第80話 川が曲がった場所
二つの岩の間から、細い水が落ちていた。
流れはそこで終わっていない。
大半は右へ曲がり、今の川へ続いている。
左には、草の生えた低い筋。
俺たちが昨日たどってきた場所だった。
老人は棒を左へ向けた。
川を示す音。
次に右。
同じ音。
俺は二つを見比べた。
地面の図では、枝で引いた一本の線だった。
目の前では、俺が両腕を広げても届かない幅がある。
「ここで、変わったんだな」
トワが俺を見る。
俺は岩の間を指し、水の曲がるほうへ手を動かした。
老人が頷いた。
*
近づく前に、老人が足元を調べた。
棒で葉を寄せる。
小石を押す。
踏める場所を示した。
俺は籠を高いところへ置いた。
岩の間には、土だけでなく木も詰まっている。
古い枝。
根のついた幹。
その上に、まだ新しい葉。
全部が一度に流れてきたのかは分からない。
老人が上の枝を棒で軽く押した。
動かなかった。
次に、その下の土を指す。
トワが屈んだ。
表面の細い泥の筋を見る。
俺も近づいた。
水が通った跡は、右だけではない。
詰まったところの下から、左にも少しずつ漏れていた。
その先が、小さな水たまりになる。
水のない川は、完全に乾いていたわけではなかった。
*
老人は岩へ手を置いた。
少し上に、横へ続く線がある。
色の違う帯だった。
今の水より高い。
反対の岩にも、似た高さで跡があった。
老人は二つを指した。
それから両手で、岩の間を大きく流す。
俺は低い筋へ振り返った。
ここへ水が入れば、下流の窪みへ続く。
砂。
丸い石。
露出した根。
昨日見たものが、つながった。
俺は掌で左の流れを示した。
「川」
覚えた音を言う。
老人が頷いた。
次に、詰まった木を指す。
「今は、こっち」
右へ手を動かす。
トワが短く答えた。
少なくとも、ここを確かめるために来たことは無駄ではなかった。
*
老人は左の筋を少し歩いた。
乾いたところだけを選ぶ。
俺たちもついていく。
途中で平たい石へ腰を下ろした。
棒を膝へ置く。
水をすくう仕草。
トワへ何か話した。
声は落ち着いていた。
地形を説明するときとは、少し違う。
老人は岩の向こうを見た。
片手を低く伸ばす。
誰かの頭に触れるような高さだった。
それから、自分の胸。
トワが尋ねる。
老人は口元を緩め、同じ場所を叩いた。
俺は石を見た。
ここで休んだことがあるのだろう。
水が流れていたころに。
誰かと。
その顔を、俺には聞き出せなかった。
*
老人が立ち上がる。
石の端で、俺も腰を下ろした。
岩を見る。
今の流れを見る。
白い光の跡はなかった。
金属も、ガラスもない。
街灯が立っていた場所を思わせるものもない。
俺はスマートフォンを出した。
画面へ空が映る。
この場所へ来れば、何かが反応するかもしれない。
そんな期待が、まだ少し残っていた。
ボタンを一度押す。
何も起きない。
俺は指を離した。
*
トワが隣へ来た。
岩を指す。
次に、俺。
俺は頷いた。
来たかった場所には着いた。
だが、探していたものがここにあるかは、別だった。
川の向こうで光を見た。
だから対岸へ来た。
昔の流れを見つけた。
だから、その入口まで来た。
一つ分かるたび、次の場所へ行ける気がした。
それだけで、光へ近づいたとは限らない。
俺はスマートフォンをしまった。
「川のことは、分かった」
左の筋を指す。
「俺のことは、まだ」
胸へ手を当て、首を振る。
トワはしばらく見ていた。
それから、水の器を差し出した。
*
食べるのは、岩から少し離れた高い場所だった。
籠を寄せる。
包みを開く。
老人は食べ終えると、帰る方向を棒で示した。
渡り場。
俺は頷きかけた。
そのとき、木々の上に見えた斜面が気になった。
川の向こう。
少し高いところ。
あそこへ上がれば、両方の流れをもっと遠くまで見られる。
最初に目を覚ました場所も、見えるかもしれない。
俺は斜面を指した。
トワが見る。
次に、空。
首を振った。
老人も、渡り場を指す。
もう戻る。
*
俺は包みを閉じなかった。
「少しだけ」
斜面を指す。
指を二本、歩かせる。
すぐ戻す。
トワの顔は変わらない。
彼は地面へ石を二つ置いた。
一つ目。
眠る仕草。
二つ目。
家。
出る前に決めたことだった。
俺は石を見た。
「分かってる」
それでも、手が斜面へ向きかける。
今日戻れば、次に来るまで何日かかる。
同じ道を渡り直して、同じ場所で寝る。
それなら今、少し先へ。
トワが俺の籠を指した。
食べ物の包み。
残った水。
渡り場。
三つを示して、俺を見た。
声は強くなかった。
俺は斜面から手を下ろした。
彼らが困るのは、俺が知りたいことではない。
今日戻るつもりで来たのに、俺が途中で変えようとしていることだった。
*
老人が立った。
膝の泥を払う。
俺は最後の食べ物を口へ入れ、包みを畳んだ。
水の器を持つ。
「戻る」
覚えた音を言った。
トワが頷く。
俺は籠を背負った。
歩き出す前に、岩の形を見た。
二つ。
右の流れ。
左の低地。
それから、上に見える斜面。
どこを見たいのか、今度は覚えて帰る。
*
帰りは、水のない筋の上側を通った。
途中で、木々が途切れた。
老人が先に進む。
俺は足を止めた。
低地の先に、昨日見た大きな曲がりがある。
その向こうへ今の川が光っていた。
さらに対岸。
一本だけ、太い木が枝を広げている。
俺は目を細めた。
最初の木かもしれない。
違うかもしれない。
だが、ここからなら両岸の位置を比べられる。
「トワ」
彼が振り返った。
俺は遠い木を指す。
次に、川の曲がり。
岩のあった方向。
トワが横へ来た。
三つを順に見る。
老人も戻ってきた。
*
俺は乾いた土へしゃがんだ。
枝で川を引く。
最初の木。
岩。
今いるところ。
三つの印。
老人が一つ直した。
岩は、もう少し奥。
トワは木の位置を確かめ、指で示した。
俺はその間へ線を引いた。
そして、途中で止めた。
あの夜、何を見ていた。
川。
対岸の建物。
白い光。
だが、倒れた場所を基準にして、その光の方向まで決めていた。
落ちたあと、俺が動いていないとは限らない。
夜の道と朝の木を、勝手に同じ場所へ重ねていた。
俺は光を表すために描きかけた印を消した。
木の印は残す。
岩も残す。
分かっているものまで消す必要はなかった。
*
トワが図を見た。
俺が消したところを指す。
尋ねる声。
俺は首を振った。
「知らない」
次に木。
岩。
「ここは、見た」
トワは少し考えたあと、今いる印へ指を置いた。
俺は頷いた。
ここも見た。
老人が枝を取る。
今いるところから、渡り場まで線を引いた。
帰る道。
俺は立ち上がった。
探す場所を増やす前に、確かめた場所を残したかった。
*
歩きながら、腰の縄の端へ結び目を作った。
一つ。
木。
少し離して、もう一つ。
渡り場。
三つ目。
寝た岩。
四つ目。
二つの岩と、曲がった川。
距離を測ったものではない。
順番を忘れないためだった。
トワがそれを見た。
俺は結び目を順に触れ、場所を指す。
彼は最後の結び目へ触れた。
次に、その少し手前。
さっき立ち止まった場所が抜けている。
俺はもう一つ作った。
「そうだった」
トワは手を離した。
俺は結び目を五つ、確かめた。
*
渡り場へ着くころには、脚が重くなっていた。
老人が水を見る。
昨日通った石へ棒を当てる。
今日は、別の場所を示した。
流れてきた枝が一本、引っかかっている。
トワが先に荷を高い場所へ置いた。
俺も籠を下ろす。
縄の結び目を、ポケットへ入れようとしてやめた。
腰につながっている。
そのままでよかった。
足の巻き物を出す。
皮を広げたところで、老人が声をかけた。
川を指す。
次に、下流。
俺はまだ水へ入っていなかった。
そこで待つ。
枝が揺れる。
少しして外れ、流れていった。
老人はそのあとも、水を見ていた。
俺は籠の横へ座った。
帰ると決めても、すぐ帰れるわけではない。
向こう岸へ渡るまでが、今日の行程だった。
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