第9話 水の行く先
子どもの指の先に、
細い水が流れていた。
雨で濡れた土の上を、
ゆっくりと下っている。
俺はしゃがんだまま、
その先を目で追った。
水は草の間を抜け、
小さなくぼみにたまった。
いっぱいになると、
端からあふれる。
さらに下へ。
「これ?」
子どもが何か言った。
分からない。
けれど、
すぐには立ち上がらなかった。
もう少し見てみる。
雨水は、
あちこちから集まっていた。
屋根から落ちたもの。
斜面を伝ってきたもの。
人が何度も歩いて、
少し低くなったところを流れてきたもの。
それらが、
少しずつ一つになっていく。
俺は顔を上げた。
その先に、
住居があった。
*
声がした。
若い男だった。
俺たちの横を通り過ぎ、
住居の脇にしゃがむ。
地面に触れる。
水の流れを見る。
それから、
棒のようなものを持ってきた。
土に差し込む。
濡れた土を削り、
脇へ寄せる。
また削る。
浅い筋ができた。
そこへ、
たまっていた水が入っていく。
「……あ」
水が、
住居とは違う方向へ流れ始めた。
俺は男の手元を見た。
雨の中で、
何度も地面を見ていた理由が、
少しだけ分かった。
別の男も来た。
二人で、
土を動かし始める。
俺はその横に立っていた。
若い男が、
ふと顔を上げた。
目が合う。
何か言った。
「分からない」
男は、
手にしていたものとは別の棒を拾った。
俺のほうへ投げる。
足元の泥に落ちた。
俺は棒を見る。
男を見る。
男はもう、
こっちを見ていなかった。
「……これでやれってことか」
棒を拾った。
*
やってみると、
思ったより難しかった。
雨を吸った土は重い。
棒を差し込む。
押す。
土が少し崩れる。
もう一度。
今度は泥が跳ねて、
ズボンについた。
「うわ」
若い男のほうを見る。
速い。
力だけじゃない。
棒を入れる場所も、
土をどちらへ出すかも、
迷っていない。
俺は男が作った筋を見た。
同じように、
少し先へ棒を入れる。
土を寄せる。
水が入ってきた。
細い流れができる。
「お」
もう一度。
今度は、
泥が崩れて流れをふさいだ。
若い男が何か言った。
俺の手元を指す。
次に、
少し横を指した。
「こっち?」
返事はない。
男は、
もう自分の作業に戻っている。
俺も場所を変えた。
*
少しずつ、
浅い筋が伸びていった。
そこへ水が入る。
濁った水が、
住居から離れる方向へ流れていく。
俺は棒を地面に立て、
息を吐いた。
若い男は、
まだ手を止めていなかった。
少し先へ移動している。
俺も水の先を見た。
流れは、
途中で広がっていた。
低いところへたまり、
動きが鈍くなる。
まだ終わっていないらしい。
棒を持ち直した。
*
子どもは、
ずっと近くにいた。
手伝っているのか、
遊んでいるのか、
よく分からない。
細い枝を拾う。
水に置く。
枝が流れる。
子どもが追いかける。
少し先で、
枝が止まった。
拾う。
また戻ってくる。
「遊ぶなら向こうで――」
言いかけて、
やめた。
子どもが、
もう一度枝を水に置いた。
枝は流れる。
曲がる。
俺たちが削ったところを通る。
そして、
さっきと同じあたりで止まった。
子どもが拾う。
また戻ってきた。
三度目。
同じところから、
枝を流す。
俺は、
棒を持ったまま見ていた。
枝が俺の前を通る。
少し先へ。
ゆっくりになる。
回る。
止まった。
同じ場所だった。
「……そこ?」
俺は歩いていった。
*
しゃがんでみる。
見ただけでは、
ほとんど分からない。
でも、
水はここで広がっている。
指で泥をなぞる。
少し右。
少し左。
高さが違う。
ような気がする。
俺は棒を置いた。
若い男のほうを見る。
呼び方が分からない。
昨日、
名前らしい音は聞いた。
でも、
自信がない。
適当に呼んで、
別の人が振り向いたこともある。
「おい」
当然、
通じない。
俺は立ち上がり、
男のところまで行った。
腕には触れず、
地面を指す。
男が俺を見る。
もう一度、
指す。
男は手を止めた。
俺についてくる。
*
止まった水を指した。
子どもの枝を拾う。
少し戻って、
水に置く。
枝が流れる。
そして、
同じところで止まった。
若い男は、
枝ではなく地面を見ていた。
しゃがむ。
手で土に触れる。
少し先を見る。
立ち上がり、
二、三歩歩く。
またしゃがむ。
俺は、
その後ろについていった。
男が棒を地面に置いた。
向きを見る。
俺が考えていた方向とは、
少し違った。
「そっち?」
男はもう、
土を削っていた。
俺も地面を見る。
その先は、
わずかに低くなっている。
俺は自分の棒を持ってきた。
*
二人で土を動かした。
途中から、
もう一人の男も加わった。
俺が削ったところを、
若い男が少し広げる。
男が作ったところを見て、
俺も真似する。
水が入ってくる。
泥が崩れる。
直す。
また流れる。
しばらくすると、
細い流れができた。
子どもが来た。
また、
枝を水に置く。
俺は手を止めた。
枝が進む。
さっき止まった場所へ近づく。
少し回った。
止まりそうになる。
それから、
向きが変わった。
進む。
子どもが走り出す。
俺も、
目で追った。
枝は、
そのまま流れていった。
子どもが何か叫ぶ。
若い男が答える。
意味は分からない。
子どもは、
枝を追いかけていった。
*
気がつくと、
手が泥だらけだった。
ズボンの裾にも、
泥がついている。
靴もひどい。
昨日までなら、
かなり気になったと思う。
俺は近くの水で、
手についた泥を落とした。
若い男も来た。
少し離れたところで、
手を洗う。
二人とも、
何も言わない。
俺は手を振って、
水を落とした。
立ち上がる。
男も立った。
これで終わりかと思った。
男は、
別の方向へ歩き出した。
数歩行って、
止まる。
地面を見る。
また、
どこか気になるらしい。
俺はその場に残った。
男が振り返る。
俺を見る。
何か言った。
「……何?」
男は足元にあった棒を拾った。
こっちへ投げた。
棒が、
俺の前の泥に落ちた。
男はもう、
歩き出している。
俺は棒を見た。
少し先を歩く、
男の背中を見る。
棒を拾った。
今度は、
指される前についていった。
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