↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
92/111

第92話 帰りに持ったもの

朝、ユイは俺の顔より先に、荷を見た。


エナの手を握って立ったまま、上に入れた包みを指す。


俺はしゃがみ、葉を少し開いた。


木の実が一つ。


殻についた傷も、昨日のままだった。


殻を見せると、ユイの指が下りた。


葉を閉じ、食べ物の包みとは離して戻す。


腹が減っても、これだけは食えない。


外では、もう人が動いていた。


棚の前にいるのは、魚を干していた女だった。別の女が空の籠を持ってくる。二人は何か話し、籠を置く場所を変えた。


俺に声はかからなかった。


トワが先に歩き出す。


俺も荷紐を引き直し、その後を追った。


ハルは寝床のそばに座っていた。膝の前では、小さな籠を抱えた子どもが、何か熱心に話している。


俺に気づくと、ハルは顎を少し上げた。


「行く」


道のほうを示す。


ハルは頷いた。子どもから籠を受け取りかけ、肩を動かして、やめる。代わりに自分の膝の前を指した。


子どもがそこへ籠を置いた。


俺は口を開きかけて、閉じた。


もう、そばで見ている人がいる。


振り返ると、ユイがまだこちらを見ていた。


俺は荷の上を軽く叩いた。


「持っていく」


ユイの返事は聞き取れなかった。


エナがその背に手を添える。


俺は一度手を上げ、トワを追った。


*


帰りの道は、来たときより静かだった。


担ぐ人も、担がれる人もいない。


トワの足音と、俺の息だけが続く。


そのせいか、歩く速さも違った。


しばらくして、前の背中が止まった。


トワが振り向く。


俺は息を抑え、平気な顔で追いついた。


トワは何も言わず、荷を下ろした。


「……もう少し早くても、よかったぞ」


俺も腰を下ろした。


息を整えていると、トワが水を飲んだ。喉が動く。飲み終えると、首の後ろを掌でこすった。


こいつも疲れるのだ。


当たり前のことを、時々忘れる。


俺は水を飲み、残りを確かめた。


荷へ伸ばしかけた手を止める。


木の実は、朝から三度も確かめている。


会社で送信済みのメールを何度も開いたときと同じだ。見直したところで、中身は変わらない。


*


道が分かれたところで、足を止めた。


右は、下っている。


左は、木の根が斜面に張り出していた。


その上に、幹の曲がった木がある。


昨日、老人が地面に描いていた形を思い出した。


行きにも、ここを通った。


担ぎ手が足を置く場所を探して、少し止まった場所だ。


俺は左を示した。


トワを見る。


トワは俺の示した先を見て、頷いた。


先へ行け、というように手を動かす。


俺が前に出た。


張り出した根をまたぎ、曲がった幹の脇を抜ける。少し先で道が細くなり、そこで足を止めた。


振り返ると、トワはすぐ後ろにいた。


今度は道を譲り、後ろにつく。


一人で帰れるわけではない。


それでも、さっきの分かれ道なら、次も選べそうだった。


*


昼を過ぎて、木々の間から川が見えた。


足が止まった。


遠くで水面が白く光っている。


見覚えのある曲がり方だった。


以前、トワたちと歩いた場所が、あの先にある。


元の世界へ戻る手がかりを探して、水のなくなったところまで行った。


あのときは、川沿いから見ていた。


今は、高いところにいる。


間にある木々も、斜面も見える。


トワが戻ってきた。


俺は川を指し、それから、あのとき歩いた側を手でなぞった。


「前。俺たち、歩いた」


トワが川を見る。


少し考え、俺の指より先を示した。


そうか。


思っていたより、向こうなのか。


俺は示された場所を見直した。


離れて見ると、知っているつもりの場所まで違って見えた。


俺は掌に指で線を引いた。


道を描いた木の板を思い出してもらえるかは、分からない。


「帰る。書く」


それから、川を指した。


「ここ。前の道」


トワはしばらく俺を見ていた。


それから、俺たちの帰る方向を指した。


「ああ。今日は帰る」


頷くと、ようやく歩き出した。


俺も川に背を向けた。


家にある木の板へ、今日の道を書き足してみよう。


線がつながるかどうかは、そのとき確かめればいい。


今は、持って帰るものがある。


*


煙の匂いがしたのは、足の裏が痛み始めたころだった。


トワの歩き方が変わる。


迷わず、少し狭い木々の間へ入った。


その先で、犬が吠えた。


顔を上げる。


木の向こうを、子どもが一人走っていった。


見覚えのある屋根。


薪の積まれた場所。


いつもなら避けて通る、地面のくぼみまで見えた。


帰ってきた。


そう思った途端、荷が重くなった。


あと少しなのに、身体はずいぶん勝手だった。


誰かがトワを呼んだ。


別の声が返る。


その向こうで、ノエが顔を上げた。


手には、植物の繊維を束ねたものを持っていた。


俺たちを見る。


二人の後ろへも目を向ける。


トワが短く何か言うと、ノエは頷いた。手元の束を傍らへ置き、立ち上がる。


歩いてくる途中で、頬にかかった髪を手の甲で払った。


額に、細い汗が光っていた。


目が合う。


何か言おうとしていたのに、一瞬、忘れた。


ノエが俺の荷を見る。


俺も見た。


そうだった。


「持ってきた」


背から下ろそうとする。


紐が引っかかった。


少し引く。


抜けない。


ノエが横へ回り、俺の肘を軽く下げた。


するりと外れた。


「……最後まで世話になるな」


地面へ荷を置く。


ノエは荷の前にしゃがみ、俺の顔をもう一度見た。


今度は、ちゃんと言えた。


「帰った」


ノエの口元が、少し緩んだ。


*


子どもが来た。


ノエの横へ寄り、俺の荷をのぞき込む。


まず俺を見る。


次にトワ。


それから、後ろの道。


「ユイ」


その名前だけは、はっきり聞こえた。


俺は荷の上の包みを取った。


子どもの前で、葉を開く。


木の実が一つ。


子どもはすぐには取らなかった。


俺の顔を見てから、指を伸ばす。


持ち上げ、殻を回した。


傷のところで指が止まった。


そして、また道のほうを見た。


「ユイ。向こう」


俺は来た方角を示した。


「歩く。少し」


指を二本、地面の上で動かす。


ノエが何か尋ねた。


途中までは分かったが、返事の仕方が分からない。


トワを見ると、代わりに答えてくれた。


ノエは黙って聞いていた。


子どもも、木の実を握ったまま動かなかった。


話が終わると、ノエが子どもの肩に手を置いた。


子どもはその手を見上げ、それから俺に何か言った。


俺は聞き取れず、少し身をかがめた。


子どもは言い直した。最後に、ユイの名前だけ分かった。


「……ごめん。まだ、分からない」


首を振る。


子どもは考え、握っていた手を開いた。


木の実を俺に見せる。


受け取ろうとすると、すぐに閉じた。


ノエが笑った。


俺も手を引っ込めた。


どうやら、返すつもりではなかったらしい。


子どもはもう一度だけ木の実を見て、大事そうに持って走っていった。


走りながら、一度だけ手を開いて、また握る。


俺はそれを見届け、空になった葉を畳んだ。


ユイがあれほど荷を確かめたわけが、少し分かった気がした。


*


持ち帰ったものを渡し、水を飲んだ。


トワは呼ばれて、別の火のほうへ行った。


俺は空になった荷の口を結ぼうとした。


指がうまく動かなかった。


引っ張ると、余計なところが締まる。


諦めて置いた。


ノエが戻ってきた。


手にしていた器を、俺のそばへ置く。


それから、俺の手元を見た。


結び直してくれるのかと思ったが、紐には触らなかった。


代わりに、少し隣の地面を掌で払う。


俺を見る。


座れ、ということらしかった。


腰を下ろすと、ノエも座った。


子どもを呼び、短く何か言う。


子どもは木の実を握っていないほうの手で、小さな籠を取った。近くにいる女のところへ持っていく。


ノエはそれを見届けてから、俺へ向き直った。


「ハル」


その名前に頷く。


「座る。籠。子ども」


膝の前に籠があるつもりで、手を動かした。


ノエが聞いている。


「エナ。ユイ。食べる。……ユイ、少し歩く」


言いたいことに比べて、使える言葉が少なすぎた。


俺は少し考え、ハルの真似をした。


籠を取ろうとして、肩を止める。


すぐに膝の前を指す。


ノエの眉が寄りかけたので、慌てて続けた。


子どもが籠を置く真似。


その中の枝を、一本だけ選ぶ真似。


今度は、口元が緩んだ。


「そう。それで、ずっと教えてる」


分からない言葉まで出てしまった。


それでも、ノエは顔をそらさなかった。


俺が黙ると、自分の胸ではなく、俺を指した。


「サエ」


そして、向こうへ続く道を指す。


俺の話も、ということだろうか。


「俺?」


ノエが頷く。


棚のことなら、トワが話したほうが早い。


そう思って向こうを見たが、トワは別の男と話していた。


ノエは、俺の返事を待っている。


魚を動かせると思ったことから、話してみるか。


しばらく考えて、俺は両腕を大きく広げた。


次に、その半分まで狭める。


ノエが首をかしげた。


「魚」


干してある魚を指す。


もう一度、腕を広げる。


途中で腕を止め、渋い顔で半分まで戻す。


ノエが吹き出した。


ノエも片腕を広げ、俺の前で半分に狭めてみせた。


「そう。半分」


俺が頷くと、もう一度笑った。


急いで次の話へ移ろうとすると、ノエが器を俺のほうへ寄せた。


飲んでからでいいらしい。


俺は器を持った。


横で、ノエが膝を抱えて座り直した。


まだ行かないらしい。


ユイのことも、ハルのことも伝えた。持ち帰ったものも、渡し終えた。


俺は水を一口飲んだ。


それから、自分の胸を指す。


「サエ。道、分かる。少し」


今朝の分かれ道を話そうと、地面に二本の線を引いた。


ノエが、俺の手元をのぞき込んだ。

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。