第81話 持ち帰ったもの
老人が、俺の荷へ手を伸ばした。
籠を取るのかと思った。
違った。
上に載せていた包みを開く。
残しておいた食べ物だった。
三つに分ける。
一つを俺へ。
一つをトワへ。
最後を自分の手に取った。
俺は川を見た。
枝はもう流れていった。
だが、老人はまだ入らなかった。
俺たちにも、食べろと手で示す。
焦って水へ入るより、ここで少し休む。
俺は受け取った。
帰りが遅れたときの分は、帰るためにも使うのだった。
*
食べ終えるころ、老人が立った。
少し下流へ歩く。
棒を水へ差し入れ、底を確かめた。
トワが荷をまとめる。
俺は足へ皮を巻いた。
縄を締める。
腰の端に作った五つの結び目が、膝へ当たった。
木。
渡り場。
寝た岩。
見晴らしの場所。
二つの岩。
順に触れたあと、縄を腰へ留め直す。
トワは籠を取った。
老人が水へ入る。
俺はその後ろへ続いた。
*
昨日とは少し違う線を通った。
同じ川でも、同じ石へ足を置くとは限らない。
老人が棒をつく。
俺は一歩進む。
水が脚を押した。
立ち止まる。
後ろでトワも止まった。
急かす声はなかった。
次の場所を確かめる。
歩く。
向こう岸へ上がったとき、俺はすぐに腰を下ろした。
トワが荷を置く。
老人は濡れた縄を足から外していた。
俺も皮をほどく。
脚に赤い跡が残っている。
生きて戻るために歩いたのに、足だけを見ると、何かに負けてきたようだった。
*
森へ入る手前で、老人が荷を持ち直した。
水の器が少し傾く。
俺は手を出した。
器を指す。
自分を指す。
老人は俺の顔を見た。
器を見る。
少しして、渡した。
籠はトワが持つ。
俺は水を両手で抱えた。
来るときには、ほとんど自分のことしか考えていなかった。
今は、足元へ置かずに器を持って歩ける。
それくらいはできた。
*
集落の煙が見えた。
セトがこちらへ顔を向ける。
声をかけた。
トワが返す。
俺は水を抱えたまま、歩いた。
ノエが家から出てきた。
トワ。
老人。
俺。
順に見る。
三人そろっていることを確かめると、俺の手から器を受け取った。
縁に触れる。
中を見る。
家へ運ぶ。
何を見つけたのかは、まだ聞かれなかった。
俺は入口の脇へ座った。
籠が下ろされる。
中には、湿った皮と空の包み。
食べ物は増えていない。
*
ハルが近づいてきた。
足をかばい、柱へ手をつく。
俺の籠を見る。
次に顔。
何か尋ねる。
俺は川を示す音を言った。
手を二つに分ける。
片方を塞ぐ。
もう片方へ流す。
ハルがトワを見る。
トワが話した。
ハルは頷いた。
俺にも目を戻す。
俺は胸へ手を当てた。
首を振る。
帰る方法は、見つからなかった。
ハルはしばらく黙っていた。
それから、籠の中の濡れた皮を取った。
広げる。
乾かす場所へ置く。
俺は空の包みを畳んだ。
*
足を拭き、水を飲んだ。
ノエが食べ物を置く。
受け取ると、急に腹が減っていることに気づいた。
食べながら、腰の結び目へ触れる。
まだ覚えている。
今なら描ける。
俺は立ち、入口の外へ出た。
枝を拾う。
地面へ川の線を引いた。
最初の木。
渡り場。
寝た岩。
見晴らしの場所。
二つの岩。
一つ描くたび、結び目へ触れた。
間の道をつなぐ。
低地も引く。
そこで、線の向きが怪しくなった。
トワを呼んだ。
*
トワは俺の横へしゃがんだ。
見晴らしの印へ指を置く。
岩の場所を見る。
首を振る。
少し横へ直した。
老人も来た。
渡り場の印を見て、棒で短い線を足す。
今日使ったほう。
昨日の線とは少し違う。
俺は古い線を消しかけた。
老人が手を止めた。
二つを指す。
川を見る仕草。
その日ごとに確かめる。
俺は古い線の脇へ小枝を置いた。
通った場所は残す。
いつでも通れる道だとは、決めない。
*
子どもが走ってきた。
俺の膝の近くで止まる。
図を見る。
木の印を指した。
次に、川の線。
足が出る。
俺は慌てて手を上げた。
子どもが止まった。
踵が、寝た岩のすぐ横へ降りる。
危なかった。
俺は小さく息を吐いた。
子どもは俺の顔を見て笑った。
地面へ描けば、人が歩く。
雨が降れば消える。
次に思い出すとき、また同じところから始めることになる。
俺は図を見下ろした。
残しておきたかった。
*
家の脇に、割れた木の片があった。
薪にするため、短く分けてある。
俺はその一つをノエへ見せた。
表面を指す。
地面の図。
持っていていいか。
ノエは木を取り、重さを確かめた。
別の薄い片へ替える。
俺へ渡した。
こちらなら運べる。
俺は受け取った。
炭を一つ拾い、平らな面へ当てる。
線が引けた。
太い。
少し欠ける。
削れたところへ引き直すと、指が黒くなった。
昔は、保存を押せば済んだ。
今日は木を選ぶところからだった。
*
川を描く。
最初の木を描く。
渡り場。
寝た岩。
二つの岩。
見晴らしの場所は、形を変えた。
小さな角。
自分が覚えているものを、区別できればいい。
低地をつなぐ。
確かめていない先は、線を短く切った。
白い光の印は描かなかった。
位置が分からないものを置けば、次もそこへ引っ張られる。
トワが覗いた。
指で寝た岩へ触れる。
少し黒くなる。
俺は木片を持ち上げた。
「まだ触るな」
彼は指を見た。
俺の手を見る。
どちらも黒かった。
言う資格は、あまりなかった。
*
老人が木片を取った。
少し離して見る。
近づける。
向きを変えた。
俺は最初の木を指し、外のほうを示す。
老人は頷いた。
二つの岩。
低地。
彼の指が順に動く。
途中で止まった。
俺が描いた道の一本を指す。
次に、木の外側。
もっと回っていた。
俺は炭で引き直した。
古い線は擦って薄くする。
完全には消えなかった。
最初の間違いまで残る。
それも、忘れるよりはよかった。
*
ノエが戻ってきた。
木片を見る。
俺は入口の脇へ置こうとした。
彼女の手が伸びる。
川の低い筋を指した。
エナもそばへ来た。
二人で話す。
ノエは家にあった小さな籠を取った。
地面へ置く。
低地の印。
水の仕草。
俺はトワを見た。
トワが答える。
今の川。
左の筋。
水の残るところ。
ノエはそこへ指を向けたあと、首を振った。
次に、高い側の道。
俺は頷いた。
そこを歩いた。
下へは入らなかった。
*
ノエは木片を自分の膝へ置いた。
向きを変える。
家のほうを起点に、指を歩かせた。
渡り場。
分かれ目。
高い道。
老人が一か所へ口を挟む。
ノエが聞き返す。
エナも頷く。
俺は三人を見ていた。
これは、俺が忘れないために描いたものだった。
だが、今はノエが、使う道と避ける場所を確かめている。
彼女は木片を俺へ返さなかった。
代わりに、自分を指す。
もう一人の采集する女を呼んだ。
二人で図を見る。
女が渡り場を指し、トワへ尋ねた。
トワは水の流れを示した。
ノエはすぐ出発の支度をするわけではなかった。
木片を見ながら、次に行くときの話をしていた。
俺は炭を置いた。
*
日が傾くころ、木片はノエの籠の横にあった。
炭の線を擦らないよう、伏せずに置いてある。
ハルが端へ短い紐を巻いた。
持ち上げてみる。
緩む。
結び直す。
俺が縄の結び目を数えていると、ハルがその五つを見た。
木片を見る。
同じ数の印へ、順に指を置く。
俺は頷いた。
ハルは縄をほどかなかった。
木片だけでは忘れるなら、結び目も残せばいい。
二つが並んだ。
*
トワが火のそばへ座った。
老人はウネと話している。
俺も腰を下ろす。
脚を伸ばすと、ふくらはぎが張った。
ノエが空の包みを持ってきた。
出る前に余分に入れてくれたものだった。
俺は包みを指す。
渡り場。
食べる仕草。
トワも頷く。
ノエは包みを受け取り、畳んだ。
それから、木片のほうを見る。
俺は首を振った。
「帰り方は、分からなかった」
胸を指す。
遠く。
知らない。
ノエは俺の顔を見た。
少しして、家の入口を指した。
俺の籠が置いてある。
その奥に寝る場所。
俺は頷いた。
今日は、戻った。
*
夜、スマートフォンを出した。
画面は黒い。
ボタンへ指を置き、離した。
隣では、トワが薪を足していた。
俺は家の脇を見た。
木片は、ノエの籠と一緒に置かれている。
俺の鍵では、何も開かなかった。
スマートフォンも、何も教えてくれなかった。
それでも、持ち帰ったものはあった。
俺は腰の縄へ触れた。
五つの結び目。
その先は、まだ作っていない。
ノエが籠を持ち上げ、場所を変えた。
木片も一緒に運ぶ。
戸口へ置く前に、彼女は振り返った。
「サエ」
俺が顔を上げると、木片を指す。
次に、俺。
二つの岩ではなく、渡り場の印だった。
もう一度、あの場所の話を聞きたいらしい。
俺は立った。
今度は炭を持たず、木片のそばへ座った。
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