↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
ここで生きる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/118

第8話 雨の匂い

子どもが見ていたのは、


地面だった。


俺もしゃがむ。


湿った土。


小さな石。


枯れた葉。


その間を、


細い水が流れている。


昨日なら、


たぶんそれだけだった。


俺は、


子どもの指先を見る。


何かを指している。


でも、


何なのか分からない。


「どれ?」


子どもがもう一度、


指を動かした。


土なのか。


草なのか。


水なのか。


俺には分からない。


顔を近づける。


子どもが何か言った。


「……分からない」


そう言うと、


子どもは立ち上がった。


今度は、


木を見上げた。


俺も見る。


葉が揺れている。


さっきまでより、


風が出ていた。


少し冷たい。


子どもは、


もう歩き出している。


「待てよ」


俺も立ち上がった。


         *


帰り道、


子どもは何度か立ち止まった。


一度は木の下。


一度は開けた場所。


一度は、


川の近く。


そのたびに、


何かを見る。


俺も見る。


でも、


やっぱり分からない。


森は森だった。


木があって、


草があって、


風が吹いている。


少し歩いたところで、


子どもが急に顔を上げた。


鼻から、


短く息を吸う。


俺も止まった。


「何?」


子どもは答えない。


もう一度、


鼻から息を吸った。


俺も真似した。


最初は、


何も分からなかった。


もう一度。


湿った匂いがした。


土。


草。


それから、


何か冷たいものが混じったような匂い。


俺は空を見た。


まだ明るい。


青いところも残っている。


雲はある。


「雨?」


子どもは、


もう歩き出していた。


         *


無意識に、


ズボンのポケットへ手を入れた。


指先が、


スマートフォンに触れる。


取り出さなかった。


天気が気になれば、


これを見ていた。


何時から降る。


何時にやむ。


降水確率。


雨雲の位置。


それを見てから、


傘を持つか決めた。


俺は空を見上げた。


何も書いていない。


当然だ。


風が、


木の上を抜けていった。


葉が一斉に鳴る。


前を歩く子どもは、


振り返らなかった。


俺はポケットから手を出して、


そのあとを追った。


         *


集落が見えてきた。


何かがおかしい。


朝とは違う。


人が動いている。


地面に広げられていたものを、


何人かが集めている。


木の実。


編んだもの。


乾かしていたらしい何か。


子どもまで、


小さなものを抱えて走っている。


男たちは、


住居の周りにいた。


若い男が上を見ながら、


屋根の一部に手を伸ばしている。


別の男が、


何かを運んでくる。


俺は立ち止まった。


まだ、


雨は降っていない。


空を見る。


集落を見る。


もう一度、


空を見る。


「……来るのか」


昨日、水をくれた女が、


俺の横を通った。


両腕に、


何かを抱えている。


俺は空を指した。


指を下へ動かす。


雨。


のつもりだった。


女が俺の手を見る。


次に、


空を見た。


短く何か言う。


そして、


そのまま行ってしまった。


俺だけが、


立っていた。


         *


足元に、


枝の束があった。


見覚えがある。


第五話で、


一度落とした。


俺はしゃがんだ。


太いものを真ん中に寄せる。


向きをそろえる。


腕を回す。


持ち上げる。


今度は、


崩れなかった。


「よし」


問題は、


どこへ持っていくかだ。


周りを見る。


同じような枝を持った女がいた。


その後ろについていく。


住居のそば。


雨が直接入りにくそうなところへ、


枝を積んでいる。


俺もそこへ置いた。


女が俺を見る。


何も言わない。


俺も何も言わず、


戻った。


もう一束。


持つ。


運ぶ。


置く。


戻る。


三度目に、


あの子どもとすれ違った。


俺の腕の枝を見る。


笑う。


「今日は落としてないぞ」


意味は分からないはずなのに、


子どもはまた笑った。


俺も歩いた。


         *


風が強くなった。


森の音が変わる。


俺は枝を置いて、


振り返った。


遠くの空が、


さっきより暗い。


灰色の雲が、


広がっていた。


「本当に来るな」


若い男が近くを通った。


俺は空を指した。


男も見る。


一度だけ。


すぐに、


手元へ視線を戻した。


俺は、


もう一度空を見た。


それから、


枝を取りに戻った。


         *


頬に、


冷たいものが当たった。


手で触る。


水だった。


もう一滴。


地面に、


黒い点ができる。


誰かが声を上げた。


人が動いた。


残っていたものが、


次々と運ばれていく。


子どもたちが走る。


犬も、


人のいるほうへ移動した。


雨粒が増えた。


葉を打つ。


地面を打つ。


屋根を打つ。


音が一気に広がった。


俺は、


残っていた枝を抱えた。


「うわ」


走る。


枝を置く。


屋根の下へ入ったころには、


肩が濡れていた。


髪から、


水が落ちる。


隣で、


あの子どもが笑っている。


そいつも濡れていた。


「お前も濡れてるだろ」


子どもは、


自分の頭を触った。


手についた水を見る。


もっと笑った。


俺も笑った。


         *


雨は、


すぐには弱くならなかった。


屋根を叩く音で、


人の声が聞き取りにくい。


俺は入口の近くに座り、


外を見た。


さっきまで乾いていた地面を、


水が走っている。


小さな流れができ、


低いほうへ集まっていく。


朝の川を思い出した。


明日、


あの水はどうなる。


あの子どもは、


どこで飲む。


同じ場所なのか。


違う場所なのか。


分からない。


火の近くでは、


老人が座っていた。


雨を見ている。


慌ててはいない。


若い男が入ってくる。


肩から水を落とし、


老人に何か言った。


老人が短く返す。


若い男は、


また外へ出ていった。


俺はその背中を見送った。


         *


袖を引かれた。


子どもだった。


「何?」


子どもは外を指した。


雨。


次に、


鼻のあたりへ指を持ってくる。


何か言った。


俺も鼻を指した。


「これ?」


子どもが、


同じ音を言う。


俺は真似した。


首を振られた。


「違う?」


もう一度。


子どもが言う。


俺も言う。


また首を振る。


三度目。


少し考えてから、


子どもが頷いた。


意味は、


まだ分からない。


雨かもしれない。


匂いかもしれない。


濡れることかもしれない。


まったく別の意味かもしれない。


俺は、


それ以上決めつけなかった。


         *


少しして、


若い男が戻ってきた。


全身が濡れている。


男は屋根の下へ入る前に、


足元を見た。


流れている水を見る。


次に、


住居の脇を見る。


しゃがむ。


地面に触れる。


何かを確かめてから、


ようやく中へ入った。


俺は、


その場所を見た。


さっきまでなら、


気にしなかったと思う。


何を見た。


水の流れか。


土か。


住居の下か。


分からない。


雨は、


まだ降っている。


俺は立ち上がった。


入口の近くまで行く。


しゃがむ。


若い男が見ていたところを見る。


水が、


細く流れていた。


指で土に触れる。


柔らかい。


その先を見る。


少し低くなっている。


だから何なのかは、


まだ分からない。


後ろで、


子どもが何か言った。


振り返らない。


もう一度、


地面を見る。


水がどちらへ流れていくのか、


目で追った。


         *


雨が少し弱くなった。


森の向こうが、


薄く明るくなっている。


俺は外へ出た。


濡れた土の匂いがした。


朝より、


ずっと強い。


一歩進む。


水が流れている。


足元を見る。


もう一歩。


また見る。


向こうで、


子どもが待っていた。


何かを見つけたらしい。


地面を指している。


俺は空を見なかった。


子どものところまで歩く。


隣にしゃがむ。


指の先を見る。


まだ、


何を見ているのか分からない。


だから、


しばらく見ていた。


お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。