第91話 俺がいない朝
若い男は、川へ持っていく籠から手を離さなかった。
魚の女が縄を持ち上げる。
彼は答え、棚を振り返った。
明日の朝。
川。
ここ。
拾える音だけでは、順番がつながらない。
年老いた男が口を挟むと、若い男ははっきり首を振った。
籠から細い木を二本出す。
一本は自分の前へ。
もう一本は、誰かの名を呼びながら並べた。
女が二本を寄せる。
一人では済まない仕事らしかった。
俺は足元の荷を見た。
もう一晩いれば。
そう思ってから、顔を上げた。
トワは隣にいた。
返事を待っているのは、俺ではなく若い男だった。
*
ハルが彼を呼んだ。
棚へ目を向け、女に何か尋ねる。
女が答えた。
ハルはもう一度聞いた。
今度は少し長い。
女は木の実を運んでいた人を呼んだ。
話が初めからになった。
俺は地面の二本の木を見ていた。
誰かをここへ残せば、その人が行くはずだった場所が空く。
川の仕事が何なのかも知らずに、俺には代われなかった。
ハルは女たちの返事を聞き、若い男へ顔を向けた。
短く話す。
若い男が川のほうを指した。
それから、棚。
魚の女が答え、実を運んでいた女へ何か聞いた。
彼女は家を指す。
首を振る。
少し考えて、棚の端を叩いた。
話は、もうしばらく続いた。
*
ようやく、若い男が籠を肩へ掛けた。
魚の女がその前へ立つ。
川へ向けた手を、屋根の下へ戻した。
彼は頷いた。
俺はトワへ尋ねた。
「明日。川?」
トワは頷き、朝の低い空を示した。
次に、その手を少し高くして棚を指す。
俺も同じ順に指した。
「戻る?」
彼は頷いた。
若い男は朝の仕事へ行き、戻ってからこちらに加わるらしい。
それまでの間、魚の女と、家に残る女が棚を見ている。
細かな話はまだ分からない。
だが、彼が籠を下ろさずにいられるところまでは決まった。
*
ハルは自分の横を叩いた。
女が実を載せた葉を持ってくる。
彼は一つ取り、女へ渡した。
女が割って確かめる。
二人で話し、置く場所を決めた。
ハルがもう一つ取る。
今度は、女のほうが別の人を呼んだ。
彼も答えを待った。
俺はその様子を見ていた。
ハルへ持っていけば、全部分かる。
そんなふうに思いかけていた。
エナが来て、彼の肩へ触れた。
ハルは顔をしかめる。
寝床を指され、言い返した。
エナも返す。
女の一人が笑った。
ハルは諦めたように息を吐き、持っていた実を葉へ戻した。
女はそれを受け取り、棚へ運んだ。
*
俺は若い男と空の籠を片づけた。
棚の横へ置こうとすると、彼が先へ出る。
屋根の外側へ回し、逆さにして木へ立て掛けた。
俺も隣へ置いた。
戻ると、魚の道との境に置いた小石がずれていた。
俺たちが籠を運んだときに蹴ったのかもしれない。
女が来る前に、若い男が戻した。
足で押す。
一度、道を通ってみる。
籠を抱えても当たらない。
俺は通路へ残っていた縄を拾い、柱の内側へ掛けた。
若い男が見ていた。
俺が手を離すと、彼は川の籠を持ち上げた。
誰かに呼ばれ、返事をする。
明日の前にも、まだ用事があるらしかった。
*
水を汲みに行った。
家々の間を歩く。
薪を下ろす女。
器を抱えて待つ子ども。
入口から人を呼ぶ声。
昨日は俺を見ている顔ばかり気になった。
今日は、道の途中で待っている人や、足を止めて話す人が目に入った。
水場で器を満たす。
持ち上げる前に、少し戻した。
帰り道でこぼす分まで、運ぶことはない。
*
棚へ戻ると、女が二人で木の実を動かしていた。
俺の並べたまとまりが、別の場所へ移っている。
思わず近づいた。
片方の女が葉を持ち上げる。
もう片方が、空いたところを払う。
俺は手を伸ばしかけた。
上で魚の束が揺れた。
別の人が掛け直している。
その下を空けたのだ。
実は別々の葉に載ったまま、混ざらずに動いていた。
俺は手を下ろした。
水を置くと、女が顔を上げた。
器を差し出す。
彼女は受け取り、飲んだ。
もう一人も手を伸ばす。
俺はそばへ座り、二人が飲み終わるのを待った。
棚には、もう手を出さなかった。
*
トワは帰りの荷をまとめていた。
俺も隣に座る。
食べ物の包み。
器。
薄い獣皮。
使ったものを戻し、紐を通した。
棚のほうで声が上がった。
顔を向ける。
トワが俺の手を叩いた。
指先が黒く汚れている。
その手で、食べ物の包みを持とうとしていた。
「……先に洗うか」
俺が立つと、彼は自分の荷を締めた。
肩へ掛ける。
一度下ろし、紐の位置を変えた。
明日の道を歩くのは、俺だけではなかった。
*
夕方、ハルのそばへ行った。
横になっていた彼が、肘をついて起きる。
俺は手を下げ、休む仕草をした。
ハルの眉が寄った。
俺は途中でやめ、自分が座った。
彼は俺を見てから、また背を預けた。
小さな籠の子どもが来た。
今日は短い材が入っている。
ハルが一本取り、指で曲げた。
返す。
次の一本は少し曲げてから、横へ置いた。
子どもが見比べる。
自分でも曲げ、何か聞いた。
ハルが答える。
俺は二人の間へ手を出さず、そばの器へ水を足した。
子どもが帰ると、ハルが俺を呼んだ。
「サエ」
道を指す。
「明日」
俺が返すと、彼は頷いた。
それから手を伸ばし、俺の袖へついた木の葉を取った。
指先で弾く。
俺は袖を払った。
ハルはもう、器へ手を伸ばしていた。
*
食べ物を受け取るころ、年老いた男が来た。
俺たちの荷を見て、トワと話す。
地面へ線を引いた。
分かれるところが二つある。
片方へ小枝を置く。
トワはもう一方をなぞった。
男が頷く。
俺もしゃがんだ。
行きに回った高い道。
低いほうを指すと、男は首を振った。
掌を地面へ近づけ、指を沈める。
泥か。
俺は高い線をなぞった。
男はその先へ線を延ばし、木の根の形を添えた。
見覚えがあった。
そこで道を曲がった。
俺が手で幹の傾きを示すと、トワが頷いた。
男は立ち、俺の荷の紐を一度引いた。
緩まない。
手を離した。
*
ユイのそばへ座ると、小さな手が伸びてきた。
掌に木の実が載っている。
出発の朝、ノエの子どもにもらったものだった。
俺が受け取ろうとすると、ユイは引っ込めた。
何か言う。
もう一度差し出す。
今度は掌へ置かれた。
ユイがノエの名を言った。
手を低くする。
子どもの背丈。
俺を見る。
「ノエの子に?」
俺は木の実を指し、帰る道へ手を向けた。
ノエ。
あの子どもの背丈。
ユイが頷いた。
エナも隣から聞いた。
ユイは同じ音を返し、俺の指を木の実の上へ折った。
俺は手を開いた。
殻に、小さな擦り傷があった。
ユイがその傷へ触れる。
それから、俺の荷を指した。
返すのか。
見せたいのか。
伝えたい言葉は、まだありそうだった。
エナが葉を一枚渡してくれた。
俺が包むと、ユイはその結び目をつまんだ。
離さない。
俺は荷を引き寄せ、上のほうへ入れて見せた。
そこでようやく手が離れた。
*
横になる前に、棚のそばを通った。
若い男が戻っていた。
川の籠を柱の外へ置き、魚の女と並んでしゃがむ。
女が一か所示す。
彼は実へ手を伸ばしかけ、そばの葉を取った。
俺は歩みを緩めた。
男が一つ移す。
女が確かめる。
二人で置き直す。
トワはもう先を歩いていた。
俺も追った。
寝床へ荷を下ろし、小さな包みを確かめる。
木の実は潰れていなかった。
口を閉じる。
明日の朝、ここで棚の前へ来るのは、俺ではない。
この包みは、俺が持って帰る。
枕元へ荷を寄せ、横になった。
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