第100話 欲しいものができた
「サエ」
呼ばれて振り向くと、あの男がいた。
干し魚の頭を、うまそうに食べた男だ。
背負った荷を地面へ下ろし、こちらへ手を上げる。
林で会ってから、何日か経っていた。
その間に、運んだ枝材は川辺で使われ、俺は何度かカヅたちと働いた。
今日は、材料をまとめ終えて戻ったところだった。
俺も手を上げて、近づく。
俺は名を確かめるつもりで、自分を指し、それから男へ掌を向けた。
男は一度笑い、自分の名を言った。
「タギ」
繰り返すと、頷いた。
今度は忘れないよう、もう一度顔を見た。
タギは荷を叩き、包みを開こうとした。
俺は手を上げる。
「待つ。イナ、呼ぶ」
歩き出すと、少し早足になった。
*
イナは土器を洗っていた。
俺が声をかけ、首元へ飾りを下げる真似をすると、すぐに顔を上げた。
「来た?」
「来た」
彼女は器の水を切り、伏せて置いた。
濡れた手を払ってから、俺に続く。
タギの荷の前には、もう人が集まり始めていた。
カヅが幾つかの石を持ってきている。
少し離れたところで、タギの連れが別の男と話していた。
開かれた葉の上に、白い貝が並んでいた。
林で見たものより、大きなものもある。
細長いもの、丸く削られたもの。端に薄い茶色の残るものもある。
イナが隣へしゃがんだ。
一つ取り、光へかざす。
俺も大きなものを一つ取り、隣へ置いた。
イナは二つを持ち比べ、小さいほうを選ぶ。
穴の周りを指で確かめ、タギの差し出した紐へ通した。
首元へ当て、重さを確かめるように手を離す。
「これ?」
俺が尋ねると、イナは頷いた。
俺の選びかけたものより、薄かった。
胸の上で、白い光が少し揺れた。
似合っていた。
俺はタギを見た。
「これ。欲しい」
*
自分の荷から、予備の紐を二本出した。
この数日、空いたときに撚っておいたものだ。
一本をタギの前へ置く。
彼は持ち上げ、両端を引いた。
指の間を滑らせてから、俺へ返す。
首を横に振った。
タギは自分の荷から、長い紐の束を出した。
足りているらしい。
俺は苦笑して受け取った。
俺は紐をしまい、膝の前を見た。
カヅの持ってきた石がある。
だが、それは俺のものではない。
タギは隣で小さな皮を広げた。
中には、穴はあるが、まだ縁のざらついた貝片が入っていた。
薄い平石を取り、水を少し垂らす。
貝の縁を当てて、ゆっくり動かし始めた。
俺はその手元を見た。
膝の上の貝片には、掌に載せてもらったときの滑らかさがない。
「これ、する。俺」
手伝う仕草をして、白い貝を指した。
「これ。替える?」
タギの手が止まった。
俺の手を見る。
それから皮の上へ貝片を四つ並べ、縁を順になぞった。
指を四本立て、白い貝を示す。
俺は、まだ頷かなかった。
まず、一つ示す。
「一つ。やる。見る」
タギが笑い、石をこちらへ寄せた。
*
擦ればいい。
そう思っていたが、持ち方で削れる場所が違った。
タギは貝を斜めに当て、角のところだけ短く擦ってみせた。
俺も同じように動かす。
水で流して縁を確かめると、一か所だけ指に引っかかった。
そこをもう一度擦る。
タギに渡すと、穴の近くを爪で示された。
形を崩さないよう、そこも整えた。
二度目に渡すと、葉の上へ置かれた。
完成したものの側だった。
俺は仕上げた一つと、残り三つを順に示した。
それから、イナが選んだ白い貝。
タギが頷く。
彼は白い貝を別の葉へ移し、俺の荷のそばへ置いた。
俺も頷き、次を取った。
*
イナは途中で立ち上がった。
俺の手元を見てから、借りていた紐を貝から抜き、タギへ返す。
「あと、来る」
俺は頷いた。
彼女には、残っている仕事がある。
白い貝は、俺の荷のそばに残った。
俺は次の貝片を石へ当てた。
何度か水を替えた。
タギは人と話し、石を見て、また俺の貝を確かめる。
一度、カヅが横を通った。
俺の手元を覗く。
白い貝へ目をやり、少し笑った。
何も言わずに行ったので、俺も呼び止めなかった。
手元に水があるうちは、どれも滑らかに見えた。
流して、指で確かめる。
目では分からないざらつきが残っていた。
完成したものを一つ借り、何度も触って比べた。
最後の一つを渡したときには、座っていた場所まで日が差していた。
タギは四つを確かめ、荷の皮へ収めた。
そして、薄い白い貝を俺の掌へ置いた。
まだ少し濡れた指で、受け取る。
「ありがとう」
タギは俺が仕上げた貝を示した。
自分の胸を指し、同じように短く返した。
俺は掌を閉じた。
指を閉じると、掌にすっぽり隠れた。
イナを呼びに行ったときから、こんなに小さかっただろうか。
*
イナを探そうと立つと、すぐ後ろにいた。
手に小さな包みを持っている。
俺は掌を開いた。
白い貝を見て、イナの目が上がる。
「イナに」
差し出すと、彼女は自分を指した。
「私?」
「うん。イナ」
彼女はすぐには取らなかった。
俺の指先を見る。
石に触れていたところが、少し白くなっていた。
次にタギの前の葉を見る。
俺は頷いた。
「俺、した。替えた」
イナがそっと受け取った。
指の上で一度傾け、光を確かめる。
それから、持っていた包みを俺へ渡した。
中には、小さな貝が一つあった。
表は灰色に近い。
裏返すと、縁が鈍く光った。
「魚。替えた」
イナは自分の空になった包みを示し、タギの荷へ目を向けた。
俺が石に向かっている間に、自分の干し魚と替えてきたらしい。
「サエに」
イナが言った。
俺は貝を持ったまま、顔を上げた。
彼女は俺の襟元を指す。
「これ。サエ」
白いほうを自分へ、灰色のほうを俺へ向ける。
俺は、掌の貝へ目を戻した。
自分がどうすれば買えるかばかり考えていた。
彼女も俺のぶんを選んでいたとは、思わなかった。
「ありがとう」
胸へ当てると、イナが笑った。
俺も笑った。
*
紐は、荷へ戻していた二本が使えた。
イナは白い貝へ紐を通し、自分で首の後ろを結んだ。
少し位置を直す。
それから、俺を見る。
言葉を待っている顔だった。
俺は頷いた。
「いい」
似合う、という言葉は知らなかった。
「その色、いいな」
つい日本語で言ってから、白い貝へ目を戻した。
イナは俺がどこを見ているのか、確かめていた。
イナは俺の顔を見て、目を細めた。
俺も、もらった貝へもう一本の紐を通した。
結んで下げると、貝はシャツの胸元へ落ちた。
襟と貝が擦れる。
触っていると、タギが何か言った。
オキの笑い声がした。
いつから見ていたのか、少し離れたところに立っている。
自分の胸元にも、貝を一つ下げていた。
得意そうだった。
俺も胸の貝を持ち上げた。
オキが頷く。
俺とイナを見比べ、何か言いかけた。
だが、タギに呼ばれると、そちらへしゃがんだ。
俺は胸の貝を離した。
まだ少し、笑いが残っていた。
*
そのあとも、タギたちの前では話が続いていた。
石が渡り、包みが開かれ、人が入れ替わる。
俺は空いた葉を集め、脇へ寄せるのを手伝った。
イナは残っていた土器を片づけに戻った。
しゃがんで水を流す。
顔を上げるたび、胸の白い貝が揺れた。
俺は一度、自分の貝へ触れた。
石を擦った指先に、滑らかな縁が当たる。
向こうでイナが気づいた。
貝をつまんで、少し持ち上げる。
俺も持ち上げた。
彼女は笑い、また器へ手を戻した。
俺は次の葉を拾った。
屈むたび、小さな貝がシャツの内側へ滑り込んだ。
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