↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/119

第86話 籠を待っていた子

年老いた男の腕が下りても、ハルは動かなかった。


俺は預かった荷を持ち直した。


何を言われたのか。


尋ねる言葉を探しているうちに、ユイのほうから声が上がった。


走ってきた子どもが、獣皮の横で止まっていた。


ユイが話す。


子どもも話す。


二人とも相手の返事を待たない。


エナが間へ手を入れ、ユイの足を示した。


子どもは慌てて後ろへ下がった。


男たちが木陰へ棒を下ろす。


後から来た女が、ユイの前へ膝をついた。


頬に触れる。


何か言いかけ、唇を結んだ。


ユイが腕を伸ばした。


女はその身体を抱き寄せた。


さっきまでよく動いていた子どもの口が、女の肩で見えなくなった。


エナは隣に座った。


ユイの足元を支えたまま、女の背中へも片手を置いた。


         *


犬が俺の籠へ鼻を近づけた。


身体を引く。


犬も来る。


もう一歩。


まだ来る。


トワの声で、近くの子どもが笑った。


犬を呼ぶ。


俺は籠からはみ出した包みを押し込んだ。


干した魚だった。


「そっちか」


犬が離れると、今度は人の目が気になった。


シャツ。


ズボン。


足元。


最初の集落でも、こうして見られた。


ただ、今日は槍の先を向けられてはいない。


トワがそばで話している。


話を聞きながら頷く者もいれば、少し離れたままの者もいた。


女が一人、俺の腕に掛けた荷へ手を伸ばした。


ハルを見る。


彼が頷いたので渡した。


女は年老いた男の指した屋根へ運んでいった。


ハルはついていかなかった。


ユイのそばへ座り、小さな籠を足元に置く。


俺も自分の籠を下ろした。


肩が軽くなると、ようやくここまで歩いた長さが分かった。


         *


ユイの周りに、子どもが増えた。


足元へ寄るたびにエナに止められ、少しずつ横へずれる。


やがて半円になった。


ユイが俺を指した。


子どもたちがこちらを見る。


次に両手を高く上げ、獣皮を叩いた。


昼に、もっと高く持ち上げてほしがった話だろうか。


トワが何か言う。


笑い声が起きた。


一人が立って、俺の前まで来た。


見上げる。


自分の頭へ手を載せ、その手をさらに伸ばす。


届かない。


俺は少し膝を曲げた。


指先が頭へ触れた。


子どもは後ろへ振り返り、何か叫んだ。


ユイが大きく頷く。


俺はゆっくり立ち直った。


座ったままのユイだけが、妙に得意そうだった。


         *


エナに呼ばれ、水の器を出した。


底のほうまで減っていた。


そばの女が中を覗き、自分の器から水を足してくれる。


俺は受け取って飲んだ。


冷たかった。


ハルも手を伸ばした。


器を渡すと、エナが彼の肩へ目を向けた。


紐の下に挟んだ皮を外す。


赤くなったところへ触れられ、ハルの顔が歪んだ。


その手を軽く払う。


エナが言い返した。


ハルは水を飲んだ。


聞こえないふりにも見えた。


だが、彼女が布を当て直す間は、動かなかった。


ユイが二人を見ている。


ハルが何か言うと、子どもは短く返事をし、また友達へ向き直った。


俺は空いた器を受け取った。


もう一度、水を入れておいた。


         *


年老いた男が来た。


ハルへ声を掛ける。


さっきと同じ屋根を示していた。


ハルは答えた。


男も返す。


大きな声ではない。


それでも、俺は器を置いた。


エナも顔を上げている。


ハルが小さな籠へ手を伸ばしたとき、子どもが一人、そばへ来た。


俺の頭に触った子より、少し年上だった。


籠を見るなり、しゃがみ込む。


ハルへ何か聞いた。


年老いた男が子どもを呼んだ。


子どもは振り向いたが、そのまま座っていた。


ハルが籠を差し出す。


小さな手が底へ回った。


指が裂け目へ入りかける。


ハルが止め、持つ場所を変えてやった。


子どもは籠を膝に載せた。


年老いた男が息を吐く。


ハルへ短く話してから、屋根のほうへ戻っていった。


子どもはもう、籠の内側を覗いていた。


         *


籠には乾いた泥が残っていた。


底の片側が擦り減っている。


子どもはそこへ指を置き、ハルに見せた。


ハルが頷く。


縁を押すと、裂けた口が少し開いた。


子どもの顔が近づく。


ハルはその額を指で押し戻した。


俺は隣へしゃがんだ。


彼が束ねた材を一本抜く。


肩が動いた。


さっきの赤い跡を思い出した。


休んだほうがいい。


言おうとしたところで、ハルは材を子どもへ渡した。


自分の手は膝へ戻す。


子どもが裂け目に材を通した。


ハルが首を振る。


抜く。


別のところへ通す。


今度は途中で止まった。


子どもが強く引こうとすると、ハルが手首を押さえた。


先を少し曲げ、通す向きだけ直してやる。


するりと抜けた。


子どもが顔を上げた。


ハルは頷いた。


俺は口を閉じ、そばに落ちた短い材を拾った。


         *


作業はゆっくりだった。


一本通す間に、何度も戻った。


子どもが引くたび、籠の底が浮く。


俺は手を伸ばし、底を押さえた。


ハルを見る。


彼はそのまま、子どもの指先へ目を戻した。


材の先が俺の指へ当たる。


少しずらす。


今度は通った。


裂けた口の端が、わずかに寄った。


子どもはそこへ触れ、ハルを見る。


また触る。


ハルが何か言っても、指が戻る。


エナが声を掛けた。


ハルは顔を上げ、頷いた。


残った材を束ねる。


それを籠へ入れ、子どもに渡した。


まだ、裂け目は残っている。


子どもは受け取ると立ち上がった。


籠を持って数歩進む。


振り返る。


ハルへ何か言う。


彼が答えると、今度は走っていった。


ハルは肩を下げ、長く息を吐いた。


俺は立たずに、そばへ水を置いた。


         *


日が傾くころ、火の近くへ呼ばれた。


俺たちの荷を運んだ女が、獣皮を広げていた。


ハルもここで休むらしい。


入口で男が指した屋根とは、別の場所だった。


エナが女と話している。


ユイは横になった。


子どもたちはまだそばを離れず、ときどきエナの顔をうかがっていた。


俺も腰を下ろした。


トワは隣で足を伸ばし、目を閉じた。


その膝へ、さっきの子どもがぶつかりかけた。


慌てて止まる。


両手に小さな籠を持っていた。


中には木の実が二つ。


ハルの前へ差し出す。


彼が取ろうとすると、子どもは籠を引いた。


もう片方を指す。


ハルはそちらを取った。


残った一つが、俺の前へ来た。


受け取る。


子どもは空の籠を抱え、また走っていった。


俺は掌の木の実を見た。


ハルも、取ったものを指先で転がしている。


あの男が籠を持ってきたとき、俺はハルの肩ばかり見ていた。


その籠を待っている子がいるとは、思わなかった。


         *


食べ物が運ばれてきた。


ユイは目を閉じかけていた。


握った手から、朝もらった木の実が覗いている。


俺は小さな包みを開き、手のそばへ置いた。


ユイは一度だけ俺を見た。


指を開く。


木の実が包みに落ちた。


エナが口を結び、子どもの頭のそばへ置いた。


俺は自分の分を受け取った。


ハルの前にも、食べ物が置かれる。


彼が手を伸ばしたところで、年老いた男が来た。


畳んだ敷物を抱えていた。


女へ何か言い、火のそばへ広げる。


端がほどけ、途中に穴があった。


俺はハルを見た。


男も、ハルへ顔を向ける。


敷物の端を持ち上げ、話し始めた。


ハルは最後まで聞いた。


それから肩へ手を置き、首を振った。


男が言い足す。


ハルはもう一度、首を振った。


俺は膝の上で手を握った。


男が求めているのが、修理なのか、それとも別のことなのか。


まだ分からない。


男が敷物の端を差し出した。


ハルは受け取らなかった。


膝の上の食べ物を取り、男を見たまま、ひと口かじった。

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。