときは、すぐ言い返せた。
今度は少し考え、頷いた。
「一緒に、見る」
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